Anna Delvey |
庶民には窺い知れないNYの上流社会ですが、ドイツの田舎町から来たロシア移民の小娘に、すっかり手玉に取られるという事件が起きます。アンナ・デルヴェイことアンナ・ソローキン事件です。アンナは、ドイツの相続人ながら、25歳まで資産が信託されていて使えない令嬢という触れ込みで社交界に入っていきます。アートを愛する上流階級のためのサロンを開設するというアンナの計画に、セレブたちは巻き込まれていきました。ついに嘘が回りきらなくなった2019年、アンナは、窃盗罪、窃盗未遂などで有罪判決を受け、収監されます。アンナは、自身のストーリーを、32万ドルでNetflixに売ります。そして出来上がったのがNetflixのシリーズ「令嬢アンナの真実(原題は”アンナを発明する”)」です。
非常に不思議な事件です。アンナには、詐欺や窃盗の意図は薄く、銀行融資を得て財団を設立するという事業計画を進めていると思い込んでいました。その思い込みこそ、彼女の強さの根源です。融資を得るためには、上流社会で人を知り、認められ、信用を得る必要があります。アンナは、そのために嘘をつき、多くの人をだますことになります。誇大妄想、ソシオパスと言えば、それまでですが、明晰な頭脳と強固な意志の現れとも言えます。その動機となったのは、ドイツでロシア移民として蔑まれた思春期であり、必ず見返してやるという強い思いだったのでしょう。辛い高校生活のなかで、アンナは、ヴォーグやハーパース・バザー等の雑誌に逃避し、ファッションやセレブな生活に関する知識を蓄えます。
それにしても、なぜセレブたちは、いとも簡単にだまされたのでしょうか。そこには、上流社会が持つ閉鎖性が関係していると思います。ドイツの令嬢などという見え透いた嘘は、調べればすぐにわかることです。ただ、自分たちと同じ匂いを持ち、同じ行動を取るアンナは疑われませんでした。誰かのパーティで会った、誰かに紹介された、ということが上流社会へのパスになります。一度、輪のなかに入れば、誰もが彼女を疑いません。それが上流社会の脆弱さなのでしょう。ドイツの令嬢という肩書き以上に、アンナの物怖じしない態度と行動、ファッション・センス、芸術やワインに関する知識が、身分証明になっていました。彼女に欠けていたのは金融実務に関する知識でした。銀行、為替、カード等を軽視する彼女の姿勢が、セレブとしての空気を醸す一方で、命取りにもなったわけです。
Netflixのドラマは、腕の確かな制作陣によって、見事に仕上げられています。ただ、決定的な問題は、脚本の構成にあります。単なる詐欺とは言えない複雑さ、アンナの人格の複雑さ、彼女の嘘がセレブたちを巻き込むプロセスの複雑さ、それらはうまく表現できているのですが、それらを提示する順番がいけません。当然、それは視聴者のストレスにつながります。最も分かりやすい消化不良ポイントは、ドイツの令嬢という触れ込みを、誰もが確認することなく話が進むことです。ミステリ仕立てで、関係者毎の視点でエピソードを構成するという手法は適切に見えますが、この最も庶民的で一般的な疑問への答えが見えにくくなっています。制作サイドも、それは十分に承知のうえで、演出の巧みさで押し切ろうとしたのかも知れません。(写真出典:abcnews.go.com)