2024年8月8日木曜日

ピタとパン

ポンペイのパン
ピタパンは、地中海沿岸や中東圏で一般的な薄型円形のパンです。パンは、農耕以前から存在したとされますが、考古学的には、ヨルダンで、14,500年前の遺跡からピタに近いものが見つかっているようです。生地を発酵させて焼くパンは、6,000~8,000年前の古代エジプトに登場したといわれます。これもピタに近いものであり、ピタは世界最古のパンとも言われます。薄型のピタに対して、欧州のパンには厚いものが多く、その違いはなぜ生まれたのか不思議です。成形の違いと言えばそれまでですが、いずれも発酵させ、釜で焼くことは同じです。ただ、ピタは直火焼き、欧州のパンは輻射熱を使った間接加熱という違いがあります。

石窯を使い間接加熱方式でパンを焼く場合、まずは薪などで窯を熱します。十分に熱せられた窯の石材は、遠赤外線を発します。これが輻射熱になるわけです。燃え残った薪を窯から掻き出し、生地を入れます。壁から発せられる輻射熱で、生地の表面はパリッと焼き上がり、内部に水分を閉じ込めます。そして、パンの表面を透過した遠赤外線が内部をじっくりと加熱して、しっとりと焼きあげていきます。我々になじみ深い厚さのあるパンは、遠赤外線によって作られているわけです。生地の発酵は、パンの歴史の中で大革命だったと思うのですが、同じように間接加熱も歴史を大きく変えたと言えます。ただ、いつ、どこで間接加熱スタイルが生まれたのかは、よく分かりません。

石窯が登場する以前、エジプトでは素焼きの壺に生地を入れ、火にかけていたようです。その後、釜が使われるようになりますが、当初は、上に開口部のある壺が使われ、内部の壁に生地を貼り付けて焼いていたようです。そのスタイルを今に受け継いでいるのが、北インドのタンドールなのでしょう。壺の底部で薪や炭を燃やし、ナンは壁に貼り付け、肉や魚は金串に刺して焼きます。高温を維持するために上部の開口部は狭く作られています。実に理にかなった構造ですが、タンドールの開口部の高さや狭さは扱いにくさにつながります。そこで、北インド以外では、開口部を横に設けたフロント・ローディング式の石窯に替わっていきます。釜内部の熱を均一に保つ工夫として上部は丸く作られています。

このスタイルの石窯は、東京でもピッツァ窯として見ることができます。このフロント・ローディング式の石窯を活用して、現在に至るパンの調理法を確立したのが古代ギリシャだとされます。興味深いことに、古代ギリシャ人は、ピタを焼くだけでなく、実に様々なパンを発明していたようです。古代ギリシャのパンは、恐らく古代ローマにも受け継がれ、発展していったものと思われます。古代ローマでは、パン屋が登場しています。ポンペイ遺跡では、パン屋跡から当時のパンが炭化した状態で出土しています。放射状に8つの切れ込みを入れた厚みのある丸いパンです。厚みからすれば、間接加熱のように思えますが、炭化の状態を見ると直火のようにも思えます。直火なら、かなり固いパンだったと思われます。

古代ローマが版図を拡大するとともに、製パン技術も欧州各地に広がっていきます。恐らく石窯も、同じように欧州北部へと広がっていったのでしょう。寒さが厳しい欧州北部の暖房は、12世紀頃、囲炉のようなものから暖炉に替わっていったようです。相対的に天井の低い2階建ての建物が増え、防火という観点から誕生したようです。暖炉の火があれば、これを利用してパンを焼くという発想が生まれて当然です。しかし、直火の石窯に比べ、火力が弱いことから、じっくりと時間をかけて焼くことになります。結果的に、表面はパリッと、なかはしっとり、ふんわりとした厚みのあるパンが生まれ、主流となっていったのではないでしょうか。もちろん、これは、勝手な想像に過ぎません。それにしても、パンの間接加熱という大革命に関する歴史情報が少ないことは、実に不思議だと思います。(写真出典:asahi.com)

マクア渓谷