監督: グレッグ・バーランティ 2024年アメリカ
☆☆☆
マーケティングの世界では、アポロ計画のパブリック・リレーションズは成功例の一つとして知られています。それをサクセス・ストーリー風コメディに仕立てるという着想は秀逸であり、実にハリウッド的だと思います。今年は、アポロ11号の月面着陸から55周年です。分断を深める現在のアメリカ社会に、あの興奮、あの一体感を取り戻そうと呼びかけているのかもしれません。マーケティングを面白おかしく描いたコメディですが、肝心の本作のマーケティングには失敗しているように思います。総じて言えば、そつなく作られたコメディにも関わらず、まるで”NASAやニクソンの陰謀を曝く”的な売り方になっています。そもそも、ありふれた”月に行っていない”説など、今さら売りにはなりません。映画は、ハリウッド伝統のコメディ・タッチをうまく出した脚本と演出になっています。ただ、後半、ややフォーカスを失い、だらけた展開になったことが、ラストへの収束感を薄くしています。脚本は、もう少し詰めるべきでした。脚本のローズ・ギルロイは、モデル出身の若い脚本家です。異色の経歴ですが、父も祖父も脚本家というDNAを持っています。スカーレット・ヨハンソンに認められ、本作を執筆したようです。ちなみに、この映画の制作会社These Pictures社は、スカーレット・ヨハンソンの会社です。映画後半の失速傾向を救っているのは、そのスカーレット・ヨハンソンと共演のチャニング・テイタムの魅力だと言えます。さらに言えば、スカーレット・ヨハンソンをマリリン・モンロー仕立てにしたのは大正解でした。
この人は、北欧の俳優に共通する白いキャンバス感が強く、何にでも化けられるところがすごいと思います。また、脇を固めるキャラクターの漫画っぷりもよく出来ています。定番の脇役キャラ、動物、中西部出身等々、ハリウッドの伝統とも言えるモティーフが繰り出され、観客は、安心して笑っていられます。定番コメディで忘れてならないのは”泣かせ”です。泣かせのないコメディは、軽薄なだけのスプラスティックになってしまいます。今回は、ヨハンソンの詐欺師として育てられた過去、そしてテイタムのアポロ1号の悲劇がそれに当たります。良い対比だと思います。ヨハンソンは、合法的に人をだませるマーケティングに出会い、その才能を開花させます。アメリカ、特に60年代の物質文明への皮肉が効いていて笑えます。
ジョン・F・ケネディ大統領の演説に始まるアポロ計画は、アメリカ国民を大いに高揚させました。ただ、ベトナム戦争が拡大するなか巨額の経費は大きな負担となり、また宇宙開発競争でソヴィエトに勝つことも容易ではありませんでした。1967年、アポロ1号の事故で宇宙飛行士3名が犠牲になると、計画への批判が急速に高まります。そこで、予算確保をねらってPRが強化されていきます。ベトナム戦争の泥沼化、カウンター・カルチャーの拡大という時代にあって、それは広い意味での国威高揚策でもありました。マーケティングは、今でこそ経営学の一角を占めますが、もともとはアメリカの市場主義のなかで蓄積された販売ノウハウです。NYマディソン街に多い広告宣伝会社が活躍の場を物販以外へも拡大したのは1950年代後半のことでした。
好きなマーケティングの話の一つに、旅客機の宣伝があります。1950年代前半、多くのアメリカ人は、まだ飛行機による旅に危険を感じていたようです。広告会社は、普及してきたTVを使って、旅客機がまるで空に止まっているかのような映像を大量に流します。これが、安全性に関する国民の認識を大いに変え、アメリカは航空大国になったというのです。空を飛ぶものは、いつか必ず落ちます。海に浮かぶものは、いつか必ず沈みます。それが重力というものです。アメリカ国民は、幻想を売り込まれたわけです。こうしてマディソン街は、アメリカの物質主義を加速させていったわけですが、同時に人を月に送り込んだとも言えるのでしょう。ちなみに、タイトルは、バート・ハワードが1954年に作曲したジャズのスタンダード・ナンバーです。(写真出典:eiga.com)