2022年2月28日月曜日

ホテルの備品

正直に告白します。実は、30年前、沖縄の残波岬ロイヤルホテルからバス・タオルを持ち帰りました。盗むつもりなどありませんでした。チェックアウト後に、ホテルのビーチで遊ぼうと思い、持ち出しました。後で、フロントへ返すつもりでしたが、出発時、時間がタイトになってしまい、結果、そのまま持ち帰りました。ホテル仕様のバス・タオルは、とても丈夫にできているので、自宅で永らく、大切に使わせていただきました。誠に申し訳なかったと思っております。

数年前、舞浜のホテルで社長を勤めていた知人から聞いた話ですが、中国からのお客さまが、ホテルの備品を様々持ち帰るので困っているというのです。最も多いのが、カトラリーであり、被害額は、年間、1千万円を超えるとも言っていました。中国からの観光客が急増し、いわゆる”爆買い”という言葉が生まれた頃のことです。中国沿岸部を中心に、富裕層が生まれるなど、個人の収入が上がり、またヴィザが緩和されたこともあって、中国からの旅行客が急増したわけです。さらに円安が続き、日本での買い物が割安だったことも大きな誘因でした。高度成長期の日本人がそうだったように、多くの中国人も、まだ旅慣れていないからこそ発生する事象なのだろうと思っていました。

ところが、件数は別としても、ホテルからの備品の持ち帰りは、日々、世界中で発生しているものだそうです。欧州の5つ星と4つ星ホテルの従業員各500人に、”持ち帰り”に関するアンケートをしたという記事を読みました。”持ち帰り”と言っていますが、立派な”盗難”です。部屋の備品を盗めば、犯人は明確です。にもかわらず、よくやるな、と思います。アンケートは、客の国籍によって持ち帰る品に違いはあるか、という内容です。はっきりと国民性が出るもののようです。フランス人のTVやステレオ、スイス人のドライヤー、オーストリア人の食器、イタリア人のワイン・グラス、ドイツ人のタオル、オランダ人の電球とトイレット・ペーパーなどです。陸続きの欧州では、車を使って旅をすることも多く、客室フロアから駐車場へ直行できるエレベーターがあれば、簡単に持ち帰ることができるわけです。

さらに、驚いたことに、4つ星よりも5つ星ホテルの方が、高級品を持ち帰る傾向が多いようです。例えばTVは4つ星の9倍、美術品は5.5倍、タブレットPCは8倍、そしてマットレスが8.1倍だそうです。ここまでくると、開いた口が塞がりません。5つ星に対して4つ星ホテルでの持ち帰りは、運びやすい消耗品が多いようです。5つ星ホテルの方が、設備も良く、宿泊料も高いはずです。高額なホテル代を支弁できる人たちの方がモラルが低いということになります。何故かは分かりません。お金持ちは強欲だと言うべきか、強欲だからお金持ちになったと言うべきなのでしょうか。料金が高いので、多少の持ち帰りくらい許されるとでも思うのでしょうか。いずれにしても、高級ホテルで、備品の持ち帰りをするのは、当然、常連客ではありません。

5つ星ホテル、ラグジュアリー・ホテル等の基準は、格付する機関によって異なるのでしょうが、清潔・快適といったホテルとしての基本要素だけでないことは明らかです。豪華な設備、贅沢な空間、評価の高いレストラン、行き届いたサービス、あるいは格式の高さや伝統といった要素もあるのでしょう。なかでも、格式や伝統は、ホテル側の努力だけでは成り立たず、むしろ常連客が形成している面もあります。その文化の一部になる、あるいはその文化を尊重するという意識を持たず、金でサービスを買うだけという程度の認識ならば、泊まるべきではないのかも知れません。一流ホテルは客によって創られるということです。(写真出典:ruxur.net)

2022年2月27日日曜日

狂言師

四世山本東次郎
猿楽は、室町の頃、能、式三番、そして狂言へと分化していきます。明治以降は、この三つを総称して能楽と呼ぶようになりました。江戸期、能楽は、幕府の式楽として保護されました。江戸期の能楽は、五番立てで演じられました。神が登場する脇能物,男がテーマの修羅物,女が主役の鬘物(かずらもの),狂物などを扱う雑物(ぞうもの),そして鬼が登場する尾能物(きりのうもの)の五番です。 そして、それぞれの間に狂言が演じられます。さらに五番が演じられる前に翁という式三番、後ろに祝言能が演じられます。能楽の起源である猿楽の要素が、番組にすべて反映されているわけです。近年は、簡略化され、狂言と能を一曲づつという公演が多くなっています。

明治になると、後ろ盾を失った能楽は、厳しい時代を迎えます。なかでも狂言は、扱いが軽くなり、能の合間の食事やトイレの時間とされ、ひどい場合には、省略されたこともあったようです。辛い時代は、戦後すぐまで続きます。人間国宝の狂言師・四世山本東次郎は、そんな時代に修行した人です。山本東次朗は、猿楽の本流である大和猿楽を伝える大蔵流の名跡です。四世は、4歳の頃から厳しい修行を積みます。17歳のおり、狂言の将来を悲観した四世は、父であり師匠である三世に、「狂言をやめたい」と言ったことがあるそうです。山本家の養子であった三世は「わしは家の者ではない。家の者であるお前の将来を決めるわけにはいかない。墓へ行け」と言ったそうです。

四世は、言われたとおりに墓に行ったそうです。墓碑に刻まれた先祖の名前を見ているうちに、自然と涙が出てきて、やめるわけにはいかないと強く思ったそうです。芸能が、そのままの形で800年続いてきた背景の一つがここにあるのでしょう。国立能楽堂で、狂言に先だって行われたインタビューで、四世が話していたことです。また、三世の教えで、最も印象深いものは、という問いかけに、四世は「慢心」と答えていました。心に慢心が、わずかでも芽生えれば、芸は、そこで止まり、上達することはない、というわけです。芸道に、終わりというものはない、と言われます。世阿弥の「初心」に通じる言葉だと思います。85歳になるという四世の、キレのあるカマエとハコビ、ハリのある声には、80年に及ぶ、絶え間ない精進の凄さを感じます。

それにしても、狂言が、800年続いた理由は、サムライによる保護だけでは説明できません。おそらく、狂言が、日常で垣間見る人間のちょっとした欲や見栄などを、笑いにしてきたからなのだと思います。それは、誰しも心当たりのあることであり、またよく目にすることでもあります。室町時代であろうが、令和であろうが、それは変わりません。狂言は、普遍的とも言える人間の弱さを、高圧的に戒めるのではなく、それも人間らしさとして認め、笑い飛ばします。政治的でも、宗教的でも無く、庶民感覚の笑劇ゆえに、人々の心を掴んできたのだと思います。人間そのものがテーマなので、身分は関係ありません。武士であろうが、僧侶であろうが、金持ちであろうが、分け隔てなく笑いのネタにされます。庶民は、さぞかし痛快に思ったことだと思います。これも狂言の魅力の一つだと思います。

能のなかでも、狂言師が登場するものがあります。いわゆるアイです。中入りとなり、前シテが一度鏡の間へ退くと、土地のものとしてのアイが、前半の話をまとめ、後半への展開へとつなぐ語りを行います。アイを務める狂言師は、正座して語りますが、その際、腰をやや上げた状態を保つと聞きました。ふくらはぎと大腿部の間に、紙一枚が入るくらい、腰を浮かせるといいます。おそらく、声の張りと姿勢の美しさを保つために行うのだろうと思います。相当の修練を積まなければ、できる技とは思えません。(写真出典:story.nakagawa-masashichi.jp)

2022年2月26日土曜日

キューカンバー・サンドイッチ

突然、無性に食べたくなる食べ物というものがります。それは空腹だから、ということではありません。また、読んでいた本や見ていた映像に出てきたから食べたくなったというケースとも異なります。とにかく、唐突に食べたくなり、麻薬が切れた中毒者に近い症状に至ります。私の場合、ドライ・ソーセージが、その一つです。これは、そもそも貯蔵肉好きゆえ、ということで理解もできます。よく分からないのが、キューカンバー・サンドイッチです。年に1~2度、たまらなく食べたくなります。それも夜中に限って、かつ冷蔵庫にキュウリがないときに限って発症します。大好物というほどでもありません。 平生からよく食べているわけでもありません。それどころか、発作が起きた時にしか食べません。不思議な食べ物です。

薄くスライスしたパンの耳を落とし、バターをたっぷりと塗り、薄くスライスしたキュウリに塩をして挟むだけです。マヨネーズを使う場合もありますが、その際には酸味の少ないものが合うように思います。英国が発明した傑作だと思います。実は、英国は発明の少ない国ではないか、と思っています。何を言うか、産業革命を起こした国だぞ、と言われそうです。産業革命は、動力革命だと思います。蒸気機関の発明は確かに世界を変えた大発明ですが、それに先立つ紡績機類の発明は、農民たちによる工夫のレベルだったと思います。産業革命時に発明された機械の多くは、アルキメデスの知識を超えていなかったとも言われます。英国が発明したのは、蒸気機関とキューカンバー・サンドイッチだけだった、と言えば言い過ぎでしょうか。

実は、キューカンバー・サンドイッチも、産業革命の産物の一つだと言えます。産業革命が起こると、英国の農地は工場になり、農民は工場労働者になります。結果、農業生産が落ち込みます。英国は、工業製品を海外に輸出し、海外から原材料と食料を輸入することになりました。もともと、寒冷な英国では、キュウリの生産量は少なかったようです。そこへ食料の海外調達という状況が発生したため、新鮮なキュウリも輸入に頼らざるを得なくなります。高級食材としてのキュウリは、薄くスライスされ、パンで挟まれ、貴族やブルジョアジーのアフタヌーン・ティーに饗されたわけです。キュウリだけのサンドイッチなど貧乏ったらしいイメージですが、実は贅沢な代物だったわけです。当時としては、キャビアとまでは言いませんが、スモークサーモンくらいの位置づけだったのではないでしょうか。

それにしても、なぜ私のキューカンバー・サンドイッチの発作が起きるのか、とても不思議です。発作が起きるタイミングや状況には、一切、法則性は認められません。小腹が空いていて、かつ水分や塩分を欲している時なのだろうとは想像できますが、それであれば、いくらでも代替手段があり、キューカンバー・サンドイッチである必要性はまったくありません。このうえなく少ない具材にもかかわらず、とても美味しく、それ以上に妙な磁力を持った食べ物です。シンプルな具材の絶妙な組み合わせという観点からすれば、既存の技術を組み合わせることで、画期的な機械を生み出していった英国の風土に通じるものがあるようにも思えます。英国の厳しい気候が、英国人の工夫という得がたい特性を生んだのかもしれません。

キューカンバー・サンドイッチの発作には、もう一つ特徴的なことがあります。夜中に起きた発作を耐えた翌朝は、当然、キュウリとサンドイッチ用のパンを買いに行くわけです。ところが、その頃、発作は既に治まっており、さほど食べたいとも思わなくなっているのです。しかも、おやつ程度の代物なので、おやつを食べない私には、食べるタイミングも必要性もありません。やはり、アフタヌーン・ティーのためのメニューだということです。英国の上流階級は、夜、観劇等に出かけることが多く、夕食は遅くなります。そこで生まれたのがアフタヌーン・ティーです。そもそも、キューカンバー・サンドイッチは、日本の食習慣には居場所がない存在だったわけです。(写真出典:eatthismuch.com)

2022年2月25日金曜日

蘭画

日本人は、なぜ印象派が好きなのか、という議論があります。印象派の主な画題が、人物、静物、風景であり、分かりやすく、かつ日本画と共通する面が多く、親近感が持てたという説をよく聞きます。宗教や神話を画題にしたものは、相当に勉強しないと理解できなかったのだろうと思います。また、印象派の明るい光や鮮やかな色彩が新鮮で、文明開化の精神風土に合っていたのではないかという説もあります。さらに、印象派の画家たちが、ジャポネスムの影響下にあり、積極的に浮世絵の要素を取り入れていたことから、親和感が高かったという話もあります。これは、面白い話ですが、さすがに無理があります。

恐らく、明治維新と印象派の隆盛が、時期的に重なったことが一番大きな理由だろうと思います。要するに、多くの日本人が初めて目にした西洋画は、おおむね印象派であり、そのインパクトが最も大きく、深く心に残ったのだと思います。加えるに、黒田清輝はじめ、明治の西洋画壇をリードした留学組が、フランスで学んだのが印象派であり、より一層、西洋画=印象派となっていったのでしょう。脱亜入欧の時代、西洋画は時代の最先端であり、印象派こそ、坂の上の雲を追いかけた明治人の憧れでもあったのだと思われます。もっとも、西洋画自体は、江戸期、既に長崎の出島を通じて日本にもたらされています。いわゆる蘭画です。

蘭画は、18世紀後半、蘭学者平賀源内に始まるとされます。源内は、オランダ人に絵を習ったわけではなく、洋書の挿絵の模写などして、独学したようです。鉱山開発のために秋田藩に招かれたおり、源内は宿の屏風絵に目を止めます。作者は、藩士の小田野直武でした。源内は、直武に、陰影法、遠近法といった西洋の描写技法を直伝します。源内の弟子となった直武は、源内の”解体新書”の挿絵も描いています。直武は、日本の画材を用いて、西洋の技巧を活かした蘭画を描き、「秋田蘭画」を起こします。藩主も含め、幾人かの弟子もいましたが、直武の死後、秋田蘭画は消滅しています。その後、蘭画は、江戸の司馬江漢、白河藩の亜欧堂田善らに引き継がれていきます。

司馬江漢は、南蘋派の絵師であると同時に蘭学者でもありました。南蘋派は、18世紀前半、清から招かれて来日した沈南蘋の彩色画の画風を継ぎ、応挙、若冲、華山、蕪村らに影響を与えました。江漢は、源内とも交流があり、直武に師事したこともあったようです。日本で初めてエッチングを制作し、初めて油絵具を用いた人です。江漢は、漆工芸の技術を応用し、エゴマ油に顔料を混ぜて油絵具を作ったようです。一方、亜欧堂田善は、須賀川の商家の生まれですが、藩主に取り立てられ、長崎でエッチングを学びます。江漢に師事し、破門されたという説もあるようです。油絵は、南画の谷文晁に学んだようです。いずれも、18世紀末から19世紀初頭に活躍しています。

日本画に遠近法を用いた直武の風景画は、何の違和感もなく見ることができます。戦前までの、例えばカレンダー、あるいは銭湯の壁画といった商業ベースの風景画の基本になったようにも思います。一方、日本画的な構図を油絵具で描いた江漢や田善の風景画は、どこか描きかけの作品のような印象を受けます。絵具の問題かもしれませんが、重ねて色を出すという油絵具の特性を活かし切れていないように思います。異なる文化が交錯して、新しい文化ができます。しかし、それは一朝一夕で成るものでもないのでしょう。ただ、それ以上に、作風と画材との関係は、理由があって成熟してきたものだということを、あらためて思わされます。やはり、日本の洋画が形を成すのは、明治期のフランス留学組まで待つ必要があったのでしょう。(写真:小田野直武「絹本著色不忍池図」出展:bunka.nii.ac.jp)

2022年2月24日木曜日

「ダムネーション/天罰」

監督:タル・ベーラ  原題:Karhozat(天罰) 1988年ハンガリー

☆☆☆+

タル・ベーラは、「ニーチェの馬」(2011)で知りました。1889年、ニーチェは、トリノで馬車馬の首をかき抱き、泣き叫び、発狂します。ニーチェは、そのまま回復することなく、亡くなっています。「ニーチェの馬」と言いながら、ニーチェは登場せず、ハンガリーの年老いた農民親娘と馬が、嵐の中で過ごす数日間を淡々と映し出します。ニーチェのニヒリズムを表現していると言われます。白黒の画面に、ほぼセリフもなく、ひたすら同じ生活が繰り返されるだけの映画ですが、強烈な印象を残しました。タル・ベーラは、私たちに、何一つ押しつけません。ただ、それによって、私たちは、実に様々なことを考え続けることになります。映画表現の多様性に驚かされた作品です。

「ダムネーション/天罰」は、1988年に制作されてます。雨がちの寂れた炭鉱町が舞台です。石炭を運び出すリフトと、それが発する音が、町を象徴しています。町の寂れた酒場でアンニュイに歌う歌手、そしてその歌手と関係を持つ男がいます。歌手は、いつか都会で成功することをぼんやり夢見ています。歌手には、やくざな亭主がいます。酒場のバーテンダーは密輸に手を染めており、歌手と関係を持つ男、そして歌手の亭主に運び屋を依頼する。そこで、何らかの裏切りが発生し、男は警察に、バ-テンダーか亭主、あるいは両者を密告します。映画には、説明的な映像もセリフもありません。ストーリーらしきものは、タル・ベーラが語ったものではなく、私が勝手に想像したものでしかありません。

パンやズームはあるとしてもごくわずかであり、カメラはほとんど動きません。セリフは極端に少なく、役者の動きも限られています。計算された白黒の画面は、上出来なスティール写真のようでもあり、記憶に深く残る効果があります。さらに、少ない情報と動きのない映像は、見る側の想像力をかき立てます。見る者に多くを委ねることで、見る者を映画に参加させているとも言えます。もはや映画という枠組みでタル・ベーラを捉えることは無理なのかも知れません。本作の制作は「ニーチェの馬」にさかのぼること20年、タル・ベーラの文法は、既に完成したわけです。タル・ベーラの代表作と言われるのが「サタンタンゴ」(1994)です。上映時間は、7時間を超えます。いつか見てみたいとは思います。

ハンガリー平原は、古来、多くの民族が行き交う土地でした。4世紀にはフン族が侵入し、国を建てます。アッティカの時代、フン族は、東ヨーロッパ全域を支配下に置きますが、アッティカの死後、消滅します。その後、ハンガリーは、フン族を継承する形でマジャル人が支配します。ただ、モンゴル、オスマン、オーストリア、帝政ロシアの侵入や介入を受け続けます。戦後はソヴィエトの衛星国化しますが、ハンガリー動乱等に見られるとおり、ソヴィエト一辺倒の国というわけではありませんでした。鉄のカーテン崩壊後のハンガリーは、EUにもNATOにも加盟し、経済成長を実現しました。ただ、近年は、財政の赤字や貧富の格差問題を抱えているようです。

文化が交差するところには、新しい文化が生まれるものです。ハンガリーの場合は、文化の交差点というよりも、他民族の侵略を受け続けたことの方が、精神文化に、より強い影響を与えているのかも知れません。ハンガリーは、優れたワインと科学者と音楽家を生む、とされています。ワインは、貴腐ワイン発祥の地でもあるトカイが特に有名です。コンピューターの動作原理を発明したジョン・フォン・ノイマンは、ハンガリー人です。彼は、数学、気象学、経済学、物理学で大きな功績を残した天才でした。音楽の世界では、リスト、バルトークはじめ、リヒター、ショルティ等もハンガリー人です。タル・ベーラの映画を理解するためには、ハンガリーをもっと理解する必要があるのかも知れません。(写真出典:asahi.com)

2022年2月23日水曜日

食の旦那

北前船
”食(めし)の旦那”とは、上方落語「莨(たばこ)の火」に登場する金満家です。食の旦那が、北新地のお茶屋で、小判をばらまくという話です。江戸期、和泉に実在した豪商・食野(めしの)佐太郎がモデルです。当時の商家の風習として、当主の名前は世襲されました。佐太郎も世襲名です。江戸期、日本一の大富豪といえば、大阪の豪商・鴻池善右衛門です。長者番付に相当する「諸国家業自慢」を見ると、行司が鴻池家、大関に三井家と食野家が並んでいます。江戸期、政治の中心は江戸ですが、経済の中心は「天下の台所」とも呼ばれた大阪でした。食野家はじめ大阪の商人たちは、廻船業で財を成し、金融業へと展開し、豪商になっていきます。

大阪は、ヤマト王権以降、都に近い良港として栄えてきました。瀬戸内の内海航路は、遠く半島や大陸へも続きます。江戸期には西回り航路が開発され、北前船が行き交いました。当時の航海術のレベルからすれば、江戸は難所の多い港だったこともあり、各藩の米や特産品は大阪に運び込まれました。運河沿いには、各藩の蔵屋敷が建ち並んでいたといいます。食野家は、100隻の船を所有し、全国諸藩を相手に商売していました。各藩との結びつきから、大名貸し、つまり諸藩への貸し付けも行うようになり、巨万の富を蓄えていきます。鴻池家は、造り酒屋でしたが、やはり廻船業、金融業へと進出して財を成しています。建前上、江戸期の経済は米本位の自給経済でしたが、安定的な貨幣の普及、物流の発達とともに、貨幣経済へと進んでいったわけです。

明治になると、大阪の大富豪たちは、突然、影が薄くなります。明治政府との太いパイプを背景に台頭する財閥に、主役の座を奪われた形です。富国強兵政策のもと、急激に進められた工業化に乗れなかったわけです。また、廃藩置県によって、各藩への貸し付けの多くが反故にされたため、鉱工業等に進出するための資本力も失っていました。酒造りの鴻池、銅山の住友、呉服の三井など、本業を継続しつつ、金融も行っていた豪商は別として、食野家のように、金融に特化していった商家は、この時点で没落していきます。さらに、追い打ちをかけたのが、戦後の農地改革でした。大阪の富豪たちの多くが、消えていきました。豪華を極めたという食野家の本宅は跡形もなく、いろは四十八蔵と呼ばれた海岸の倉庫もわずかな痕跡を残すばかりです。

大阪は、天下を治めるために最も適した地だという説があります。陸海の交通の要所であり、東北を除けば、ほぼ日本の中心に位置し、上町台地は天然の要塞でもあります。最初に、それに気づいたのは真宗本願寺宗主の蓮如だと言われます。蓮如が建立した石山本願寺は、ほぼ大阪城の位置にあったようです。織田信長は、石山本願寺の恐ろしさを見抜き、徹底的に攻撃し、破壊しました。実際に大阪で天下を治めたのは豊臣秀吉でしたが、短命に終わります。徳川家康は、公家の介入を嫌って、江戸に幕府を建てますが、要害の地大阪には新たな城を建てました。天下を治めるに最適がゆえに、大阪の為政者は短期間で変わっていき、結果、商人たちには、自主独立の気風が育っていきました。この独立性の高い、ある意味、反中央的な町人文化が、大阪を天下の台所にもしましたが、一方で、明治期の財閥化の妨げになったのかも知れません。

勤めていた会社が不祥事を起こした際、大阪でもお客さまとの懇談会を開きました。あるお客さまから「お前んとこの社長とお前は、給料、なんぼもらってんのや、言ってみい」と言われました。個人情報ゆえ、お答えできません、と木で鼻をくくった答えもできます。私は、プライバシー保護の観点から個別報酬は開示できないものの、役員報酬の総額は決算書に記載しています、報酬の算定方式はこのようになっています、と丁寧に説明しました。厳しい追加質問を想定していましたが、お客さまからは「さよか」との一言だけでした。大阪の人は、えらそうにしている人が大嫌いです。権力や権威を振りかざされると、ほぼ自動的に反発します。自主独立の町人気風が育んだ文化は、いまだに健在だと思った次第です。(写真出典:nippon.zaidan.info)

2022年2月22日火曜日

アンナ・ソローキン事件

Anna Delvey
NYのロングアイランド東部には、サウザンプトンを中心に高級別荘地ハンプトンズ が広がります。信じがたいほど大きなサマー・ハウスが並びます。道路からは一切見えませんが、ビーチからは邸宅を見ることができます。皆、広いプライベート・ビーチを持っているからです。NYの社交界は、夏、ハンプトンズに移動します。ハンプトンズのサマー・ハウスは、多くのゲスト・ルームが必要になるわけです。マンハッタンからハンプトンズまでは高速道路が通っていますが、週末ともなれば「世界一長い駐車場」と揶揄されるほど渋滞します。しかし、上流社会の人々は、高速道路が空いている時間帯に高級スポーツ・カーを飛ばすか、あるいはヘリコプターで移動します。

庶民には窺い知れないNYの上流社会ですが、ドイツの田舎町から来たロシア移民の小娘に、すっかり手玉に取られるという事件が起きます。アンナ・デルヴェイことアンナ・ソローキン事件です。アンナは、ドイツの相続人ながら、25歳まで資産が信託されていて使えない令嬢という触れ込みで社交界に入っていきます。アートを愛する上流階級のためのサロンを開設するというアンナの計画に、セレブたちは巻き込まれていきました。ついに嘘が回りきらなくなった2019年、アンナは、窃盗罪、窃盗未遂などで有罪判決を受け、収監されます。アンナは、自身のストーリーを、32万ドルでNetflixに売ります。そして出来上がったのがNetflixのシリーズ「令嬢アンナの真実(原題は”アンナを発明する”)」です。

非常に不思議な事件です。アンナには、詐欺や窃盗の意図は薄く、銀行融資を得て財団を設立するという事業計画を進めていると思い込んでいました。その思い込みこそ、彼女の強さの根源です。融資を得るためには、上流社会で人を知り、認められ、信用を得る必要があります。アンナは、そのために嘘をつき、多くの人をだますことになります。誇大妄想、ソシオパスと言えば、それまでですが、明晰な頭脳と強固な意志の現れとも言えます。その動機となったのは、ドイツでロシア移民として蔑まれた思春期であり、必ず見返してやるという強い思いだったのでしょう。辛い高校生活のなかで、アンナは、ヴォーグやハーパース・バザー等の雑誌に逃避し、ファッションやセレブな生活に関する知識を蓄えます。

それにしても、なぜセレブたちは、いとも簡単にだまされたのでしょうか。そこには、上流社会が持つ閉鎖性が関係していると思います。ドイツの令嬢などという見え透いた嘘は、調べればすぐにわかることです。ただ、自分たちと同じ匂いを持ち、同じ行動を取るアンナは疑われませんでした。誰かのパーティで会った、誰かに紹介された、ということが上流社会へのパスになります。一度、輪のなかに入れば、誰もが彼女を疑いません。それが上流社会の脆弱さなのでしょう。ドイツの令嬢という肩書き以上に、アンナの物怖じしない態度と行動、ファッション・センス、芸術やワインに関する知識が、身分証明になっていました。彼女に欠けていたのは金融実務に関する知識でした。銀行、為替、カード等を軽視する彼女の姿勢が、セレブとしての空気を醸す一方で、命取りにもなったわけです。

Netflixのドラマは、腕の確かな制作陣によって、見事に仕上げられています。ただ、決定的な問題は、脚本の構成にあります。単なる詐欺とは言えない複雑さ、アンナの人格の複雑さ、彼女の嘘がセレブたちを巻き込むプロセスの複雑さ、それらはうまく表現できているのですが、それらを提示する順番がいけません。当然、それは視聴者のストレスにつながります。最も分かりやすい消化不良ポイントは、ドイツの令嬢という触れ込みを、誰もが確認することなく話が進むことです。ミステリ仕立てで、関係者毎の視点でエピソードを構成するという手法は適切に見えますが、この最も庶民的で一般的な疑問への答えが見えにくくなっています。制作サイドも、それは十分に承知のうえで、演出の巧みさで押し切ろうとしたのかも知れません。(写真出典:abcnews.go.com)

サンティアゴ・デ・クーバ