監督:タル・ベーラ 原題:Karhozat(天罰) 1988年ハンガリー
☆☆☆+
タル・ベーラは、「ニーチェの馬」(2011)で知りました。1889年、ニーチェは、トリノで馬車馬の首をかき抱き、泣き叫び、発狂します。ニーチェは、そのまま回復することなく、亡くなっています。「ニーチェの馬」と言いながら、ニーチェは登場せず、ハンガリーの年老いた農民親娘と馬が、嵐の中で過ごす数日間を淡々と映し出します。ニーチェのニヒリズムを表現していると言われます。白黒の画面に、ほぼセリフもなく、ひたすら同じ生活が繰り返されるだけの映画ですが、強烈な印象を残しました。タル・ベーラは、私たちに、何一つ押しつけません。ただ、それによって、私たちは、実に様々なことを考え続けることになります。映画表現の多様性に驚かされた作品です。「ダムネーション/天罰」は、1988年に制作されてます。雨がちの寂れた炭鉱町が舞台です。石炭を運び出すリフトと、それが発する音が、町を象徴しています。町の寂れた酒場でアンニュイに歌う歌手、そしてその歌手と関係を持つ男がいます。歌手は、いつか都会で成功することをぼんやり夢見ています。歌手には、やくざな亭主がいます。酒場のバーテンダーは密輸に手を染めており、歌手と関係を持つ男、そして歌手の亭主に運び屋を依頼する。そこで、何らかの裏切りが発生し、男は警察に、バ-テンダーか亭主、あるいは両者を密告します。映画には、説明的な映像もセリフもありません。ストーリーらしきものは、タル・ベーラが語ったものではなく、私が勝手に想像したものでしかありません。
パンやズームはあるとしてもごくわずかであり、カメラはほとんど動きません。セリフは極端に少なく、役者の動きも限られています。計算された白黒の画面は、上出来なスティール写真のようでもあり、記憶に深く残る効果があります。さらに、少ない情報と動きのない映像は、見る側の想像力をかき立てます。見る者に多くを委ねることで、見る者を映画に参加させているとも言えます。もはや映画という枠組みでタル・ベーラを捉えることは無理なのかも知れません。本作の制作は「ニーチェの馬」にさかのぼること20年、タル・ベーラの文法は、既に完成したわけです。タル・ベーラの代表作と言われるのが「サタンタンゴ」(1994)です。上映時間は、7時間を超えます。いつか見てみたいとは思います。
ハンガリー平原は、古来、多くの民族が行き交う土地でした。4世紀にはフン族が侵入し、国を建てます。アッティカの時代、フン族は、東ヨーロッパ全域を支配下に置きますが、アッティカの死後、消滅します。その後、ハンガリーは、フン族を継承する形でマジャル人が支配します。ただ、モンゴル、オスマン、オーストリア、帝政ロシアの侵入や介入を受け続けます。戦後はソヴィエトの衛星国化しますが、ハンガリー動乱等に見られるとおり、ソヴィエト一辺倒の国というわけではありませんでした。鉄のカーテン崩壊後のハンガリーは、EUにもNATOにも加盟し、経済成長を実現しました。ただ、近年は、財政の赤字や貧富の格差問題を抱えているようです。
文化が交差するところには、新しい文化が生まれるものです。ハンガリーの場合は、文化の交差点というよりも、他民族の侵略を受け続けたことの方が、精神文化に、より強い影響を与えているのかも知れません。ハンガリーは、優れたワインと科学者と音楽家を生む、とされています。ワインは、貴腐ワイン発祥の地でもあるトカイが特に有名です。コンピューターの動作原理を発明したジョン・フォン・ノイマンは、ハンガリー人です。彼は、数学、気象学、経済学、物理学で大きな功績を残した天才でした。音楽の世界では、リスト、バルトークはじめ、リヒター、ショルティ等もハンガリー人です。タル・ベーラの映画を理解するためには、ハンガリーをもっと理解する必要があるのかも知れません。(写真出典:asahi.com)