ツアー参加者のなかで私たち夫婦が最も若く、他は旅行経験も豊富なご高齢の方々でした。その当時、モロッコは、あちこち海外旅行を経験した人たちが選ぶ旅先だったのでしょう。旅は順調に進みましたが、添乗員という仕事が、華やかどころか、実に大変な仕事であることが判明します。ツアー参加者は、集合時間に遅れる人、集団から離れがちの人、わがままばかり言う人、偉そうに振るまう人等が散見され、実にやっかいな集団でした。添乗員は、まるで保育園の保母さんか召使いのような存在に見えました。添乗員に、大変ですね、と言うと、こんなものよ、と言っていました。
南スペインのリゾート地トレモリノスのホテルにチェックインした際、ホテルのブッキングがうまく通っていなかったようで、随分と手間取りました。長いこと待たされたツアー参加者たちは、口々に、近ツリは弱い、JTBにすべきだった、添乗員の押しが足りない、など文句を言い始めます。当時、ネットもなく、電話とテレックスだけのやりとりで、かつスペイン人が相手では、こんなことも起こるだろうな、と思いました。ただ、高齢の皆さんは許せないわけです。ようようチェックインできた際、添乗員さんは批判され、細かな状況説明を求められていました。しかし、ツアー最大のトラブルは、旅の終わりに待っていました。
旅程では、カサブランカからイベリア航空でマドリッドに飛び、エール・フランスに乗り換えてコペンハーゲンへ行き、一泊したうえで翌朝スカンディナビア航空で成田へ向かうという予定でした。ところが、カサブランカで乗り込んだイベリア航空機が、一切飛び立ちません。何の説明もありません。マドリッドでの乗り換えがあるので、添乗員は、乗務員と何度もやりとりをしていました。定刻から2時間近く経ったころ、黒い大きなリムジンが飛行機に横着けされ、偉そう人が数人の付き人と共に乗り込んできます。すると飛行機は、すぐに飛び立ちました。政府の要人なのか、スペイン王室の方なのかは不明ですが、いずれにしても、その人の搭乗を待っていたわけです。
マドリッド空港に着くと、予定していたエール・フランスは飛び立った後でした。添乗員が大騒ぎで交渉した結果、まずはパリへ飛び、一泊したうえで、翌朝、スタンバイでコペン行きに乗ることになりました。オルリー空港でも、添乗員は、翌日の手配に走り、私まで、当夜のホテルの段取りをエール・フランスと話してくれ、と頼まれる始末です。翌朝、バスでシャルル・ド・ゴール空港へ移動し、スタンバイをかけました。全員が乗れないかも知れない、パリに残るボランティアを募る、というので、真っ先に手を挙げました。最終的には全員が搭乗でき、無事、コペンから成田へ飛ぶことが出来ました。綱渡りの帰国となりましたが、添乗員の大活躍あってのことでした。後日、その添乗員と電車でバッタリ会いました。それにしても添乗員は大変な仕事ですね、と言うと、好きでなければ出来ないわよ、と言っていました。(写真出典:hatameku.jp)