2024年9月1日日曜日

唐辛子

カレーの辛さを何倍と指定して注文するスタイルは、1974年、渋谷に開店した「ボルツ」からとされます。90年代のエスニック・ブームあたりから、このスタイルは一般化していきます。1988年に店を開いた神田神保町の名店エチオピアもその一つです。店名からしてエチオピアのカレーなのかと思いましたが、かつてはコーヒー主力の店であり、店名をそのままにカレー専門店に衣替えしたようです。エチオピアのカレーは好きですが、辛さは3倍と決めています。一度、5倍に挑戦しましたが、口の中が痛いだけで味を楽しめませんでした。あるとき、カウンターの隣に座ったおっさんが50倍を注文し、平然と食べていました。メニュー上は70倍まで可能です。10倍以上を注文する人たちは、明らかにカプサイシン中毒患者だと思います。 

そもそも辛さは味ではなく、単なる刺激です。唐辛子の辛味成分であるカプサイシンは、唾液の分泌を促し食欲を増したり、血行を良くして体を温める効果があります。また、体内では、辛さを中和させるために幸福物質とも呼ばれるβエンドルフィンが分泌されることも知られています。これが、カプサイシン中毒を生む原理かもしれません。刺激である以上、慣れということもあります。辛味に慣れてくるとその効用は薄れてくるので、同じ効果を求めればスコヴィル値をエスカレートさせていくしかありません。スコヴィル値は、辛さを示す単位であり、唐辛子の溶解液に砂糖水を足していき、辛味を感じなくなった瞬間の砂糖水の倍率を指します。唐辛子類ながら辛くないピーマンのスコヴィル値はゼロとなります。

一般的な唐辛子のスコヴィル値は4~5万とされます。すっかり一般化したハバネロで20万、長らく最も辛い唐辛子とされてきたブート・ジョロキアで100万、品種改良されたキャロライナ・リーパーは157万、近年、世界一に認定されたペッパーXは318万に達します。また、辛味調味料の競争も激化しています。市販品では”ザ・ソース”がトップとされ、スコヴィル値は710万。限定品ながらその上をいくのが”ブレアの午前6時”で1600万スコヴィルとなり、カプサイシンの結晶と同じ辛さです。調味料の辛さを伝える際、タバスコの何倍といった表現がよく使われます。発酵させた唐辛子に酢を加えたタバスコのスコヴィル値は5000程度です。”ブレアの午前6時”は、タバスコの3200倍というわけです。もはや死に至る危険な世界と言わざるを得ません。

唐辛子は、紀元前6500 ~ 5000年頃からメキシコで栽培されていたとされます。唐辛子を中南米から持ち出したのはコロンブスだったようです。16~17世紀には世界中に広がり、各地で盛んに栽培されています。大航海時代と重なったとは言え、その伝播力の高さは驚異的と言えます。それほど、唐辛子は人々を魅了したということです。唐辛子以前にも、カラシナやコショウがありました。日本でも、カラシナは弥生時代、胡椒は奈良時代に伝播していたと聞きます。辛子は、カラシナの実をすりつぶし、水を加えて煉ることで辛味が生まれます。ただ、熱を加えると辛さは消えます。一方の唐辛子は、乾燥させた実をそのまま使え、砕いても辛さは変わりません。そして、カプサイシンの辛さは、熱を加えても変わることがありません。

使い勝手の良さもさることながら、なんと言っても熱い料理と辛さとの相性の良さが、唐辛子の爆発的伝播につながったのではないでしょうか。日本へは、16世紀、ポルトガル人が伝えています。よって南蛮という呼び方も残ります。唐辛子と呼んだのは、海外伝来のものには何でも唐と付ける習慣があったからなのでしょう。江戸期にかけての日本では、唐辛子の急速な普及は起きていません。和食には唐辛子が合うような熱い料理はあまりないように思います。日本での栽培が本格化したのは昭和初期のことだったようですが、背景にはカレーライスの普及があったと言われます。辛い料理は、暑い国や寒い国に多いように思います。いずれでもない日本では、普及が遅れて当然だったのでしょう。ちなみに、唐辛子は、文禄・慶長の役の際、日本から韓国に伝えられました。(写真出典:tenki.com)

マクア渓谷