2024年9月7日土曜日

大仏

鎌ヶ谷大仏
新京成の鎌ヶ谷大仏駅近くにカー・ディーラーがあり、車検や点検のために、年に一度は通っていた時期があります。駅名にまでなっている大仏を一度拝んでおきたいと思いながらも、どこにあるのかも分からず、日が経ちました。車で通りかかるので、駅の近くの墓地にさほど大きくない仏像が鎮座しているのは知っていました。なんとそれが鎌ヶ谷大仏でした。高さ1.8mの大仏は、意外と小ぶりなので”がっかり大仏”とも言われているようです。江戸中期に、大商人が先祖供養のために建立した鋳造青銅製の釈迦如来像です。がっかりとは随分な言い方ですが、大仏と言えば真っ先に奈良の大仏や牛久大仏が思い浮かぶので、拍子抜けするのはやむを得ないところです。

全国に大仏と呼ばれる仏像は、現存するだけで120余りあるようです。日本三大大仏とされるのは、奈良の大仏、鎌倉の大仏までは明確なのですが、残る一つについては移り変わりがあるようです。江戸期までは京の大仏と言われた方広寺の大仏だったようです。火災や地震で崩壊、再建もされたようですが、今は残っていません。戦前には神戸にあった兵庫の大仏が三番目だったようです。ただ、戦争末期の金属類回収令に応じて供出されたようです。戦後は、鋳物の街に建造された高岡大仏、あるいは板橋の東京大仏が挙げられていたようです。昨今で言えば、ブロンズ立像としては世界一を誇る牛久大仏を入れるべきかと思います。高さ(全長)の順番では、牛久大仏120m、福岡県南蔵院の涅槃仏40m、千葉県日本寺の大仏31mとなります。

海外を見れば、中国の魯山大仏の208mはじめ、ミャンマーのレイチュン・セッチャー大仏129.5m、中国の磨崖仏・楽山大仏71m等々、多くの巨大大仏があります。磨崖仏以外の大仏は、すべて近年になってからの建立です。バンコクへ行った際には、2021年に完成したワット・パクナムの黄金の大仏69mに圧倒されました。これら巨大仏像がある一方で、鎌ヶ谷大仏も大仏と呼ばれます。大仏の定義は何なのかと思ってしまいます。仏像の高さは、立像で一丈六尺(約4.85m)、座像ならその半分というのが基本になっているようです。この高さは、お釈迦さま、ゴータマ・シッタールタの身長が一丈六尺だったという伝承に基づいているとのこと。まさか、の一言ではありますが、いずれにしても基本である一丈六尺を超えれば大仏と呼ばれるようです。

寺院の庭などでは、たまに仏足石を見かけることがあります。仏足石は、お釈迦さまの足裏を石に刻んだものです。大きさは様々ですが、おおよそ40~50cmといったところです。足のサイズから類推すれば、お釈迦さまの身長は3m超ということになります。ただ、仏足石は、お釈迦さまの足そのものというわけではなく、お釈迦さまの身体的特徴である”三十二相八十種好”を表わしています。足に関しては、扁平足である、足裏に輪形の相がある等の特徴があり、仏足石に表わされています。お釈迦さまの外見的特徴はすべてありがたいものであり、宗教的理想とも言われます。象徴的なものにもかかわらず、やはり大きく作ってしまうのは、お釈迦様の身長一丈六尺に関わる伝承があるからなのでしょう。

実は、この仏足石の起源は仏像よりも古いとされています。哲学的であった原始仏教に偶像崇拝はありませんでした。紀元前7~5世紀頃とされるお釈迦さまの入滅後、その教えを伝えるために図が作られ、その後、お釈迦さまを象徴する仏舎利、ストゥーパ、法輪、仏足石、あるいは菩提樹などが崇拝の対象になっていきます。仏像は紀元前1世紀から紀元1世紀頃になって、ガンダーラやマトゥラーで作られ始めます。アレキサンダー大王の東征によってもたらされたヘレニズム文明の影響下で生まれたとされます。ガンダーラの仏像は、西洋人の顔をしていることで知られますが、高さは釈迦立像でも2m50cm程度が最大とされます。一丈六尺は、仏像がインドで普及した後に確立されたということなのでしょう。(写真出典:next.jorudan.co.jp)

マクア渓谷