監督:キム・ソンス 2023年韓国
☆☆☆
本作は、1979年12月に勃発した”粛軍クーデター”を、ほぼ事実に即して描いたファクションです。1979年10月、独裁体制を続けてきた朴正煕大統領が暗殺されます。その直後、朴大統領のお気に入りで軍内部の秘密組織ハナ会を率いる全斗煥少将が、彼に批判的な参謀総長鄭昇和大将を武力を用いて不法逮捕し、軍の実権を握った事件です。全斗煥、盧泰愚と続く軍事政権の始まりです。本作は、昨年、韓国で観客動員数1位になりました。1日の出来事を緊張感あるスピーディーな展開で描いています。映画としてはイマイチな面もありますが、韓国の人々にとっては忘れるのことのできない過去であり、全斗煥が極悪人に描かれていれば、映画はヒットするという傾向もあります。クーデターとされますが、政権奪取を狙ったわけではないので、反乱と理解すべきなのでしょう。今一つ分かりにくいのは、全斗煥の動機です。参謀総長から批判され、左遷されることになったため、保身をはかった、あるいはハナ会を守るために実行したように思えます。朴体制の維持という面はあるにしても、政治的、思想的対立が鮮明なわけでもなく、極めて利己的な動機だったのではないでしょうか。軍を動かしたものの、内実は単なる内輪もめだったとも言えそうです。映画では、民主VS保守的な構図もありますが、善と悪という枠組みの方が勝っています。巨悪の全斗煥に対する善の代表は、首都警備司令官に任じられたノンキャリ張泰玩少将です。歴史的事実として”善”側が敗れますが、逆張りの勧善懲悪的構図が、大ヒットの要因の一つなのでしょう。
韓国は、映画に限らず、ことさら善悪を鮮明にしなければ気がすまないという傾向があると思います。李朝時代に定着した儒教の影響なのでしょう。時に依りますが、北朝鮮、共産主義、保守勢力、財閥、そして日本等が悪とされてきました。敵を明確にすることによって大衆の不満をそこに向かわせ、その構図を加速させていくことで政権は支持を拡大させるという構図です。ナチスの台頭はじめ、どこの国でも、いつの時代にもある政治手法です。ただ、韓国では、歴史が生んだ”恨の文化”が、その傾向を強め、社会にまで広げているのではないかとも思います。対して、日本では、映画も含めて、徹底的な悪人という描き方は少ないように思います。国造りにおいて、仏教を基盤としたか、儒教を基盤としたかの違いのようにも思えます。
映画は、主演の二人を中心に進みますが、双方の陣営における他の将軍たちが、事の成り行きに右往左往する不甲斐ない姿も強調されています。一方で、中間管理職的な若手幹部たちの気骨ある行動が対照的に描かれています。このあたりも、観衆をくすぐる韓国の娯楽映画伝統のうまさだと思います。その点も含め、善悪の構図を分かりやすく提示し、スピード感を重視するという本作のスタンスは、総体としてはTV的な面があります。人物描写や画角等もTV的にならざるを得ないところがあり、映画としては奥行きのないものになっています。また、国軍同士の対立なので、同じ軍服、似た髪形といった点や日本人には区別しにくい職名や氏名ということも含め、主役以外は見分けがつきにくいという恨みも残りました。
粛軍クーデターは大事件ながら、あくまでも軍内部の抗争であり、社会では民主化を求める動きが加速していました。プラハの春にならって、ソウルの春とも呼ばれた動きです。軍を掌握した全斗煥は、大統領をも手玉にとり、保守化を強めていき、翌年には5・17非常戒厳令拡大措置を打ち出します。それに抵抗して発生した光州事件では、全斗煥の命令によって、国軍が多くの市民を殺害しました。民主化後、全斗煥と盧泰愚は死刑判決を受けることになります。首都警備司令官の張泰玩少将は、粛軍クーデター後、予備役に編入され、民主化後、民間企業のトップ等を務めています。クーデター直後、少将の父親は、忠臣の家族は謀反者の下で生きていけない、として断食し自らの命を絶っています。長男は、1982年、祖父の墓の前で不審死しています。また、映画にも登場する妻は、2012年、少将の没後、投身自殺しています。韓国社会の苛烈さを感じさせる話です。(写真出典:klockworx.com)