2024年9月13日金曜日

「ソウルの春」

監督:キム・ソンス      2023年韓国

☆☆☆

本作は、1979年12月に勃発した”粛軍クーデター”を、ほぼ事実に即して描いたファクションです。1979年10月、独裁体制を続けてきた朴正煕大統領が暗殺されます。その直後、朴大統領のお気に入りで軍内部の秘密組織ハナ会を率いる全斗煥少将が、彼に批判的な参謀総長鄭昇和大将を武力を用いて不法逮捕し、軍の実権を握った事件です。全斗煥、盧泰愚と続く軍事政権の始まりです。本作は、昨年、韓国で観客動員数1位になりました。1日の出来事を緊張感あるスピーディーな展開で描いています。映画としてはイマイチな面もありますが、韓国の人々にとっては忘れるのことのできない過去であり、全斗煥が極悪人に描かれていれば、映画はヒットするという傾向もあります。

クーデターとされますが、政権奪取を狙ったわけではないので、反乱と理解すべきなのでしょう。今一つ分かりにくいのは、全斗煥の動機です。参謀総長から批判され、左遷されることになったため、保身をはかった、あるいはハナ会を守るために実行したように思えます。朴体制の維持という面はあるにしても、政治的、思想的対立が鮮明なわけでもなく、極めて利己的な動機だったのではないでしょうか。軍を動かしたものの、内実は単なる内輪もめだったとも言えそうです。映画では、民主VS保守的な構図もありますが、善と悪という枠組みの方が勝っています。巨悪の全斗煥に対する善の代表は、首都警備司令官に任じられたノンキャリ張泰玩少将です。歴史的事実として”善”側が敗れますが、逆張りの勧善懲悪的構図が、大ヒットの要因の一つなのでしょう。

韓国は、映画に限らず、ことさら善悪を鮮明にしなければ気がすまないという傾向があると思います。李朝時代に定着した儒教の影響なのでしょう。時に依りますが、北朝鮮、共産主義、保守勢力、財閥、そして日本等が悪とされてきました。敵を明確にすることによって大衆の不満をそこに向かわせ、その構図を加速させていくことで政権は支持を拡大させるという構図です。ナチスの台頭はじめ、どこの国でも、いつの時代にもある政治手法です。ただ、韓国では、歴史が生んだ”恨の文化”が、その傾向を強め、社会にまで広げているのではないかとも思います。対して、日本では、映画も含めて、徹底的な悪人という描き方は少ないように思います。国造りにおいて、仏教を基盤としたか、儒教を基盤としたかの違いのようにも思えます。

映画は、主演の二人を中心に進みますが、双方の陣営における他の将軍たちが、事の成り行きに右往左往する不甲斐ない姿も強調されています。一方で、中間管理職的な若手幹部たちの気骨ある行動が対照的に描かれています。このあたりも、観衆をくすぐる韓国の娯楽映画伝統のうまさだと思います。その点も含め、善悪の構図を分かりやすく提示し、スピード感を重視するという本作のスタンスは、総体としてはTV的な面があります。人物描写や画角等もTV的にならざるを得ないところがあり、映画としては奥行きのないものになっています。また、国軍同士の対立なので、同じ軍服、似た髪形といった点や日本人には区別しにくい職名や氏名ということも含め、主役以外は見分けがつきにくいという恨みも残りました。

粛軍クーデターは大事件ながら、あくまでも軍内部の抗争であり、社会では民主化を求める動きが加速していました。プラハの春にならって、ソウルの春とも呼ばれた動きです。軍を掌握した全斗煥は、大統領をも手玉にとり、保守化を強めていき、翌年には5・17非常戒厳令拡大措置を打ち出します。それに抵抗して発生した光州事件では、全斗煥の命令によって、国軍が多くの市民を殺害しました。民主化後、全斗煥と盧泰愚は死刑判決を受けることになります。首都警備司令官の張泰玩少将は、粛軍クーデター後、予備役に編入され、民主化後、民間企業のトップ等を務めています。クーデター直後、少将の父親は、忠臣の家族は謀反者の下で生きていけない、として断食し自らの命を絶っています。長男は、1982年、祖父の墓の前で不審死しています。また、映画にも登場する妻は、2012年、少将の没後、投身自殺しています。韓国社会の苛烈さを感じさせる話です。(写真出典:klockworx.com)

2024年9月11日水曜日

善知鳥

善知鳥神社
青森市の中心部、港にもほど近い安方町に、善知鳥(うとう)神社があります。青森市では、最も古く、格式の高い神社とされます。5世紀前半の允恭天皇の頃、鳥頭中納言藤原安方が外ヶ浜を平定し、鎮護神として天照大御神の子である宗像三女神を祭った事が起源とされます。また、別な説では、流罪となって外ヶ浜にたどり着いた安方が、宗像三女神を祀るために建てた祠が起源とされます。安方が亡くなると、見慣れない鳥が祠に飛んできて、雄はウトウ、雌はヤスカタと鳴きます。村人は、この鳥を安方の化身として恐れ敬います。ある日、猟師が誤って雌鳥を撃つと、雄鳥が田畑を荒し始めます。猟師も変死したため、祟りを恐れた村人は雄鳥を丁重に弔ったと伝わります。

以降、この地は、善知鳥村、あるいは善知鳥安方村と呼ばれるようになったともされます。その後、祠は寂れますが、坂上田村麻呂によって再建されたとも言われます。四国の弘法大師、東北の坂上田村麻呂は、やたらと土地の伝承に登場しますが、そもそも田村麻呂は青森までは来ていません。安方にまつわる伝承そのものも眉唾ものですが、ウトウ(善知鳥)という鳥は実在する海鳥です。北太平洋沿岸に広く分布し、北海道や東北沿岸でも見られます。夏になると嘴の付け根に突起が出るので、アイヌ語で突起を意味するウトウと呼ばれるのだそうです。野太い鳴き声は独特ですが、ウトウとは聞こえません。それにしても、なぜウトウが善知鳥と記され、なぜ善知鳥神社が創建されたのかは謎と言わざるを得ません。

さらに不思議なことに、長野県の塩尻には善知鳥峠があります。その名に関する伝承が残されています。猟師が北国の浜で珍しい鳥の雛を捕らえ、息子を伴い、都へ売りに行きます。親鳥は、ウトウ、ウトウと鳴きながら、猟師の後を追い続けます。猟師の親子は、険しい峠道で吹雪に襲われ、親は子をかばうように覆って絶命します。吹雪の後、村人たちは、泣きじゃくる子と死んだ猟師を発見します。また、傍らには鳴き続ける雛鳥と覆うようにして死んだ親鳥の姿もありました。村人たちはその鳥が善知鳥(ウトウ)であると知り、猟師とともに手厚く弔い、その地を善知鳥峠と呼ぶようになったというのです。塩尻は海の塩を運ぶ交通の要所でしたが、それにしても、この山中で海鳥の名を持つ峠とは、誠に不思議な話です。

世阿弥作とされる謡曲に「善知鳥」があります。諸国を回る僧が、外ヶ浜へ行く途中、立山に寄ると、死んだ猟師の亡霊が現れ、自分の蓑笠を外ヶ浜の家族のもとに届けて弔ってもらいたいと告げます。外ヶ浜に着いた僧は、猟師の家族とともに弔いをします。すると猟師の亡霊が現れます。親鳥がウトウと鳴くと雛がヤスカタと鳴き返す善知鳥の習性を利用して、多くの善知鳥を殺したため、殺生の罪で苦しんでいると告げます。僧の弔いで猟師は成仏し、感謝するという内容です。亡霊が猟の様子を伝える所作カケリが見事な能楽です。物語は、明らかに青森の善知鳥伝説が下敷きになっています。室町期の京都でも善知鳥伝説が知られていたことになりますが、実は、平安末期から鎌倉期の和歌にも詠み込まれています。

西行法師は「子を思う 涙の雨の 笠の上に かかるもわびし やすかたの鳥」という歌を残しています。また、後鳥羽院の勅命によって編纂された新古今和歌集には、藤原定家が詠んだ「みちのくの 外ヶ浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた」という歌が残されています。外ヶ浜は、陸奥湾の西側一帯を指しますが、国の端を意味していたとされます。善知鳥伝説の起源もさることながら、なぜ北端の寒村の伝承が都にまで伝わったのかは謎であり、不思議な話です。背景には陸奥の金があるのかもしれません。8世紀中葉、陸奥で金脈が発見され、以降、朝廷による蝦夷征討が本格化します。19世紀、カリフォルニアで金が発見されるとゴールドラッシュが起き、一気に西部開拓が進みます。陸奥は平安期のフロンティアだったと言えます。インディアンと蝦夷は、ほぼ同じ歴史を持っているわけです。(写真出典:ja,wikipedia.org)

2024年9月9日月曜日

路面のステーキ屋

チャイムのステーキ
日本の高度成長を支えた要素の一つは、ざる蕎麦だと思っています。というのも、入社間もない頃のことですが、高度成長期を戦ってきた先輩たちの昼食と言えば、ほぼ毎日、ざる蕎麦でした。早い・安い・うまいということでしょうが、早いは、出るのも食べるのも早いということです。メシを食うのが遅い奴は仕事ができない、というのが先輩たちの常識でした。皆、競うようにざる蕎麦をすすっていたものです。企業戦士たちがざる蕎麦を食べ続けた背景には、どこにでも蕎麦屋があったという環境もあります。商店街にも、住宅街にも、特にサラリーマン街には複数の蕎麦屋が必ずあったものです。

もちろん、昼食に蕎麦以外のものを食べることもありました。何か祝うべきことがあれば、鰻屋、寿司屋等へ行ったものです。いわばサラリーマンにとってのフェスティバル・フードです。また、その中間に位置するような昼食メニューも多くありました。その一つがステーキです。もちろん、目の前の鉄板でシェフが焼いてくれるA5ランクの高級ステーキではありません。安価なランチ・サービスです。100g強の安い肉をサービス・ステーキと称して提供するわけです。入社したての頃、スエヒロのサービス・ステーキは、ご飯・味噌汁がついて500円でした。お腹いっぱいにはなりませんが、ステーキを食べたという満足感はありました。そんなステーキ屋も、サラリーマン街には必ずと言っていいほどあったものです。

そうした大衆的なステーキ屋を、”路面のステーキ屋”、略してロメステと呼びたいと思います。B級グルメがブームとなりつつあった2000年頃に登場した”路面のスパゲティ屋”、いわゆるロメスパという言葉にあやかってのことです。近年、ロメステの店舗数は減ったように思いますが、しぶとく安いステーキを提供し続けている店も存在します。最近のサービス・ステーキの価格は、1,000円前後といったところだと思います。かつては固い肉が多かったのですが、近年は仕込みや調理も進化して、そこそこ柔らかい肉が出ます。ただ、味は相変わらずイマイチですが、そこはこっちも了解済みというわけです。ロメステでは、ソースで味を誤魔化す傾向があります。その濃いソースにハマる人も多かったように思います。 

久々にロメステを食べたくなり、東銀座のビルの地下にある「チャイム」へ行ってみました。実は、初めて行く店です。通っている歯医者の近くにあって、気になっていました。10卓ばかりの小ぶりな店です。行ったのが昼時だったこともあり、5~6人ほどの行列ができていました。回転は早いはずだと思い列につきました。諸物価高騰のおり、ランチ・メニューには工夫がしてありました。豚や羊を千円程度で提供し、ステーキ・ランチはWカットと称して1600円。他に限定メニューとして、ヒレ肉やリブロースを2,000円前後で出していました。各テーブルには鉄板があり、店主がそこでステーキを焼くというやや高級スタイルです。ソースは、自分で醤油と酢と辛子を混ぜるスタイル。肉に自信があるということです。

うまい方法だと思ったのは、店内の張り紙に肉を1.5倍に増量可とありました。ついつい私もステーキ・ランチの1.5を注文してしまいました。十分に満足感を得ることができました。生き残ったロメステは、こうした工夫をしているものなのでしょう。2013年にオープンした立食いの「いきなり!ステーキ」は大ブームを巻き起こしました。食べた肉のグラム数でポイントが貯まる肉マイレージも秀逸なアイデアでした。私も、一時期、通いました。ロメステよりもやや高い価格設定ながら、多くの肉好きが”いきなり!ステーキ”に流れたものと思います。ただ、調子に乗って店舗を急拡大したことが裏目に出て、カニバリによる売上減少、従業員の教育不足によるクレームの大量発生が起き、凋落します。現在は、店舗数を大幅に縮小し、システムも変えて、細々と営業しています。実に残念。昔から大量出店による自滅はよくありました。人気が出ると、ついついやっちゃうのでしょうね。(写真出典:tabelog.com)

2024年9月7日土曜日

大仏

鎌ヶ谷大仏
新京成の鎌ヶ谷大仏駅近くにカー・ディーラーがあり、車検や点検のために、年に一度は通っていた時期があります。駅名にまでなっている大仏を一度拝んでおきたいと思いながらも、どこにあるのかも分からず、日が経ちました。車で通りかかるので、駅の近くの墓地にさほど大きくない仏像が鎮座しているのは知っていました。なんとそれが鎌ヶ谷大仏でした。高さ1.8mの大仏は、意外と小ぶりなので”がっかり大仏”とも言われているようです。江戸中期に、大商人が先祖供養のために建立した鋳造青銅製の釈迦如来像です。がっかりとは随分な言い方ですが、大仏と言えば真っ先に奈良の大仏や牛久大仏が思い浮かぶので、拍子抜けするのはやむを得ないところです。

全国に大仏と呼ばれる仏像は、現存するだけで120余りあるようです。日本三大大仏とされるのは、奈良の大仏、鎌倉の大仏までは明確なのですが、残る一つについては移り変わりがあるようです。江戸期までは京の大仏と言われた方広寺の大仏だったようです。火災や地震で崩壊、再建もされたようですが、今は残っていません。戦前には神戸にあった兵庫の大仏が三番目だったようです。ただ、戦争末期の金属類回収令に応じて供出されたようです。戦後は、鋳物の街に建造された高岡大仏、あるいは板橋の東京大仏が挙げられていたようです。昨今で言えば、ブロンズ立像としては世界一を誇る牛久大仏を入れるべきかと思います。高さ(全長)の順番では、牛久大仏120m、福岡県南蔵院の涅槃仏40m、千葉県日本寺の大仏31mとなります。

海外を見れば、中国の魯山大仏の208mはじめ、ミャンマーのレイチュン・セッチャー大仏129.5m、中国の磨崖仏・楽山大仏71m等々、多くの巨大大仏があります。磨崖仏以外の大仏は、すべて近年になってからの建立です。バンコクへ行った際には、2021年に完成したワット・パクナムの黄金の大仏69mに圧倒されました。これら巨大仏像がある一方で、鎌ヶ谷大仏も大仏と呼ばれます。大仏の定義は何なのかと思ってしまいます。仏像の高さは、立像で一丈六尺(約4.85m)、座像ならその半分というのが基本になっているようです。この高さは、お釈迦さま、ゴータマ・シッタールタの身長が一丈六尺だったという伝承に基づいているとのこと。まさか、の一言ではありますが、いずれにしても基本である一丈六尺を超えれば大仏と呼ばれるようです。

寺院の庭などでは、たまに仏足石を見かけることがあります。仏足石は、お釈迦さまの足裏を石に刻んだものです。大きさは様々ですが、おおよそ40~50cmといったところです。足のサイズから類推すれば、お釈迦さまの身長は3m超ということになります。ただ、仏足石は、お釈迦さまの足そのものというわけではなく、お釈迦さまの身体的特徴である”三十二相八十種好”を表わしています。足に関しては、扁平足である、足裏に輪形の相がある等の特徴があり、仏足石に表わされています。お釈迦さまの外見的特徴はすべてありがたいものであり、宗教的理想とも言われます。象徴的なものにもかかわらず、やはり大きく作ってしまうのは、お釈迦様の身長一丈六尺に関わる伝承があるからなのでしょう。

実は、この仏足石の起源は仏像よりも古いとされています。哲学的であった原始仏教に偶像崇拝はありませんでした。紀元前7~5世紀頃とされるお釈迦さまの入滅後、その教えを伝えるために図が作られ、その後、お釈迦さまを象徴する仏舎利、ストゥーパ、法輪、仏足石、あるいは菩提樹などが崇拝の対象になっていきます。仏像は紀元前1世紀から紀元1世紀頃になって、ガンダーラやマトゥラーで作られ始めます。アレキサンダー大王の東征によってもたらされたヘレニズム文明の影響下で生まれたとされます。ガンダーラの仏像は、西洋人の顔をしていることで知られますが、高さは釈迦立像でも2m50cm程度が最大とされます。一丈六尺は、仏像がインドで普及した後に確立されたということなのでしょう。(写真出典:next.jorudan.co.jp)

2024年9月5日木曜日

ツイン・ピークス

TVシリーズ「ツイン・ピークス」は、1990~1991年、シーズン1と2がアメリカのABCで放送されました。ちょうどNYに駐在していた頃です。デイヴィッド・リンチが、初めてTVシリーズを撮るというので、放送前から話題になりました。普段は、TVドラマなど見ないのですが、大いに期待して見ました。歴史的名曲とされるあのテーマ曲が流れた瞬間、これはやられたと思いました。TVドラマの枠を超えて展開されるデイヴィッド・リンチ・ワールドに全米が熱狂し、社会現象と言われるほどでした。放送開始からほどなくして、ニューズ・ウィーク誌が、ツイン・ピークスを特集し、登場人物の相関図まで載せていたことを覚えています。30年経った今でも、世界中からロケ地を訪れる人が絶えないというのですから、たまげます。

デイヴィッド・リンチは、自身の映画製作のために多忙だったこともあり、シーズン2への関与は限定的でした。また、大ヒットに気を良くしたABCが製作に口出しをはじめたため、シーズン2はグダグダになっていきます。視聴率も大幅に低下し、シーズン3が製作されることはありませんでした。最大の問題は、視聴者の声に押されてローラ・パーマー殺人事件の犯人をシーズン途中で明かしたことだとされます。ただ、ツイン・ピークスは、異界に関わる一つのサーガであり、ローラ・パーマーの殺人は単なるマクガフィンに過ぎません。とは言え、視聴者はフーダニットに熱中してしまったわけです。そうさせたのはABCの責任であると同時に、1本の映画ではなく長期に渡るTVシリーズだという認識が不十分だったデイヴィッド・リンチの責任でもあると思います。

シーズン3は、全編、デイヴィッド・リンチとマーク・フロストが脚本を書き、デイヴィッド・リンチが監督しています。今回は、反省を踏まえて、一気に全ての撮影を行い、それを分割してTVシリーズ化したようです。日本ではWOWOWの独占放送でしたが、今般、Amazon Primeで配信されたので、ようやく見ることができました。シーズン3では、デイヴィッド・リンチが、好き放題に独自の世界を展開しています。デイヴィッド・リンチを楽しむためには、映像が意味することを深掘りしたり、散発的なストーリーをつなげようなどと考えず、ひたすら奇妙でシュールな世界をそのまま受け入れることです。そこで感じる違和感は感性を解放する効果があり、精神的自由を感じることになります。それがデイヴィッド・リンチ映画の魅力です。

当然、世界観やキャラクターは前シーズンからしっかり継続されていますが、驚いた事にキャストもオリジナル・メンバーが徹底的に再起用されています。”あれから25年”という設定が利いており、実年齢を重ねた出演者たちの姿がまるで同窓会状態でした。また、デビット・ボウイなど亡くなった役者については、過去の映像をうまく使っています。デイヴィッド・リンチ・ファミリーも勢揃いですが、今回はファミリーの大御所ローラ・ダーンも、前シーズンでは姿が見えないままだったダイアン役で登場しています。短いシーンながら、モニカ・ベルッチまでが本人役で登場していました。舞台はツイン・ピークスから広がり、ラス・ヴェガス、サウス・ダコダのバックホーン、さらにはNYやブエノスアイレスも登場します。

音楽へのこだわりもデイヴィッド・リンチらしいところです。オープニングは、当然、アンジェロ・バダラメンティの名曲ですが、エンディング・テーマは、お馴染みの“バン・バン・バー”、通称”ロードハウス”でのライブという設定になっています。前シーズンでもジュリー・クルーズがライブで歌っていましたが、今回は、クロマティックス、ナイン・インチ・ネイルス、オルヴォァ・シモーネ等々、いかにもデイヴィッド・リンチ好みのバンドが登場します。ライブ・シーンには、前と同じく町の実情が垣間見える客の会話シーンが挿入されます。うまい仕掛けです。回が進むと、今回はどんなバンドが出演するのか、どんな会話がなされるのか、楽しみになっていきます。他にも、オーティス・レディング、ブッカーT&MG'S デイブ・ブルーベック、サント&ジョニー等の曲が効果的に挿入されています。(写真出典:tvtropes.org)

2024年9月3日火曜日

亜熱帯

亜熱帯という言葉は、よく耳にする言葉ですが、学術的には定説の無い言葉のようです。最も単純な気候帯の区分は、回帰線と極線に基づく熱帯・温帯・寒帯ということになります。あまりにも大雑把すぎるので、一般的には、ケッペンの気候区分が使われているようです。植生に基づき、気温と降水量によって30地域に区分されています。基本は、熱帯・乾燥帯・温帯・亜寒帯・寒帯という気候帯になりますが、これを気温と雨量によって、さらに細分化したものが気候区分となります。そのなかに亜熱帯という区分はありません。日本は、関東以南が温暖湿潤気候、東北・北海道は亜寒帯湿潤気候、さらにその高地は湿潤大陸性気候となります。また、高山はツンドラ気候、南の離島はサバナ気候や熱帯雨林気候と幅広い気候区分を持ちます。

近年、一部の気象学者の間で、日本の亜熱帯化という議論があるようです。その大きな根拠として、黒潮の流れが変わったことが挙げられています。黒潮は、フィリピン周辺から北上する暖流で、日本列島に沿って房総半島沖まで達します。その後、東へと流れていきますが、一部は三陸沖にまで達し、南下してきた寒流である親潮とぶつかって世界三大漁場の一つを生みます。黒潮は、たまに紀伊半島沖で蛇行することが知られています。黒潮の大蛇行と呼ばれる現象は、一度発生すると1年以上に渡って継続するとされます。ただ、2017年に発生した大蛇行は、現在、7年を超えて継続しています。さらに、その影響から、黒潮は房総半島沖を越えて、東北北部にまで北上し、日本近海の海水温を押し上げています。

大気の流れと違い、海流は、そう簡単には変わらないようです。日本近海の海水温の上昇率は世界一と聞きます。黒潮の影響がいかに大きいかということです。今年の夏は灼熱地獄に大型台風と大荒れでしたが、今後、しばらくはこの状態が続くと覚悟する必要があります。農業や漁業への影響も大きなものがあります。伝統的な農業・漁業から、暑さを前提とした農作物の栽培、黒潮の流れを考慮した漁への転換が求められることになります。近年、魚沼産コシヒカリは、天候不順の影響を受け、厳しい状況に置かれています。新潟県は、2017年、”新之助”という新種米を投入しました。高温障害や気象災害のリスクと収穫作業の分散をねらった晩生品種とのことです。変更の負荷が大きくとも、こうした亜熱帯化への対応を急ぐべきなのでしょう。

亜熱帯化は、台風や降雨量にも大きな変化をもたらしています。土砂災害に関しては、ハザードマップや注意喚起に留まらない対応が求められます。過日の台風10号では、新宿駅西口のマンホールが宙高く飛ばされる映像に驚きました。都市部では河川の氾濫リスクだけでなく、下水溝のキャパシティが大きな問題となっています。かつてホーチミン市で、強烈なスコールに襲われたことがあります。驚いたのは、下水のキャパの大きさと道端の排水口の大きさです。排水口は、小学生くらいなら、簡単に吸い込まれそうな大きさで、グレーチングもありませんでした。短時間に降る膨大な雨量への対応なのでしょう。日本の都市部の下水の排水量は時間50mが限界と聞きます。これもお金と時間がかかっても変えていくべきだと思います。

亜熱帯へと気候区分が変われば、伝統的な衣食住や文化も大きく変化することになります。個人の対応だけでは不十分であり、国をあげた大規模な取組が求められます。ギリシャでは、戸外で働く業種に対して、午後の労働を禁じる法律が施行されました。それに伴う社会的負荷はとても大きいと思いますが、国民の命を守るという観点からすれば、まっとうな取組だと思います。今後、注目すべきは、1月の平均最低気温だと思います、東京は2度くらいですが、それが10度に近づくことがあれば、亜熱帯化はほぼ確定ということになります。日本が気候激変という未曾有のリスクに直面する最中、政権与党は親分選びのゲームに興じています。まるでブラック・ジョークです。世も末だと言わざるを得ません。それにしても、生きているうちに、地球と日本が破滅へと向かう姿を目にするとは思っていませんでした。(写真出典:rinya.maff.go.jp)

2024年9月1日日曜日

唐辛子

カレーの辛さを何倍と指定して注文するスタイルは、1974年、渋谷に開店した「ボルツ」からとされます。90年代のエスニック・ブームあたりから、このスタイルは一般化していきます。1988年に店を開いた神田神保町の名店エチオピアもその一つです。店名からしてエチオピアのカレーなのかと思いましたが、かつてはコーヒー主力の店であり、店名をそのままにカレー専門店に衣替えしたようです。エチオピアのカレーは好きですが、辛さは3倍と決めています。一度、5倍に挑戦しましたが、口の中が痛いだけで味を楽しめませんでした。あるとき、カウンターの隣に座ったおっさんが50倍を注文し、平然と食べていました。メニュー上は70倍まで可能です。10倍以上を注文する人たちは、明らかにカプサイシン中毒患者だと思います。 

そもそも辛さは味ではなく、単なる刺激です。唐辛子の辛味成分であるカプサイシンは、唾液の分泌を促し食欲を増したり、血行を良くして体を温める効果があります。また、体内では、辛さを中和させるために幸福物質とも呼ばれるβエンドルフィンが分泌されることも知られています。これが、カプサイシン中毒を生む原理かもしれません。刺激である以上、慣れということもあります。辛味に慣れてくるとその効用は薄れてくるので、同じ効果を求めればスコヴィル値をエスカレートさせていくしかありません。スコヴィル値は、辛さを示す単位であり、唐辛子の溶解液に砂糖水を足していき、辛味を感じなくなった瞬間の砂糖水の倍率を指します。唐辛子類ながら辛くないピーマンのスコヴィル値はゼロとなります。

一般的な唐辛子のスコヴィル値は4~5万とされます。すっかり一般化したハバネロで20万、長らく最も辛い唐辛子とされてきたブート・ジョロキアで100万、品種改良されたキャロライナ・リーパーは157万、近年、世界一に認定されたペッパーXは318万に達します。また、辛味調味料の競争も激化しています。市販品では”ザ・ソース”がトップとされ、スコヴィル値は710万。限定品ながらその上をいくのが”ブレアの午前6時”で1600万スコヴィルとなり、カプサイシンの結晶と同じ辛さです。調味料の辛さを伝える際、タバスコの何倍といった表現がよく使われます。発酵させた唐辛子に酢を加えたタバスコのスコヴィル値は5000程度です。”ブレアの午前6時”は、タバスコの3200倍というわけです。もはや死に至る危険な世界と言わざるを得ません。

唐辛子は、紀元前6500 ~ 5000年頃からメキシコで栽培されていたとされます。唐辛子を中南米から持ち出したのはコロンブスだったようです。16~17世紀には世界中に広がり、各地で盛んに栽培されています。大航海時代と重なったとは言え、その伝播力の高さは驚異的と言えます。それほど、唐辛子は人々を魅了したということです。唐辛子以前にも、カラシナやコショウがありました。日本でも、カラシナは弥生時代、胡椒は奈良時代に伝播していたと聞きます。辛子は、カラシナの実をすりつぶし、水を加えて煉ることで辛味が生まれます。ただ、熱を加えると辛さは消えます。一方の唐辛子は、乾燥させた実をそのまま使え、砕いても辛さは変わりません。そして、カプサイシンの辛さは、熱を加えても変わることがありません。

使い勝手の良さもさることながら、なんと言っても熱い料理と辛さとの相性の良さが、唐辛子の爆発的伝播につながったのではないでしょうか。日本へは、16世紀、ポルトガル人が伝えています。よって南蛮という呼び方も残ります。唐辛子と呼んだのは、海外伝来のものには何でも唐と付ける習慣があったからなのでしょう。江戸期にかけての日本では、唐辛子の急速な普及は起きていません。和食には唐辛子が合うような熱い料理はあまりないように思います。日本での栽培が本格化したのは昭和初期のことだったようですが、背景にはカレーライスの普及があったと言われます。辛い料理は、暑い国や寒い国に多いように思います。いずれでもない日本では、普及が遅れて当然だったのでしょう。ちなみに、唐辛子は、文禄・慶長の役の際、日本から韓国に伝えられました。(写真出典:tenki.com)

川上