アイヌ民族に限らず狩猟民族の展示は、神具、狩猟道具、生活雑器等となり、ややヴァリエーションに欠ける傾向があります。むしろ、物ではなく世界観や死生観を通じた自然との関わり方こそプレゼンすべきものだと思います。アイヌ民族博物館も、そのことは理解しているのでしょうが、やや物に頼った展示になっているように思いました。ねらいとしては、民族共生公園での展示も含めて、総合的に世界観を伝えようとしているのかもしれません。ただ、その実現は非常に難しいものがあり、結果、民族共生公園は、子供向けのありきたりな体験展示が多くなっています。そのなかで、ウポポイの精神を表現できているのが”ウエカリ・チセ(人が多く集まる家)”と呼ばれるホールで展示される歌と踊りだと思います。
施設名となっているウポポイとは、大人数が集まって歌うことです。ウポポは歌を意味しますが、特に即興で歌われる輪唱形式の座り歌を指す場合が多いようです。アイヌ音楽は、神への祈り、世界観の伝承、娯楽と幅広い役割を持っているようです。いずれも、アイヌの自然との関わり方を象徴しているのでしょう。これまでも、アイヌの歌と踊りは見たり聞いたりしたことがあります。ただ、あくまでも観光施設での見世物レベルに過ぎませんでした。そういう意味では、今回、初めて本当のアイヌ音楽を聴いたとも言えます。最も印象的だったのは、その特徴的な発声です。通常の歌声のなかに、裏声や喉歌のような発声が混じるのです。喉歌は、モンゴルのホーミーなどが有名ですが、アルタイ語族が得意とするところです。
改めて、アイヌと大陸北方との関係を実感させられました。アイヌとアルタイ語族や北方民族との交流や交易はよく知られるところですが、ダイナミックな北方文化圏の存在にはいつも興味を惹かれます。アルタイ語は、チュルク語、モンゴル語、ツングース語だけでなく、日本語、韓国語もその系統に含まれます。しかし、アイヌ語は、アルタイ語系の影響はあるにしても、言語的な系統性は確認できないとされます。つまり、アイヌ語は、独立性の高い、いわゆる孤立した言語だということです。人種的にも、アイヌはアルタイ語族とは異なり、最も近いのは縄文人だとされます。縄文人は、北方と南方から日本に渡った人類が混血を重ねて生まれたという説が有力です。アイヌが北から渡った人々に近いというのなら理解しやすい話です。
ところが、アイヌはアルタイ語族のDNAを持っていないわけです。不思議な話ですが、恐らく、日本へ渡ってきた時期があまりにも古く、大陸系の特徴を失ったのではないでしょうか。日本人は、その後、大陸や半島から稲作とともに渡ってきた人々との混血が進み。弥生人になっていきます。ただ、寒冷であった北海道や北東北では、稲作も混血も進展が遅くなり、結果、アイヌは独立的な民族になったということなのでしょう。同様に、アイヌ語も孤立していったのではないでしょうか。アイヌが文字を持たなかったことも深く関わっているものと思います。文字を持たないがゆえに、歌は、アイヌの人々にとってアイデンティティを守るために欠くべからざる存在だったのだと思います。(写真出典:nohgaku.or.jp)