2023年9月29日金曜日

「ヒンターラント」

監督:シュテファン・ルツォヴィツキー  2021年オーストリア・ルクセンブルグ

☆☆☆ー

映像は「シン・シティ」を思い起こさせますが、傾いたり、ゆがんだりした街や建物を見ていて思い浮かんだ言葉は”ドイツ表現主義”です。1920年代のベルリンを中心に花開いた前衛芸術運動です。19世紀に印象派が開いた主観的表現を、コンセプトの表現という20世紀のアートへと展開させました。ゆがんだ街は、第一次大戦直後の帰還兵の困惑、ウィーンの混乱が反映された主人公の心象風景なのでしょう。背景は、CGではなく、ブルー・スクリーンとVFXで構成されているようです。それが、またドイツ表現主義的な印象を強めているのでしょう。戦後の混乱や困惑、帝政の崩壊に、ソヴィエトの捕虜収容所というモティーフを加え、猟奇的殺人というストーリーが展開します。実に魅力的で興味深い設定です。

ただ、残念ながら、凡庸な脚本が、モティーフをこなし切れておらず、意欲的なVFXの背景の威力も発揮しきれていません。素材の面白さに力が入りすぎ、やや収拾がつかなくなった感があるように思います。一定のムードや緊張感の維持には、監督の力量の高さを感じさせるだけに、残念な結果だったと思います。監督は、オーストリア出身で、CMやミュージック・ビデオで実績を積み、映画に進出したようです。2007年には「ヒトラーの贋札」でアカデミー外国語映画賞を獲得しています。ナチスが英国ポンドの贋札づくりを行ったベルンハルト作戦に基づく映画でした。コメディですが「エニグマ奪還」なる映画も撮っていますから、時代への執着があるのかもしれません。

ソヴィエトでの捕虜収容所というモティーフは興味深いものがあります。通常、戦争捕虜は、後方攪乱の意味から脱走や騒動を企てます。そのための組織化ならば、理解できるところです。ただ、管理側に与して保身を図る捕虜組織がうまれると、捕虜の間に軋轢や怨嗟が生まれます。また、ソヴィエトの場合、赤化教育という問題もあり、各国は帰還兵の扱いに神経を使います。日本のシベリア抑留は、戦争捕虜ではありませんが、同じような問題が起きています。帰国した捕虜たちの多くは、こうした問題を語ろうとしません。極めて異常な状況下で起きた事と諦めているのか、あるいは関係者が多すぎるので発言が憚られたのかも知れません。世界中の捕虜収容所で起きたことの多くは闇の中だと思われます。

オーストリア=ハンガリー帝国は第一世界大戦に敗れ、650年続いたハプスブルク家の時代が終わります。カイザーのいないウィーンは天地がひっくり返った状態となり、帰還兵たちはカイザーのために戦った兵士として白い眼で見られます。敗戦後の日本も似たような状況だったのでしょうが、天皇は残り、帰還兵も白眼視されることはありませんでした。とかく敗戦国の帰還兵は苦労するものなのでしょうが、第一世界大戦後のオーストリア兵の状況はとりわけ厳しいものだったと思います。厳しかったのは帰還兵だけではありませんでした。ハプスブルク王朝が滅亡しなければ、中欧の諸国はこれほど永い苦難の歴史を経験しなくともすんだであろう、とはチャーチルの言葉です。

いずれにしても、興味深いモティーフが多く、個々のモティーフを深掘りした映画が見たくなります。さて、肝心な脚本ですが、着想は悪くないのですが、ミステリの作り方が分かっていないのではないか、と思わせるほど展開が良くないわけです。例えば、判じ物のバラしが早いので、もう一段、二段のどんでん返しがあるものと思っていました。あるにはあったのですが、素人にも予測出来るような代物でがっかりしました。監督や脚本家が再度ミステリを作ることがあるとすれば、是非、ヒッチコック映画を研究してからにした方がいいと思います。(写真出典:imdb.com)

2023年9月27日水曜日

100kmウォーク

人生のなかで、一番長く歩いたのは、奥入瀬渓流から十和田湖畔のキャンプ場までの約25kmだったと記憶します。中学3年生の頃であり、体力もあり、仲間たちとワイワイ言いながら歩いたので、疲れはしましたが、さほどしんどかった記憶はありません。キャンプ場到着後には、テントを張り、夕食を作り、キャンプ・ファイヤーを囲んで遅くまで盛り上がりました。江戸時代の旅人は、平坦な道であれば、成人男性は日に10里(40km弱)、 女性で8里くらい歩いたものだそうです。25kmなど、老女の距離だったわけです。昔の人は、ナイキのシューズも履かずによく歩いたものだと思います。ただ、わらじは、長距離を歩くのには合理的だったとも聞きます。足底全体に体重が乗るので、疲れにくいということのようです。

「行橋~別府100キロウォーク」なるイベントが行われているのを知ったのは10年ほど前のことでした。毎年春、福岡県の行橋から大分県の別府までの100km強を、一昼夜かけて歩くというイベントです。前半は平坦な道が多いのですが、国東半島にかかる後半は、厳しい峠道を上り下りすることになります。5千人ほどが参加し、うち7割ほどが完歩するようです。制限時間は26時間。早い人は12時間くらいで完歩するようです。各自の判断で短い休憩は、随時、取ります。長く休むと、それ以上歩けなくなるようです。男性が途中棄権する理由の多くは、股ずれだと聞きました。対策を施して参加するのでしょうが、それでも厳しいようです。比較的効果があるのは馬油を塗ることだそうです。そんな馬油の使い方も初めて知りました。

実に過酷なチャレンジですが、興味をそそられました。結果的には、日程上、無理があり、参加することはありませんでした。日頃から歩いているわけでもないので、参加しても早々に途中棄権していたとは思うのですが、それでも何故か気になるチャレンジでした。背景には、マラソンは無理でも、歩くのであれば出来そうだという甘い考え方があるのでしょう。全国には、20弱の100kmウォーク・イベントがあるようです。レースではなく、あくまでもイベントという位置づけになっているようです。これがタイム・レースだとすれば、あまりにも過酷な競技だと言えます。ところが、世の中には過酷さを追い求める人たちも多く、超長距離のマラソンはじめ、ほぼ登山のトレイル・ラン、あるいは砂漠のマラソンもあります。

これは、いわゆるβエンドルフィンの効果ということになるのでしょう。人間の脳は、物理的な痛みに伴うストレスを感じると、それを緩和するためにβエンドルフィンを分泌すると言われます。βエンドルフィンは、幸せホルモンと呼ばれるドーパミンの分泌を高めて、多幸感を生み出します。βエンドルフィンは、モルヒネと同じような効果を与えることから脳内麻薬とも呼ばれるようです。これが、ランナーズ・ハイを生むメカニズムだとされます。多幸感を得るこのサイクルが脳内で学習されると、いわゆる”ハマる”という状態になり、運動に限らず、激辛食やサウナでも同じことが起きるわけです。なお、近年は、βエンドルフィンではなく大麻と同じ成分を持つ内因性カンナビノイドが主要因だとする説が有力になりつつあるようです。

一説によれば、βエンドルフィンは、多少息があがる程度の有酸素運動を30分続ければ分泌されるそうです。ただ、有酸素運動を続ければ、体力がついてきて、30分程度ではストレスを感じなくなるものと思われます。そこでβエンドルフィンを求めるエスカレートのサイクルに入るわけです。激辛も、サウナも同じなのでしょう。サウナと言えば、近年のブームを受けて、いつも行くスーパー銭湯でも熱波師が来たり、機械で自動的に熱波を送るオート・ロウリュウが導入されています。過日、オート・ロウリュウを試したところ、軽い火傷に近い状況に陥りました。 薬も過ぎれば毒となる、といったところでしょうか。左足の血流に若干の問題を抱え、かつ年齢も年齢なので、誠に残念ではありますが、100kmウォークにチャレンジする日は来ないだろうなと思っています。(写真出典:nishinippon.co.jp)

2023年9月25日月曜日

「アステロイド・シティ」

監督:ウェス・アンダーソン        2023年アメリカ 

☆☆☆☆

もうここまで来れば、ひたすらウェス・アンダーソン・ワールドを楽しむだけだと思います。とにかく見ていて気持ちがいい。それに尽きます。本作は、1950年代アメリカのスター・ゲイザーの少年少女が主なモティーフになっています。それだけで十分以上にウェス・アンダーソン・ワールドが炸裂しています。今回、監督が、最もやりたかったことは劇中劇なのかも知れません。違和感もなくスムーズに劇中劇が展開されるあたりは、ウェス・アンダーソンの力量を感じさせますが、一方でその必要性についてはやや疑問な面もありました。TV番組を使った劇中劇のフレームは、50年代アメリカ文化をシニカルに映し出すために欠かせなかったのかも知れません。

今年の春、AWA展を見に行きました。AWAとは”Accidentally Wes Anderson”であり、偶然、ウェス・アンダーソン的風景を見つけた世界中の人々が写真を投稿するサイトです。実際にウェス・アンダーソンの映画に登場していたかのような写真が並びます。そのなかの傑作を集めて美術展にしたのがAWA展です。韓国で開催されて評判となり、東京でも開催されました。レトロでキッチュでパステル・カラーにあふれた写真の数々は、とても楽しいものでした。特に1950年代テイストが感じられる作品が、無条件に心地良いと感じました。恐らく、自分が子供だった頃、つまり最も幸せだった頃にあこがれたモダニズムを思い出させてくれるからなのだろうと思います。

ウェス・アンダーソン映画の特徴の一つは、様式化されたパステル・カラーの映像ですが、今年、大ヒットしたグレタ・ガーウィグの「バービー」も、映像としてはAWA的なところがありました。演出も、似ているように見えますが、大きな違いがあります。バービーは、監督の主張するところを観客に押し込んでいくスタイルであり、ウェス・アンダーソン映画の自然主義的なアプローチとは全く異なります。独特なテンポや間合いが生み出すウェス・アンダーソン映画のコミカルで軽い風合は、リネンのようでもあります。縦糸には、人間に対する愛があり、そこに織り込まれる横糸に何を感じるかは、観客に委ねられています。映画のスムーズな展開は、アレクサンドル・デスプラの音楽によるところも大きいと言えます。

フランスが誇る希代の才人デスプラは、アカデミー賞を2回受賞していますが、最初の受賞は、ウェス・アンダーソンの「グランド ブダペスト ホテル」(2014)でした。デスプラに限らず、ウェス・アンダーソンは、常連のスタッフやキャストとともに映画を作っています。俳優では、今回もジェイソン・シュワルツマンやエドワード・ノートン等が出ています。ただ、いつもより常連が少ないように思います。代ってトム・ハンクス、スカーレット・ヨハンセン、ティルダ・スウィントン、ウィレム・デフォー、さらにはマーゴット・ロビーまで登場します。豪華な俳優陣が揃い、かつ皆がウェス・アンダーソン的演技に徹しています。これも、ウェス・アンダーソンの評価と実績の高さの証明なのでしょう。

ウェス・アンダーソン映画に惹かれる理由は、パステル・カラーやテンポだけではありません。一つは、そこはかとなく漂う連帯感です。これが押しつけがましさのない不思議な幸福感を与えてくれます。そして、今一つは、うまく表現できないのですが、映画に流れているシュールな空気感が与えてくれる自由な感覚と微妙な寂寥感です。夜見る夢とほぼ同じ印象があり、ポール・デルヴォーの絵画にも同じものを感じます。現実と無意識との間にある何かのように思えます。それはウェス・アンダーソンの感性が自然に生むものであり、意図なものとは思えません。ひょっとすると、それは、映画という表現の本質に関わっているのかも知れません。(写真出典:asteroidocity-movie.com)

2023年9月24日日曜日

相撲節会

相撲節会図
相撲、レスリングの類いは、太古の昔から、世界各地で行われていたのでしょう。日本の相撲は、豊作祈願や豊凶占い、あるいは悪霊封じとして、古くから行われていた神事だったようです。古墳時代の埴輪には力士像がありますから、少なくとも1,600年くらい前には定着していたことになります。一般的に相撲の起源とされるのは、日本書紀に記載される野見宿禰と当麻蹴速との対戦です。大和の当麻邑の蹴速は、強力を誇り、生死をかけて勝負する者を探していました。これを聞きつけた垂仁天皇は、出雲国で勇士と評判の野見宿禰を召し出し、対戦させます。両者、激しく戦い、宿禰に腰の骨を折られた蹴速は命を落とします。宿禰は、蹴速が所有していた土地を与えられ、永らく垂仁天皇の側に仕えたとされます。

第11代天皇とされる垂仁天皇は、実在するとすれば、3世紀後半から4世紀前半の大王だったと推定されています。記紀等によれば、垂仁天皇は、娘の倭姫命に天照大神を祀る地を探すように命じます。諸国を巡った倭姫命は、神託を受けて伊勢神宮を創建します。また、垂仁天皇は、天皇の直轄地である屯倉を最初に作ったともされます。ヤマト王権草創期を担った大王なのでしょうが、この時点では、まだ部族連合の頂点に立っていなかったと思われますが、宿禰を出雲国から呼んだということは、出雲は既に支配下にあったということなのでしょう。いずれにしても、これ以降、宮中で相撲が取られるようになり、7~8世紀頃には相撲節会として行事化されることになります。相撲節会の初出は、734年、聖武天皇の時代とされます。疫病や天災に苦しんだ時代であり、大仏も建立されています。

相撲節会は、七夕の余興として行われていたようですが、その後、多少意味合いが変わり、独立した行事として運営されることになります。8世紀末、律令制の立て直しを図った桓武天皇は、地方兵力として健児の制を全国に布きます。健児とは、兵士を意味し、律令体制のなかで整備されましたが、その後、途絶えていました。相撲は、健児の鍛錬の一環として推奨され、相撲節会も式部省から兵部省の管轄に代わります。そして、相撲節会は、七夕から独立した行事となっていきます。相撲は、神事から武芸へと変質したわけです。12世紀に至り、平安京が不穏な時代を迎えると、宮中の相撲節会も廃れていったようです。ただ、迎えた戦乱の世にあって、相撲は武士の鍛錬、実戦における技として、広がっていくことになりました。

宮中行事であったために、相撲節会の記録は、詳細に残されることになりました。まずは、宮中を警護する左右の近衛府が、全国から力士を選抜し、招集します。集まった力士たちは、節会に向けて稽古を重ねますが、天皇もこれを検分したと言います。今の横審稽古総見を思わせます。立ち会いは立ったまま行われ、掛け声とともに取り組みが開始されます。勝者は、土俵上で勝者の踊りを舞っていたようです。また物言いの制度もあり、決着がつかない場合には、天皇が裁可しました。また最後の取り組みを行う力士は最手(ほて)と呼ばれ、特別な扱いを受けたようです。まさに後の横綱・大関そのものです。つまり、相撲は、相撲節会として宮中行事化されることで、今につながる競技の形を形成したわけです。

江戸期の始め、寺社が建築資金等を集めるために”勧進相撲”を始めます。ただ、勝負の結果を巡る争いが絶えなかったことから禁止されます。ところが、明暦の大火が起こり、寺社再建のために勧進相撲は再び解禁されます。寺社奉行のもとに興業団体も組織化され、複数の場所で定期開催されようになっていきます。そして、1768年には、回向院で大規模な興業が行われ、ここに江戸相撲が形を成し、江戸庶民の人気を集めることになります。さて、宮中での相撲節会が廃れてから900年経ちますが、天覧相撲は、今も続いています。2019年初場所の天覧相撲は語り草となっています。取り組みが終わり、席を立たれた平成天皇ご夫妻に、館内から万歳三唱が起こります。平成天皇は、その年5月に退位が決まっており、これが最後の天覧相撲でした。万歳の声を聞いた天皇は、席に戻り、館内に手を振ったのでした。(写真出典:shoryobu.kunaicho.go.jp)

2023年9月22日金曜日

カノム・チャン

タイ旅行の楽しみの一つは、明らかに料理だと思います。今回、三食付きのツアーを利用しての旅でしたが、食事はどれも美味しく、はずれなしでした。一番驚いたのは”カオマンガイ”です。シンガポール名物”ハイナン・チキン・ライス” のタイ版です。カオマンガイが大人気だという”ルエントン”という店で食べました。ホテルのなかにある大きな店ですが、超満員で、かつ皆がカオマンガイを食べていました。ハイナン・チキン・ライスは好物ですが、本場シンガポールの最も有名な店でも食べたことがあるので、それを超えるとは思っていませんでした。ところが、優に超えていました。驚くほどしっとり仕上がった鶏肉、香り高いだけでなく味付けも濃いめのジャスミン・ライス、人生最高のカオマンガイだったと言えます。

タイ料理の魅力は、複雑な味にあると言われます。五味のうち、甘味、酸味、塩味、旨味を組み合わせ、そこに辛味と香りがプラスされます。さらには、ココナツ・ミルクを加えれば味にマイルドな深みが出ます。代表料理と言えばトム・ヤム・クンですが、今回はエビではなく鶏肉を使ったトム・ヤム・ガイや、ココナツ・ミルクを入れたナムコン、入れないナムサイも食べました。どれも美味しくいただきました。近年、名物として認知が高まったカニと卵の”プー・パッ・ポンカレー”も2度ほど食べました。間違いなく美味しいわけです。発祥の店はバンコクにあるので、一度行ってみたいと思います。他にも、定番のカレーにマッサマン・カレー、パッタイ、ヤム・ウンセン、ガイヤーン等々の定番も楽しみました。

一つ覚えた料理もあります。至って単純なキャベツのナンプラー炒めです。バーンパコン川に面したおしゃれな川魚の店にいった際、付け合わせとして出されたのですが、これが美味しくて、作り方を聞きました。帰国後、自分なりにアレンジして作っているのですが、簡単で美味しく、定番になりつつあります。実は、今回、ねらっていた食べ物があります。タイの庶民的な定番お菓子”カノム・チャン”です。ところが、レストランのデザートと言えば、フルーツばかりで、お菓子系は出てこないのです。ところが、ガイドに勧められたホテル近くのマンゴー屋で見つけました。ココナツ・ミルクをかけ、塩味のバスマティと一緒に食べるマンゴーも珍しいのですが、できたてのカノム・チャンには感動しました。

カノム・チャンは、タピオカ粉と上新粉に、ココナッツ・ミルクと砂糖を加えて蒸し上げたお菓子です。印象的には、ういろう、鯨餅系です。カノムはお菓子を意味し、チャンは層のことだと言います。白と緑の層が、タイではおめでたい数字とされる9層に重ねられています。ほのかな甘味、ココナツ等の風味、そしてプニュッとした食感がたまりません。東京のマンゴツリーで食べるカノム・チャンも美味しいのですが、冷えて、やや柔らかさを失っています。マンゴー屋では、出来たてだったとみえて、ほの温かく、プルプルの食感でした。カノム・チャンの作り方は、一層を蒸し上げたら、次の層を重ねてまた蒸すという、とても手間暇のかかるものです。家庭で作るよりも、買って食べるお菓子のようです。

タイのビールと言えば”シンハー”です。バンコクで飲むと、シンハーってこんなに美味しかったかな、とさえ思うわけです。ビールに限らず、土地の料理や酒は、その土地の気候に合うように作られています。すっきりと軽いテイストのシンハーも、東京ではなくバンコクで飲むべきものなのでしょう。今年の夏は異常な暑さとなり、残暑も厳しいものがあります。果たして、これは異常気象なのか、あるいは常態化するものなのかは分かりません。蒸し暑い日に、バンコクのスーパーで買い込んだインスタント食品の刺激的な辛さや酸味を味わっていると、なぜか元気が出てきます。温暖化が進むとともに、日本でも、タイ料理が、より一層、広まっていくように思えてきます。(写真出典:thailand-navi.com)

2023年9月20日水曜日

ピンク・ガネーシャ

バンコクから車で東へ約90分行くと、バーンパコン川にたどり着きます。そのほとりにワット・サマーン・ラッタナーラームがあります。巨大なピンク色のガネーシャが祀られ、御利益があるというので、タイの人々に大人気だそうです。我々が行ったのは土曜の午前中でしたが、既に大混雑でした。参道には、日本漫画のキャラクターのフィギュアが置かれ、どう見ても安っぽい田舎の遊園地といった風情でした。ただ、巨大なピンク・ガネーシャや観音像には圧倒されました。聞けば、たいそう御利益があり、しかも願いは他の3倍以上の早さで叶うとのこと。そもそもガネーシャは、ヒンドゥー教の神様ですが、現世利益の代表格として大人気であり、インドではいたるところで見かけます。

ガネーシャは、シヴァとパールヴァティーの長男です。パールヴァティーが、自らの体の汚れを集めて人形を作り、息を吹き込み、ガネーシャが生まれます。ガネーシャが母の言いつけで浴室の見張りをしているところへ、シヴァが戻り、父と知らないガネーシャは、シヴァを拒みます。怒ったシヴァは、ガネーシャの首をはね、遠くへ投げ捨てます。それが我が子と聞かされたシヴァは、首を探しますが見つからず、最初に出会った象の首を切って持ち帰り、ガネーシャの体につけて復活させます。また、インドの叙事詩「マハーバーラタ」の著者ヴィヤーサが文盲だったため、ガネーシャは自らの牙を折り、それを筆代わりに筆記したとされます。こうして象の頭に片方が折れた牙、そして4本の手を持つガネーシャが誕生します。

ガネーシャは、障害を取り除き福をもたらす神とされ、ことに商売繁盛や学業成就といった願いが叶うとされているようです。経験な仏教国のタイで、なぜヒンドゥーの神が信仰を集めているのかということが気になりました。ところが、ガネーシャは、仏教でも、梵天や帝釈天と同様に教えや信徒を守る護法神として信仰されているとのこと。上座部仏教だけかと思いきや、密教でも歓喜天、あるいは聖天として信仰されているようです。ただ、タイのように現世利益の塊として信仰を集めているわけではありません。見た目の印象で言えば、タイの上座部仏教は、即物的で、現世利益を重視する信仰的傾向が強いように思えます。大乗に慣れ親しんだ我々からすれば、同じ仏教とは言え、かなりの違和感を覚えます。

上座部仏教は、大乗に対して小乗とも呼ばれます。個人の解脱を求める上座部は、衆生救済を掲げる大乗仏教から見れば、小さいというわけです。馬鹿にした言い方です。上座部仏教では、出家したものだけが輪廻転生から解脱できるとされます。個人救済的であることが、在家信者による現世利益指向、あるいは宗教的であるよりも信仰的色彩を濃くしているのかもしれません。大乗仏教の中国や日本では、この現世利益指向を道教や神道が担ってきたようにも思えます。タイの信者は、仏像や僧侶の前で長い時間祈っていますが、読経するわけではなく、願い事を繰り返し唱えているのでしょう。花や食物といった日々の供物、そして浄財の寄進は功徳ではありますが、現世利益を強く求める信心の現れとも思えます。

タイの寺院や仏像の多くは、見た目に大きく、金で覆われたきらびやかなものです。現世利益を分かりやすく伝えるため、見た目のありがたさが重視されたのだと思います。また、それを可能にする莫大な寄進が背景にあるわけです。ちなみにピンク・ガネーシャは、2011年に建立されています。日本では古刹ほどありがたがられる傾向がありますが、タイでは基準が違うようです。また、人々が週末に家族総出でお参りする様は、テーマパークを思わせるものもあります。バンコク郊外や遠方の寺院では、この点も十分に考慮されているのではないでしょうか。現世利益面だけを強調して書きましたが、タイの人々には功徳の発想が根付いていることは間違いないと思います。「微笑みの国」というキャッチ・コピーも、何かと合掌する習慣も、功徳の発想がベースにあるのでしょう。(写真出典:veltra.com)

2023年9月18日月曜日

天使の都

ワット・アルン
バンコクの正式名称は、とてつもなく長く、首都としては世界一長いと聞いたことがあります。あまりにも長いので、思い切り省略してバンコクと呼ぶのだろうと思っていました。今般、タイに旅行して、長い正式名称のなかにバンコクという言葉が含まれていないことを初めて知りました。法的に定められたバンコクの正式名は、その長い儀礼的名称の始めの言葉からとった”クルンテープ・マハーナコーン”だそうです。また、タイの人たちは、通常”クルンテープ(天使の都)”と呼んでいるとのこと。日本も西洋ではJapanと呼ばれていますが、これは日本の中国語発音”Rìběn”が元になっています。中国語のRはJにも聞こえなくはないところがあります。西洋人には、”Jìběn”と聞こえ、Japanになったのでしょう。

では、バンコクという名前は、一体、どこから出てきたのか、気になりました。アユタヤ王朝時代の16世紀前半、マラッカに進出したポルトガルがタイにも上陸します。ポルトガルは、現在のバンコク中心部とはチャオプラヤ川をはさんだ対岸のトンブリーに拠点を築きます。ポルトガル兵が地元民に地名を聞くと”パームコーム(ゴムの木が生えている水辺の村)”と答えます。それを固有名詞と勘違いしたことから、海外ではバンコクという地名が広まったのだそうです。ちなみに、私が子供の頃、チャオプラヤ川は“メナム川”と呼ばれていました。メナムとはタイの言葉で川のことです。西洋人が”メナム・チャオプラヤ”を”メナム”と略し、それが広まっていったようです。

西洋による地図上の発見、つづく植民地競争の時代の産物です。世界中に似たような話があるのでしょう。ネイティブ・アメリカンをインディアンと呼んだことなど、まさに典型です。後年、メナム川は、さすがにチャオプラヤ川に変えられました。ただ、バンコクはそのままです。Japanのような発音の違いによる場合はまだしも、勘違いで生まれた名前は、正した方がいいように思います。とは言え、これほど世界的に定着した名称を、変えていくことは至難の技であり、コストも膨大なものになると思われます。例えば、植民地時代の屈辱的な名称であれば、いくらかかっても正すべきですが、バンコクの場合は微妙なところです。ちなみに、タイはアジアで唯一、建国以来、独立を維持している国です。

タイが独立を守れたのは、軍事力がゆえではありません。例えば、宿敵ビルマとは勝ったり、負けたりです。アユタヤ遺跡は、ビルマ軍に破壊された王都跡です。タイが独立を維持できた理由としては、まずは地政学上の優位性があげられます。植民地を拡大する英仏が、タイを緩衝地帯にすることで合意しました。また、タイの近代化への取り組みの成果とも言われます。それらの背景には、名君と言われるラーマ5世チュラロンコーンの存在があります。その在位は、1868~1910年であり、ちょうど日本の明治時代に重なります。チャクリー改革と呼ばれる中央集権化、近代化の取り組みを進めました。また、英仏にマレー半島、ラオス、カンボジアでの宗主権を割譲させられたものの、独立は守るという外交手腕を発揮しています。また、ラーマ5世は、奴隷を解放したことでも知られます。

東南アジアを代表する大都市にして、世界有数の観光都市でもあるバンコクには、モダンな高層建築と仏教国らしい古刹が共存します。おしゃれな商業施設の周囲には東南アジア的な雑踏が広がり、経済成長とともに拡大した貧富の差を感じさせます。急速に過ぎた経済成長は、インフラ整備の遅れをもたらし、名物とも言える大渋滞や絡まった無数の電線を生んでいます。正式名称では帝釈天が作ったとされる天使の街は、混沌のなかにあると言えます。ただ、不思議なことに、活気あふれる街に無秩序感は感じられません。バンコクでは、黄色い袈裟をまとった僧侶に花や食物を捧げる人々を多く見かけます。恐らく経験な仏教国であることが、天使の街の秩序を保っているのでしょう。(写真出典:travel.co.jp)

川上