2024年8月16日金曜日

大丸屋騒動

刀 銘 村正

国立演芸場の花形演芸会で、笑福亭喬介の噺を聞いてきました。昨年の同じ高座で上方落語の大ネタ「たちぎれ線香」を演じた喬介ですが、今年は、やはり大ネタの「大丸屋騒動」をかけました。往年の名人と比べるのは酷というものでしょうが、上方の大ネタを東京で演じるという心意気には頭が下がります。「大丸屋騒動」は、歌舞伎役者の声色を交える芝居噺風、あるいは三味線・太鼓等のはめものなど、上方落語らしい演出が特徴的な噺です。また、商人言葉による軽妙なやりとり、あるいは祇園の花街言葉はじめ京都の風情も、上手く取り込まれています。能楽、浄瑠璃、歌舞伎には、実際に起きた事件に基づく創作が多くありますが、 「大丸屋騒動」も、1773年7月、京都の暑い夜に起きた大文字屋事件を題材にしています。

烏丸通の材木商大文字屋の息子彦右衛門が、先斗町の家で出養生していたところ、心神喪失状態に陥り、手代を斬り殺します。刃を持ったまま四条通に出た彦右衛門は、烏丸通、丸太町と、往来の人々を斬りつけていきます。3名が命を落とし、21名が重軽傷をおったという凄惨な事件です。使われた刀は、粟田口近江守忠綱作の名刀と記録されます。無差別大量殺人は、今も昔もしばしば発生しています。トリガーは様々でも、犯人は、みな心神喪失状態だったのでしょう。この事件の原因は、彦右衛門の疳の虫とだけ記録されているようです。動機やトリガーが明確でないところが、戯作者たちの想像をかきたてるのでしょう。落語「大丸屋騒動」の主人公は、伏見の大商人である大丸屋宗兵衛の弟・宗三郎です。

宗三郎は、兄嫁の嫁入道具であった妖刀村正が気に入り、請うて手元に置きます。宗三郎は、祇園の芸妓おときと将来を誓う仲になります。これを親戚筋から批判された兄宗兵衛は、おときは花嫁修業、宗三郎は出養生に専念し、3ヶ月間会わないことを条件に結婚を許します。夏の暑い日、見張役の番頭と冷えた柳陰を飲み始めた宗三郎は、無性におときに会いたくなります。番頭の目を盗んだ宗三郎は、村正を腰に家を抜け出します。しかし、おときは、宗兵衛にきつく言われた婚礼の条件を頑なに守ろうとします。宗三郎は、脅すつもりで、村正を鞘ごと、おときの肩に当てます。すると鞘が割れ、抜き身となった村正がおときを切り裂きます。気が動転した宗三郎は、下女の首も落とし、先斗町から祇園へ向かい、通りの人々を切っていきます。

現在は中村楼となっている八坂神社の二軒茶屋では、おりしも盆の供養として芸妓・舞子が総出で踊りを披露しています。宗三郎は、その人だかりへと切り込み、あたりは大混乱となります。たまたま所用で上洛し、騒ぎに遭遇した兄宗兵衛は、役人に申し出て宗三郎を取り押さえます。不思議なことに、斬られても刺されても宗兵衛は血を流しません。そのことを役人に問われた宗兵衛は「これは実の弟。切っても切れない血縁。私は伏見(不死身)の商人です」と答えます。これが噺の落ちです。村正は桑名の刀工で、その作は正宗と並び称されます。美しさが際立つ正宗に対して、村正は切れ味の良さで知られます。実戦用の業物として、徳川家康や西郷隆盛などに愛されました。江戸期には、禍をもたらす、あるいは血を求める妖刀として伝説化されます。

実際に起きた大文字屋事件でも、凶器は名刀でした。商人が天下の名刀を持っていることは、いかに商人が隆盛を極めたかということでもあります。しかし、武芸に関してはずぶの素人である商人が名刀を持つことは、間違いも起こりやすいということでもあります。成功した商人たちの増長ぶりへの皮肉も込めた噺なのでしょう。いずれにしても、夏の暑い夜には、信じられないようなことも起こるということです。ちなみに、噺に登場する柳陰は、味醂を製造する際に加える焼酎の量を多くしたものです。要は、アルコール分が高い味醂です。江戸期には、これを冷やして飲むのが乙だったようです。夏の疲れを取るのに糖分が効くということなのでしょう。落語の名作「青葉」で、ご亭主が植木屋にご馳走するのも柳陰です。(写真出典:touken-world.jp)

マクア渓谷