2023年1月25日水曜日

モッキンバード

近年、アメリカ映画のヒーローを問えば、マーヴェリック映画の主人公たちの名前が挙がるのだろうと思います。2003年に、AFI(American Film Institute)が選出したアメリカ映画のヒーロー100人のトップは、2位のインディアナ・ジョーンズ、3位のジェームス・ボンドを抑えて、「アラバマ物語」(1962)のアティカス・フィンチが選ばれています。日本での知名度はイマイチですが、アメリカ人なら誰もがアティカス・フィンチを知っています。ロバート・マリガン監督、グレゴリー・ペック主演の映画も有名ですが、原作であるハーパー・リーの「To Kill a Mockingbird」(1960)が、推薦図書としてアメリカの青少年たちに読まれてきたからです。

物語は、1930年代、アラバマの片田舎での牧歌的な子供たちの世界から始まります。父親で弁護士のアティカスは、判事に依頼され、黒人トムの弁護を引き受けます。農夫イーウェルの娘が、トムに殴られ、レイプされたという事件ですが、当事者の証言があるのみで、物証はありません。トムは、娘に言い寄られ、逃げたと証言します。左手が不自由なトムは暴行できないことが明らかになりますが、白人だけで構成された陪審は有罪を宣言します。護送中に逃亡を図ったトムは射殺されます。それでも農夫イーウェルは、アティカスを恨み、子供たちを襲います。それを阻止したのは、子供たちから気味悪がられていた青年ブーでした。精神障害を持つブーは誤ってイーウェルを殺害しますが、保安官は事故として処理します。

1950年代中期に始まった黒人による公民権運動が高まりを見せるなかで発表された小説は大きな反響を呼び、ピュリッツァー賞を獲得、翌年には映画化されました。本作は、幼少期をアラバマで過ごした作者の体験に基づいています。公民権運動の始まりは、1955年のモンゴメリー・バス・ボイコットだとされます。モンゴメリーもアラバマ州の町です。本作は、公民権運動との関わりのなかで語られることが多いわけですが、単に南部における黒人差別の実態を告発しただけの作品ではありません。そこで描かれているのは、アメリカの良心であり、それに対する深い信頼です。人種差別だけでなく、貧困、無学といった悲惨な現状があっても、いつか、それは克服されるだろうという楽観的な希望こそ本作の背骨です。

物語はアティカスの娘スカウトの回想になっており、子供の視点で語られることが作品最大の特徴です。子供たちは、アティカスが見せたくないと言った醜い現実を目の当たりにすることで成長していきます。回想、子供の視点という形式をとることで、人種差別や貧困の醜さを直接的に描くことなく、アメリカの良心を伝えることができているとも言えます。本作は、マーク・トゥエインの「ハックルベリー・フィンの冒険」(1888)の正統な後継者だと思います。ハックルベリー・フィンは、グレート・アメリカン・ノベルとも呼ばれ、ヘミングウェイは、すべてのアメリカ文学の源とまで言っています。ハックルベリーの冒険の道連れは、逃亡奴隷のジムであり、作品は、人種差別批判に貫かれているとされます。

「To Kill a Mockingbird」とは、実に奇妙なタイトルです。アティカスは、父から聞いた「ブルー・ジェイ(アオカケス)は殺してもいいが、無害なモッキンバード(マネシツグミ)を殺してはいけない」という話を子供たちに伝えます。ブーの罪を問わないとした保安官の判断に、スカウトは「保安官は正しいわ。(ブーを裁くことは)モッキンバードを殺すことと同じだものね」とアティカスに話します。モッキンバードは、黒人のトム、精神障害を持つブーといった社会的弱者のみならず、子供たちであり、アティカスであり、モッキンバードを殺さないことこそアメリカの良心なのでしょう。この作品が、ジョン・F・ケネディ時代に発表されたことは、偶然ではありません。黒人が公民権を獲得したのは1964年のことであり、暗殺されたケネディ大統領の後を継いだリンドン・ジョンソンによって署名されています。(写真出典:en.wikipedia.org)

2023年1月23日月曜日

韓国のお金持ち

かつて「高級と上質の違い」という話が流行ったことがあります。例えば、リッツ・カールトン・ホテルは高級、帝国ホテルは上質、といった具合です。いずれも高価ではありますが、高級は贅をこらした外見の良さ、上質は伝統に根ざした品質の高さといったところになるのでしょう。もちろん、感覚的なものではあります。韓国の映画やTVドラマに登場するお金持ちを見ていると、この言葉を思い出します。超モダンな邸宅、外車、欧州ブランド、お手伝いさん、有力者とのコネ、上に媚び、下には横柄な態度、といった漫画チックにステレオ・タイプ化された姿は、高級どころか成金趣味そのもの。視聴者に反感を持たせるための演出なのでしょうが、それが30年くらい前から一切変わっていないことに興味を覚えます。

かつて、日本の映画やTVドラマでも、固定化されたお金持ちのイメージがありました。例えば、ドレッシング・ガウンを着用して革張りのソファに腰掛け、ブランデー・グラスを片手に葉巻をくゆらす。奥方はつりあがった眼鏡をかけ、「ざま~す」と言うといったものです。1970年代になると、日本は、ある程度の豊かさを獲得し、国際化も進み、”一億総中流”という言葉が話題になります。高度成長に伴う所得増の賜物ですが、敗戦直後、GHQが断行した財閥解体と農地改革の影響も大きいと言えます。ボトムアップによって格差が縮小した一億総中流の時代、ステレオ・タイプ化されたお金持ちのイメージは消えていったように思われます。

韓国の場合は、多少、事情が異なります。朝鮮戦争の傷跡が残る1960年代初頭、韓国は最貧国の一つでした。しかし、1965年の日韓基本協定に基づいて得た3億ドルをもとに、重工業化を進めた韓国は、1970年前後から「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を見せます。90年代中期の金融危機の時期を除き、一人当たりGDPは右肩上がりに伸び、日本と大差ないところまで来ています。経済格差を、ジニ係数や貧困率から見ても、高齢化、核家族化、非正規雇用化など同じ問題を抱える日本と韓国に大きな違いはありません。ただ、韓国の高齢者貧困率、若者の失業率は深刻なレベルにあります。そして、日韓の大きな違いの一つは、韓国経済を牽引してきた財閥の存在だと思います。単なる企業グループではなく、家族が支配する財閥です。

財閥に対する”恨”、つまり憧れと妬み、あるいは自責の念が、ステレオ・タイプ化されたお金持ち像を生んでいるのかもしれません。加えて、異様なまでに上下関係の明確化にこだわる韓国の人々の特性が反映されているようにも思えます。韓国人の派手好きや見た目へのこだわりも、あるいはニュース等で「日本に勝った」というネタが好きなこと、あるいは男女差別等も、すべて上下関係へのこだわりの現われです。背景には儒教の影響があると思われます。李氏朝鮮は、儒教を社会統治の根幹に置きました。日本の仏教と好対照だと思います。儒教は上下関係を重んじます。それが行き過ぎると、常に上下関係を明確化することに取り憑かれ、上位に立つ者は下位の者に対し、横柄な態度を取る一方でおごる等の施しを行います。また、親分的に様々な便宜を図ってあげる必要も生じ、ネポティズムが生まれます。

つまり、韓国のお金持ちは、お金持ちであることを、常に見せつける必要があるのではないかと思われます。だとすれば、映像の中のステレオ・タイプ化されたお金持ち像は、結構、リアルな姿であり、経済成長とともに消えることもないと言えそうです。日本では、成金趣味を蔑む傾向があります。それは、趣味の良し悪しに関わる問題ではなく、突出することを嫌う日本人の集団主義ゆえと考えられます。中庸を以て善しとする日本人から見れば、韓国の金持ち像は、異様に映るわけです。ちなみに、中庸は儒教由来の言葉です。本来的には、何事にも偏ることなく判断するといった意味なのでしょうが、日本の場合には、皆と同じ、という意味合いで浸透しているように思われます。(写真出典:yahoo.co.jp)

2023年1月19日木曜日

「ほの蒼き瞳」

監督: スコット・クーパー  原題:The Pale Blue Eye  2022年アメリカ  

☆☆☆ー

アメリカの士官学校と言えば、陸軍のウェストポイント、海軍のアナポリス、空軍のコロラド・スプリングスが有名です。なかでも、ウェストポイントの米国陸軍士官学校は、アメリカを代表する超エリート校の一つとして知られます。1802年、トーマス・ジェファーソン大統領の命により創設された士官学校は、NYの北80kmに位置し、東はハドソン川を見下ろし、他の三方は広い森に囲まれています。一度、見学に訪れたことがありますが、威厳あるゴシック建築と美しいハドソン川の景観が実に見事でした。「ほの蒼き瞳」は、19世紀初頭、開校間もないウェストポイント士官学校を舞台とするミステリーです。

原作は、ルイス・ベイアードの「The Pale Blue Eye(邦題:陸軍士官学校の死)」です。ベイアードは、歴史的な人物や出来事を取り入れたミステリーを得意にしています。本作では、元NY警察刑事とともに、当時、実際に在学していたエドガー・アラン・ポーが、学内で起きた殺人事件の解明に挑むという内容になっています。原作は読んでいませんが、ヒットした作品のようです。アメリカ人は、何故か分厚い本が好きです。結構なページ数がないとヒットしません。ただ、冗漫な作品になる傾向もあるわけですが、一定のムードを持続させる筆の力があれば、間違いなくヒットします。本作は、ゴシック調ムードにあふれていますが、プロット自体は、やや平凡で、ありきたりな展開となっています。結果、ドンデン返しもパンチに欠けます。

映画は、その原作に忠実すぎたのか、やや平板な印象になりました。文章の力と映像の力は、明らかに異なります。原作を映像化する場合には、ある程度の翻案を加え、映画としての表現を成立させる必要があります。この作品は、そこが中途半端だったように思えます。脚本も映像も、映画的な組み立てに弱いところがあり、立体感に欠けます。ゴシック調ムードは保たれていますが、映像は奥行きに欠けた構成となっています。おそらく原作の方が、数段、読者を楽しませたものと思います。ただ、役者陣の頑張りで、なんとか格好がついた面もあります。

元刑事役のクリスチャン・ベールの安定した演技はさすがです。この人が出演しているだけで、映画が締まる印象があります。特筆すべきは、エドガー・アラン・ポー役のハリー・メリングの名演です。ポーの複雑な人格を見事に演じ、映画に奥行きを生んでいます。他にもロバート・デュバル、Xファイルのスカリー(ジリアン・アンダーソン)も、役を楽しんでいる様子で、いい味を出しています。驚いたことに、元刑事の娘役で、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘シャルロット・ゲンズブールも出演しています。彼女は、演技だけでなく音楽活動でも知られます。既に50歳を超えているにもかかわらず娘役とは、母親ゆずりの魔性ぶりと言えます。

スコット・クーパー監督と言えば、なんと言っても「ブラック・スキャンダル」(2015)が印象にのこります。実在するボストンのアイリッシュ・マフィアを描いた実録ものです。ジョニー・デップの演技も光っていました。2013年の「ファーナス/訣別の朝」も印象に残る映画でした。クリスチャン・ベール主演ですが、行き場のないラスト・ベルトの現状がよく描かれていました。2017年の「荒野の誓い」も同様ですが、脚本は今一つながら、一定のムードと緊張感を持続させる腕の良さを持った監督だと思います。ただ、芝居がかったゴシック調の映画では、彼のこれまでの作品とは異なる構成力が求められるように思います。スコット・クーパーの真骨頂は、憂鬱なリアリティにこそあると思います。(写真出典:movies.yahoo.co.jp)

2023年1月17日火曜日

神戸ルミナリエ

その朝早く、かみさんに「大変だ!」とたたき起こされます。1995年1月17日5時46分、阪神・淡路大震災の発生です。その日は、尼崎へ出張する予定でした。大地震が発生したことは理解できましたが、発生直後のヘリコプターによるTV中継画像を見ても、被害規模がよく分かりませんでした。とりあえず、出張の準備をして出社し、会社でTV報道を見ました。時間とともに、被害状況が明らかになり、火災によって立ち上る黒煙がどんどん増えていきました。死者6.400人、全半壊家屋25万棟、全焼7,00棟。近代都市を襲った未曾有の大災害となりました。私の出張については、神戸に前泊して宴会をしようというお誘いがありましたが、特段の理由もなく断り、当日行くことにしていました。命拾いしたわけです。

震災発生から1ヶ月後、神戸に入りました。いまだ救援ステージにあり、瓦礫の除去も必要最小限といった状況でした。街は傾いたビルであふれ、見ていると平衡感覚が麻痺してくるようでした。特に印象に残ったのは、パンケーキ・クラッシュと呼ばれる、ビルの1階、あるいは中層階が押しつぶされる層崩壊です。犠牲者の9割は圧死でしたが、木造家屋の多かった長田区では火災が発生し、多くの方が焼死しています。倒壊した建物に挟まれ、そこに火が回り焼死したケースが多かったと聞きます。なんとも悲惨な話です。建造物崩壊により、消防車が水源を確保しにくかったことから延焼が広がったとされます。いずれにしても、阪神・淡路大震災は、人々の心にも、街にも大きな爪痕を残しました。

世界を震撼させた近代都市での大災害ですが、一方で、奇跡とまで言われた復興の早さも世界を驚かしました。「がんばろう神戸」というスローガンのもと、一日も早く、街を取り戻す、いつもの生活を取り戻す、という神戸の皆さんの強い思いが結実したものでした。神戸の皆さんの思いを形に現わしたイベントの一つが「神戸ルミナリエ」でした。震災が発生した年の12月には第1回が開催されます。鎮魂、追悼、復興を願うイベントです。幾何学模様に電飾を施したフレームを数多く並べるイタリア式のイルミネーションは、日本では初だったのではないかと思います。デザインもイタリア人が行っています。後に、東京の丸の内でも、イタリア式のイルミネーションが行われ、人を集めていました。

当初、神戸ルミナリエは1回だけ開催する予定でした。当時、神戸商工会議所の副会頭だったノーリツの創業者・太田敏郎が、毎年開催を提唱し、企業に呼びかけます。自ら企業を回り、協賛を呼びかけたと聞きます。その尽力もあって、神戸ルミナリエは継続され、神戸にかかせない年末の風物詩となっています。ただ、震災から時が経つにつれ、500万人を超えていた来場者も、徐々に落ち込み、協賛企業も減っていきました。2005~2006年には赤字を経常したこともあり、毎年、終了が議論されることになります。しかし、震災を忘れないということは、犠牲者、被災者のためでもありますが、次の世代への重要なメッセージでもあります。追悼式典は当然としても、ルミナリエのように、全国に向けて、継続的にメッセージを発信するイベントは極めて希です。何が何でも継続すべきだと思います。

また、阪神・淡路大震災は、日本の防災態勢を大きく変えるきっかけになったことでも知られます。耐震基準の強化を始めとし、建築基準法の見直し、レスキュー体制の強化、自衛隊の災害出動の整備等々、あるいはカセット・ボンベの規格統一も有名な話です。私は、2004年の中越地震を経験しました。夕方の炊飯時に発生した地震にもかかわらず、火災が少なかったことに驚きました。聞けば、阪神・淡路大震災以降、都市ガスのメーターは、揺れを感知すると遮断される仕組みのものへと置換えが進んでいたとのことでした。(写真出典:higashinada-journal.com)

2023年1月16日月曜日

一の宮

氷川神社
フォー・コーナーズは、アメリカ西部の4州の境界線が一点に集まる場所です。それがどうしたという話であり、しかも何もない砂漠地帯ですが、全米50州を巡ることを目標としている人にとっては、一度に4州分を稼げる大事な場所です。全米50州制覇は、かつて日本からの駐在員たちの間でも流行っていました。旅の楽しみ方は様々ですが、このようにテーマを決めて、その達成を目指すという人たちも多くいます。宗教的な巡礼旅は、古くから世界中にあります。近年では、世界遺産巡りの旅もあります。国内では、四国八十八カ所巡りをはじめ、江戸五街道巡り、奥のほそ道巡り、映画等の聖地巡礼等もあります。先日、全国一の宮巡りをしているという人の話を聞きました。

一の宮とは、律令体制下、国司が任地で最初に参拝すべき神社であり、いわば社格を表わすものです。朝廷の意向ではなく、各地で最も広く信仰されている神社が選ばれたようです。平安期から鎌倉期にかけて、順次整備されました。ただ、明確な文書が残っていないことから、一部には論争もあり、一国に複数の一の宮が存在する場合もあります。また、国府が存在しなかった北海道、沖縄、東北の多くには、一の宮がありません。そこで”全国一の宮会”は、一の宮の存在しない県に、「新一の宮」を設けました。結果的に、現在、一の宮とされているのは、全国102社、108カ所とされます。対馬国にも、隠岐国にも一の宮は存在しますので、全ての一の宮を巡るとなれば、相当に時間がかかることになります。

最初に一の宮巡りをしたのは、江戸初期の神道家・橘三喜だとされます。23年をかけ、全国の一の宮に参拝し、『一の宮巡詣記』全13巻を著しました。これをきっかけに、庶民の間にも、一の宮巡りが広まったとされます。平成の世になって、「全国一の宮巡礼会」が作られ、御朱印集めの旅として確立されたようです。一の宮巡りは、いわゆる巡礼とは異なり、宗教的に体系化された修行ではありません。誤解を恐れずに言えば、一種の観光旅行です。まとまった時間が必要というわけではなく、週末などの空いた時間で気軽に行けること、さらに、いわゆるパワースポット・ブーム、あるいは御朱印集めブームも相まって、近年、一の宮巡りは人気が高まっているようです。

東京を代表する神社といえば明治神宮ですが、御祭神は明治天皇であり、古い神社ではありません。また、730年に創建された神田明神は、江戸総鎮守とされますが、一の宮ではありません。律令体制下、隅田川以西の東京は、武蔵国に含まれていました。武蔵国の一の宮は、大宮の氷川神社です。関東を中心として全国に氷川神社がありますが、すべて大宮の氷川神社を分祀したものです。その創建は、社伝によれば、紀元前5世紀、文献によれば4世紀中葉ということになります。関東最古の神社とされるのは久喜市鷲宮の鷲宮神社ですが、それに次ぐくらい古い神社なのでしょう。いずれも、その創建には初代武蔵国造となった出雲族が関わっているようです。氷川は、出雲の簸川(ひかわ)由来ともされます。

新潟県に赴任中、何度か越後一の宮の弥彦神社にお参りしました。弥彦山をご神体とする弥彦神社の境内は、太く高い杉林に囲まれ、神聖な空気で満たされています。古い歴史を誇る各地の一の宮も、同じような境内を持っています。御利益もさることながら、一の宮の空気感が、人の心を清々しくさせる効果は大きいと思います。それが敬虔な気持ちにつながり、人々は、心静かに手を合わせることになります。いわゆる神頼みではなく、自らの精神状態をリフレッシュする効果も、とても大きいと思います。だとすれば、全国一の宮巡りは、なかなか良い旅のように思えます。(写真出典:tabippo.net)

2023年1月14日土曜日

「ホワイト・ノイズ」

監督:ノア・バームバック      2022年アメリカ

☆☆☆

「The New Yorker」は、NYを象徴するような雑誌です。1925年に創刊され、その洗練された都会的なスタイルを保ってきました。知的な記事はもとより、著名人によるエッセイ、イラストの表紙、漫画などで有名ですが、毎回掲載される短編小説のレベルの高さもよく知られるところです。カポーティ、チーヴァー、ナボコフ、サリンジャー、ロス、ショー、アップダイク等、ニューヨーカー誌を彩った作家たちは、20世紀アメリカ文学をリードしてきました。なにげない都会の日常をスケッチしながら、そこに疎外感や孤独をにじませるスタイルが、最もニューヨーカーらしいスタイルだと思っています。NY出身のノア・バームバックという人は、ニューヨーカー・スタイルを映像で表現する監督だと思います。

「フランシス・ハ」(2013)、あるいはアカデミー作品賞候補にもなった「マリッジ・ストーリー」(2019)は、まさにニューヨーカー・スタイルだと思います。自らが書いた脚本を監督する映像作家ですが、今回の「ホワイト・ノイズ」は、ドン・デリーロが1985年に発表した小説の映画化です。日本でのドン・デリーロの知名度はイマイチですが、現代アメリカを代表する作家であり、ノーベル賞候補とも言われます。ただ、モチーフとして社会問題を扱うことが多く、日本では純文学として見られていないのかも知れません。ホワイト・ノイズも、化学物質による汚染をモチーフとし、ポスト・カウンター・カルチャー、あるいは家族への回帰をテーマとしてます。1980年代アメリカの自画像のような作品だと思います。

監督の手腕を感じさせる映像スケッチ、アダム・ドライバーはじめ役者陣が出すいい味等は見事なのですが、全体として、ゴチャついた印象があり、長尺な映画であることも含め、やや冗漫な映画になっています。シナリオの詰めが甘いことが主因だと思います。原作ものの難しさでありますが、映像化に際しては、翻案したり、ディテールを削ぎ落とす必要があります。それが不十分なために、ドラマとしてのエッジを失っているように思います。また、ノスタルジックな80年代の事物へのこだわりが映画をブレさせているようにも思います。監督は、1980年代に多感な十代を過ごしており、そこにこだわり過ぎたのでしょう。フェリーニの「アマルコルド」を意識した面もあるのかも知れません。

監督は、80年代を描きたくて、この原作ものを引き受けたのかも知れません。ここのところ、タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」、ケネス・ブラナーの「ベルファスト」、パオロ・ソレンティーノの「The Hand of God」、イニャリトゥの「バルド」等々、監督の幼少期や若い頃を思い入れたっぷりに描き込む映画が多いように思います。それぞれ、なかなか良い作品に仕上がっていました。本作が、他と異なるのは、80年代に書かれた原作ものだということです。当然、原作には80年代を懐かしむ視点などありません。本作にあって、テーマを追求することとノスタルジーを求めることは、重なるところはあるにしても、両立はしません。

この時期、Netflixは、明らかにアカデミー賞ねらいと思われる作品を投入してきます。ストリーミング作品をアカデミー賞の候補にするのは如何なものか、という批判をかわすために、ごく短期間だけ劇場公開も行います。本作も同様です。制作会社は、いまやアカデミー賞常連となり、飛ぶ鳥を落とす勢いのA24です。A24は、NYを拠点にしており、ハリウッドと一線を画しているところが強みだと思います。A24は、若い才能を発掘することでも知られます。本作でアダム・ドライバーの妻を演じたグレタ・ガーウィグは、「フランシス・ハ」などノア・バームバック映画の常連でもあり、実生活にけるパートナーでもあります。ガーウィグは、34歳のおり、「レディバード」(2017)で監督デビューし、高い評価を得ています。「レディバード」の制作もA24でした。(写真出典:en.wikipedia.org)

2023年1月11日水曜日

男女共学

仙台一高応援団長
2018年9月、安倍晋三は、総裁選再出馬の意向を、鹿児島で明らかにします。長州出身の安倍晋三は、翌年に明治維新150周年を控え、薩長の偉業にあやかろうと夢想したわけです。そのこと自体、時代錯誤も甚だしいと思いますが、あろうことか演説のなかで平野国臣の有名な短歌「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」を引用します。平野は尊皇攘夷派の志士として活躍した福岡藩士です。この歌は、薩摩の煮え切らない姿勢を批判した歌として知られます。引用した真意は不明ですが、ここで薩摩を批判することは不適切としか言いようがありません。その浅学ぶりに大笑いどころか、あきれるばかりです。政治家が博識である必要はないのかも知れませんが、それにしてもがっかりさせられる話です。

このお粗末な話を聞いて思い出したのが「男女七歳にして席を同じうせず」という言葉です。儒教の古典「礼記」の一節とされます。戦前まで続いた明治の学制では、尋常小学校3年以降は、男女別学とされていました。満年齢で言えば8歳、数えで7歳。どうせなら初めから男女別学で良かったのではないか、と思います。「男女七歳にして席を同じうせず」という言葉に忠実に従ったのではないか、としか思えません。「礼記」に言う”席”とは、座席のことではなく、寝具のことです。その年齢から、寝具を別にすることは理解できるところですが、決して学制に関わる話ではありません。学者の意見を聞くこともなく、薩長の侍あがりの浅学な役人が独断で決めたのではないか、と勘ぐってしまいます。

男女別学という発想には、なにがしかの合理性もあるのでしょうが、やはり男尊女卑の思想が背景にあると言えます。敗戦後、GHQが主導する民主化の流れのなかで教育基本法が施行され、男女共学が原則と定められます。ただし、守旧派による抵抗も大きく、結果、男女共学はあくまでも原則であり、その実施判断は各学校に委ねられることになりました。いわば教育の場にあって、男尊女卑という差別思想が温存される結果となったわけです。傾向としては、北関東から東北にかけて男女別学が多く残ったようです。理由は判然としませんが、政府との距離感ゆえかも知れません。また、藩校時代からの伝統を受け継ぐ旧制中学等やいわゆるナンバー・スクールの多くが別学を続けました。地元政界に影響力を持つ同窓会が、共学化に強く抵抗したようです。

教育基本法施行時には、少なからず男女別学校が残りましたが、それも徐々に共学化していくことになります。私の出身校である県立青森高校の場合、第三中学校を母体とする青森高校と第三高等女学校を母体とする青森女子高校が、1950年に統合されています。つまり、しばらくの間、国の基本方針尊重派と守旧派との議論が続いたということです。興味深いことに、その際の主な論点は、民主化か伝統か、ということだったようです。憲法に謳われた男女平等を主な論点とすることなく議論が交わされたわけです。このこと自体がジェンダー差別だったわけで、さらに言えば国民投票に依らずに制定された憲法に対する国民の向き合い方だったとも言えます。

ただ、1980年代以降は、男女平等が、共学化の主な論拠となっていったようです。宮城県や福島県には、根強い「一律共学化反対運動」が存在したようですが、2003年には福島県が、2010年には宮城県も完全共学化を実施しています。埼玉・栃木・群馬の各県には、今も公立学校の別学制が残ります。別学の伝統が残っているのは、古くから女子教育に力を入れてきた地域だからだ、という意見もあるそうです。妙な話のように思います。公立学校の共学問題は、機能や弊害、あるいは伝統といった問題ではなく、あくまでも憲法上の基本的人権に関わる問題だと思います。(写真出典:kahoku.news)

サンティアゴ・デ・クーバ