2023年9月18日月曜日

天使の都

ワット・アルン
バンコクの正式名称は、とてつもなく長く、首都としては世界一長いと聞いたことがあります。あまりにも長いので、思い切り省略してバンコクと呼ぶのだろうと思っていました。今般、タイに旅行して、長い正式名称のなかにバンコクという言葉が含まれていないことを初めて知りました。法的に定められたバンコクの正式名は、その長い儀礼的名称の始めの言葉からとった”クルンテープ・マハーナコーン”だそうです。また、タイの人たちは、通常”クルンテープ(天使の都)”と呼んでいるとのこと。日本も西洋ではJapanと呼ばれていますが、これは日本の中国語発音”Rìběn”が元になっています。中国語のRはJにも聞こえなくはないところがあります。西洋人には、”Jìběn”と聞こえ、Japanになったのでしょう。

では、バンコクという名前は、一体、どこから出てきたのか、気になりました。アユタヤ王朝時代の16世紀前半、マラッカに進出したポルトガルがタイにも上陸します。ポルトガルは、現在のバンコク中心部とはチャオプラヤ川をはさんだ対岸のトンブリーに拠点を築きます。ポルトガル兵が地元民に地名を聞くと”パームコーム(ゴムの木が生えている水辺の村)”と答えます。それを固有名詞と勘違いしたことから、海外ではバンコクという地名が広まったのだそうです。ちなみに、私が子供の頃、チャオプラヤ川は“メナム川”と呼ばれていました。メナムとはタイの言葉で川のことです。西洋人が”メナム・チャオプラヤ”を”メナム”と略し、それが広まっていったようです。

西洋による地図上の発見、つづく植民地競争の時代の産物です。世界中に似たような話があるのでしょう。ネイティブ・アメリカンをインディアンと呼んだことなど、まさに典型です。後年、メナム川は、さすがにチャオプラヤ川に変えられました。ただ、バンコクはそのままです。Japanのような発音の違いによる場合はまだしも、勘違いで生まれた名前は、正した方がいいように思います。とは言え、これほど世界的に定着した名称を、変えていくことは至難の技であり、コストも膨大なものになると思われます。例えば、植民地時代の屈辱的な名称であれば、いくらかかっても正すべきですが、バンコクの場合は微妙なところです。ちなみに、タイはアジアで唯一、建国以来、独立を維持している国です。

タイが独立を守れたのは、軍事力がゆえではありません。例えば、宿敵ビルマとは勝ったり、負けたりです。アユタヤ遺跡は、ビルマ軍に破壊された王都跡です。タイが独立を維持できた理由としては、まずは地政学上の優位性があげられます。植民地を拡大する英仏が、タイを緩衝地帯にすることで合意しました。また、タイの近代化への取り組みの成果とも言われます。それらの背景には、名君と言われるラーマ5世チュラロンコーンの存在があります。その在位は、1868~1910年であり、ちょうど日本の明治時代に重なります。チャクリー改革と呼ばれる中央集権化、近代化の取り組みを進めました。また、英仏にマレー半島、ラオス、カンボジアでの宗主権を割譲させられたものの、独立は守るという外交手腕を発揮しています。また、ラーマ5世は、奴隷を解放したことでも知られます。

東南アジアを代表する大都市にして、世界有数の観光都市でもあるバンコクには、モダンな高層建築と仏教国らしい古刹が共存します。おしゃれな商業施設の周囲には東南アジア的な雑踏が広がり、経済成長とともに拡大した貧富の差を感じさせます。急速に過ぎた経済成長は、インフラ整備の遅れをもたらし、名物とも言える大渋滞や絡まった無数の電線を生んでいます。正式名称では帝釈天が作ったとされる天使の街は、混沌のなかにあると言えます。ただ、不思議なことに、活気あふれる街に無秩序感は感じられません。バンコクでは、黄色い袈裟をまとった僧侶に花や食物を捧げる人々を多く見かけます。恐らく経験な仏教国であることが、天使の街の秩序を保っているのでしょう。(写真出典:travel.co.jp)

マクア渓谷