2023年9月20日水曜日

ピンク・ガネーシャ

バンコクから車で東へ約90分行くと、バーンパコン川にたどり着きます。そのほとりにワット・サマーン・ラッタナーラームがあります。巨大なピンク色のガネーシャが祀られ、御利益があるというので、タイの人々に大人気だそうです。我々が行ったのは土曜の午前中でしたが、既に大混雑でした。参道には、日本漫画のキャラクターのフィギュアが置かれ、どう見ても安っぽい田舎の遊園地といった風情でした。ただ、巨大なピンク・ガネーシャや観音像には圧倒されました。聞けば、たいそう御利益があり、しかも願いは他の3倍以上の早さで叶うとのこと。そもそもガネーシャは、ヒンドゥー教の神様ですが、現世利益の代表格として大人気であり、インドではいたるところで見かけます。

ガネーシャは、シヴァとパールヴァティーの長男です。パールヴァティーが、自らの体の汚れを集めて人形を作り、息を吹き込み、ガネーシャが生まれます。ガネーシャが母の言いつけで浴室の見張りをしているところへ、シヴァが戻り、父と知らないガネーシャは、シヴァを拒みます。怒ったシヴァは、ガネーシャの首をはね、遠くへ投げ捨てます。それが我が子と聞かされたシヴァは、首を探しますが見つからず、最初に出会った象の首を切って持ち帰り、ガネーシャの体につけて復活させます。また、インドの叙事詩「マハーバーラタ」の著者ヴィヤーサが文盲だったため、ガネーシャは自らの牙を折り、それを筆代わりに筆記したとされます。こうして象の頭に片方が折れた牙、そして4本の手を持つガネーシャが誕生します。

ガネーシャは、障害を取り除き福をもたらす神とされ、ことに商売繁盛や学業成就といった願いが叶うとされているようです。経験な仏教国のタイで、なぜヒンドゥーの神が信仰を集めているのかということが気になりました。ところが、ガネーシャは、仏教でも、梵天や帝釈天と同様に教えや信徒を守る護法神として信仰されているとのこと。上座部仏教だけかと思いきや、密教でも歓喜天、あるいは聖天として信仰されているようです。ただ、タイのように現世利益の塊として信仰を集めているわけではありません。見た目の印象で言えば、タイの上座部仏教は、即物的で、現世利益を重視する信仰的傾向が強いように思えます。大乗に慣れ親しんだ我々からすれば、同じ仏教とは言え、かなりの違和感を覚えます。

上座部仏教は、大乗に対して小乗とも呼ばれます。個人の解脱を求める上座部は、衆生救済を掲げる大乗仏教から見れば、小さいというわけです。馬鹿にした言い方です。上座部仏教では、出家したものだけが輪廻転生から解脱できるとされます。個人救済的であることが、在家信者による現世利益指向、あるいは宗教的であるよりも信仰的色彩を濃くしているのかもしれません。大乗仏教の中国や日本では、この現世利益指向を道教や神道が担ってきたようにも思えます。タイの信者は、仏像や僧侶の前で長い時間祈っていますが、読経するわけではなく、願い事を繰り返し唱えているのでしょう。花や食物といった日々の供物、そして浄財の寄進は功徳ではありますが、現世利益を強く求める信心の現れとも思えます。

タイの寺院や仏像の多くは、見た目に大きく、金で覆われたきらびやかなものです。現世利益を分かりやすく伝えるため、見た目のありがたさが重視されたのだと思います。また、それを可能にする莫大な寄進が背景にあるわけです。ちなみにピンク・ガネーシャは、2011年に建立されています。日本では古刹ほどありがたがられる傾向がありますが、タイでは基準が違うようです。また、人々が週末に家族総出でお参りする様は、テーマパークを思わせるものもあります。バンコク郊外や遠方の寺院では、この点も十分に考慮されているのではないでしょうか。現世利益面だけを強調して書きましたが、タイの人々には功徳の発想が根付いていることは間違いないと思います。「微笑みの国」というキャッチ・コピーも、何かと合掌する習慣も、功徳の発想がベースにあるのでしょう。(写真出典:veltra.com)

マクア渓谷