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荘子 |
能楽「胡蝶」の詞章には、中国戦国時代の思想家・荘子の有名な説話「胡蝶の夢」に触れた部分があります。あるとき、荘子は、自分が胡蝶になってひらひらと飛ぶ夢を見ます。夢から覚めると、当然、自分は胡蝶ではなく自分です。しかし、自分の夢の中で自分が胡蝶になったのか、今、胡蝶の夢の中で胡蝶が自分になっているのか、いずれなのか分からなくなります。何ともシュールな説話ですが、荘子の思想を端的に現わしているとされます。何事にもとらわれない自由な境地を求める「無為自然」、そしてその境地に達すれば自ずと自然と一体化するという「一切斉同」という考え方です。つまり、自分なのか、胡蝶なのか、そんな区分など問題ではなく、自由で自然な状態にあることこそが大事だというわけです。
荘子は、老子、列子などとともに、道家と呼ばれます。儒家、墨家と同じく戦国時代に生まれたとされるいわゆる諸子百家の一つです。道家の思想を、ごくごく大雑把に言えば、宇宙や自然の普遍的な法則であり根元的な実体である「道(タオ)」に従って生きることによって、自ずと心の平安も社会的大成も得ることができる、といったものです。礼節によって調和的な社会を目指すといった儒家の思想は人為的なものであり、道に反すると批判しています。興味深いことに、道家の祖とされる老子については、実在性に関する議論が多くあります。老子の思想とされるものは、多くの人々が長い時をかけて考え、結果、一つの形にまとまったのではないかという説もあります。納得性の高い説のように思われます。
というのも、戦乱の世にあって、現実逃避的になること、あるいは超自然的なものにすがることは、ある意味、当然と言えるからです。老荘思想は、道教の成立に大きな影響を与えたとされます。道教は、後漢末期の紀元1世紀頃、自然発生的に形成されたとされる漢民族の民族宗教です。古代の民間信仰をベースとし、道家の神仙思想や仏教の教理等も取り入れて成立したと言われます。不老長生や現世利益を説くことから、民間信仰として広がり、かつ根強く残ったのでしょう。道家も道教も、民衆のなかに生まれ、民衆によって育てられたと言えると思います。日本で道教は広がりませんでした。為政者が治世に活かせるものではなかったからなのでしょう。ただ、神仙思想や神秘主義は、日本の文化にも影響を与えています。
岡本かの子に「荘子」という短編があります。田舎で鬱々と隠居生活を送る荘子が、気晴らしに馴染みの遊女・麗姫を洛邑に訪ねます。麗姫は我儘で奔放に生きている姿が美しく、人々を魅了していました。荘子はその我儘な様子を懐かしんで訪ねて来たと知らされた麗姫は、自分が恥ずかしくなり、行いを改めます。すると麗姫の生気あふれる美しさは影をひそめ、人気は衰えます。一方、麗姫に自由奔放に生きる素晴らしさを見た思いの荘子は、人が変わったように、いきいきと田舎暮らしを楽しむようになります。岡本かの子なりの無為自然の理解なのでしょう。夢のなかの胡蝶だった麗姫は夢から覚め、儒家的な人間になってしまったということかも知れません。(写真出典:ja.wikipedia.org)