2022年9月14日水曜日

ベニハナ・オブ・トーキョー

1980年代後半のNYでは、日本人向けは別として、和食店は高級な店が多かったと思います。寿司の知名度は上がりつつありましたが、食べたことがない人が多く、スシ・バーで日本語でネタを注文できるのは、お金持ちのステイタスでした。そんななか、”Teppanyaki(鉄板焼き)”は、日本っぽい食の代表として、一人、気を吐いていました。料理人が、目の前の鉄板で、様々なパフォーマンスを見せながら、ステーキ、ロブスターなどを焼くスタイルです。1964年に、ロッキー青木が、マンハッタンにオープンした「BENIHANA OF TOKYO」が大当たりして、ベニハナの店舗だけでなく、類似店が、そこここにありました。

食事にパフォーマンスを持ち込むというのは、実に画期的なアイデアでした。ただ、このTeppanyakiスタイルは、ロッキー青木が考案したものではありません。神戸の「みその」が、1945年に始めたと言われています。「みその」は、今でも、「元祖鉄板焼きステーキ」を名乗っています。鮨屋から着想を得たという新しいスタイルは、すぐに外国人の人気を集めたようです。そもそも料理人のパフォーマンスは、味には一切関係がありません。あくまでも外国人向けにエキゾティシズムを売っていたわけです。ベニハナに来店するアメリカ人も、料理人のパフォーマンスに、いちいち喜んでいたものです。あたかもディズニーランドで、ショーを見ているような感覚だったのでしょう。

ロッキー青木こと青木廣彰は、東京中野で、俳優・タップダンサーの父のもとに生まれます。慶応大学でレスリング部に所属し、日本選抜選手として渡米します。青木は、そのまま米国に残り、レスリング選手として活躍します。ローマ五輪では日本選手団の補欠、東京五輪では米国代表に選ばれています。ただ、国籍が日本のままだったので出場はできなかったようです。ベニハナを経営する傍ら、、バックギャモンの全米チャンピオン、パワーボート世界大会で第2位、また気球での大西洋横断も成功させています。ビジネスでも、スポーツでも、アメリカでは、よく名前の知られた日本人でした。若い頃、青木は、マンハッタンで、アイスクリームの屋台を引いていた時期があり、カクテル・パラソルを刺すアイデアでウケていたようです。

カクテル・パラソルも、青木の発明ではありません。その起源には諸説あるものの、既に戦前から、エキゾティックなカクテルには付き物でした。どうも、青木の発想の根源には、エキゾティシズムを商売にするという発想があるように思えます。つまり、和食文化を伝えるのではなく、アメリカ人の日本観にすり寄って商売をするということです。その発想の根底には、差別や偏見の強いアメリカ人のなかで、単身、戦ってきた経験があるのでしょう。偏見をはねのけるべく、レスリングで実力を磨いたわけですが、それでも偏見は、簡単には消えなかったはずです。ならば、その偏見を商売にしてやろうと思ったのではないでしょうか。他のスポーツへの挑戦も、アメリカ人を見返してやるという思いからだったのでしょう。

正直なところ、Teppanyakiの店に行くことには抵抗がありました。一緒に行ったアメリカ人も、あるいは子供たちも喜びます。ただ、私は、パフォーマンスを見せる日本人料理人の顔をまともに見ることができませんでした。ご当人たちがどう思っていたのかは知りませんが、そこに卑屈さを感じてしまうからです。”Japan as No.1”と言われた時代、飛ぶ鳥を落とす勢いの日本企業の一員としてNYに乗り込んだ駐在員と、差別と偏見のなかで戦ってきた渡米者たちの意識の違いは、とてつもなく大きかったと思います。もちろん、ロッキー青木を責めるつもりはありません。むしろ、その努力に敬意を表します。当時、彼らが経験した偏見は、敗戦国日本の悲哀そのものだったと思うからです。(写真出典:amazon.co.jp)

2022年9月13日火曜日

奥州安達原

凶弾に倒れた安倍晋三元首相は、山口県選出の国会議員でした。長州が生んだ8人の宰相のなかでは、地元人気はいまいちだったと聞いたことがあります。その理由を聞けば「だって東北の人でしょう」という答えが返ってくるのだそうです。確かにその通りですが、千年も前の話です。安倍氏は、10~11世紀、奥六郡を中心に、現在の岩手県から青森県東部までを支配した大豪族です。安倍氏は、勢力を拡大するとともに、半独立国家的な色彩を強め、朝廷への貢租を怠るようになります。朝廷は、安倍氏追討のために、源頼義を送り出します。いわゆる前九年の役です。安倍氏は敗れ、惣領であった安倍貞任は厨川柵で討ち死に、弟である宗任らは捕縛され、伊予国、後には筑前国宗像の筑前大島に流されました。

安達原と言えば、鬼婆の話と決まっていますが、浄瑠璃の「奥州安達原」は、全く異なるストーリーを持ちます。安倍貞任・宗任兄弟は、敵である源頼義一党を打ち、天皇の弟君である環宮を抱えて、独立国家建設を計ります。環宮を奪われた養育係の平傔仗直方は、勅使によって切腹を命じられます。切腹の時が迫るなか、浪人と恋仲になり、16歳で出奔した傔仗の長女・袖萩が、娘のお君をつれて両親を訪ねます。夫と離れ、門付芸人にまで落ちぶれた袖萩は、そこひを患い視力を失っています。降りしきる雪のなか、薄着に凍えながら、袖萩は許しを請う祭文を謳います。直方は、娘を抱きしめたい気持ちを押し殺し、武家の理を通して、娘との面会を拒絶します。直方の妻・浜夕は、二人の間に立って、右往左往しますが、夫に従わざるを得ません。

袖萩が持っていた夫の書き置きから、袖萩の夫が安倍貞任であることが判明します。貞任は、環宮を誘拐し、直方を切腹に追い込んだ張本人です。無念を抱えたまま直方は切腹し、この世をはかなんだ袖萩も、後を追うように自ら胸に刃物を刺します。しかも勅使になりすましていたのは、安倍貞任本人でした。おりしも、安倍宗任を捕縛した源八幡太郎義家が居合わせます。義家は、兄弟の敵である源頼義の長男であり、その嫁は袖萩の妹です。義家は、勅使に化けた貞任を見破ります。いきりたつ貞任でしたが、義家は、娘と瀕死の嫁を抱いてやれと諭します。そして、お互い武士ゆえ、戦場で相まみえようと、兄弟を逃がします。これでもか、と因果を重ね込んだ浄瑠璃らしい展開に目頭が熱くなりました。

奥州安達原は、近松半二らの合作で、1762年に初演されています。能楽の「善知鳥」や「安達原」の要素も取り込んでいるとされます。浄瑠璃でも歌舞伎でも、主に上演されるのは、上述した”袖萩祭文の段”になります。史実との関係で言えば、もちろん貞任は既に戦死していますし、直方の娘は、源頼義に嫁ぎ、八幡太郎義家を生んでいます。例によって、虚実ごちゃ混ぜのストーリーですが、よくもここまで泣ける話を組み立てられるものだと感心します。加えて、八幡太郎義家の名声の高さは理解できますが、安倍貞任・宗任兄弟についても、当時、そこそこ知られていたことが窺い知れます。前九年の役における源頼義の活躍が、その後の源氏の隆盛や正統性の礎になった面があり、安倍兄弟もよく知られていたのかも知れません。ちなみに、安倍晋三氏は、宗任から数えて44代目にあたるようです。

浄瑠璃は、惜しげも無く人間国宝を舞台に繰り出します。現在の人間国宝は、太夫の豊竹咲太夫、三味線の鶴澤清治、人形は、吉田簑助、吉田和生、桐竹勘十郎の5人です。今般の奥州安達原でも、うち3人が共演していました。桐竹勘十郎の袖萩など、見事なもので、客席の涙を大いに誘っていました。能楽のシテ方人間国宝の舞台は、滅多に観ることができません。そこへ行くと、浄瑠璃は、誠にありがたいな、と思うわけです。と同時に、浄瑠璃界の層の薄さの現われとも言え、いささか残念な気もします。三宅坂の国立劇場は、2023年10月をもって閉場し、建て替えに入ります。再開場は、2029年秋とのこと。その間、浄瑠璃東京公演は、舞台を探しながらの不定期公演になるようです。いささか寂しくなります。(写真出典:otube.osakazine.net)

2022年9月12日月曜日

スワンプ・フォックス

スワンプ・フォックス、沼の狐と呼ばれたのは、アメリカ独立戦争時に、サウスカロライナ民兵の指揮官だったフランシス・マリオン中佐(後に准将)でした。正規軍の将軍でもないのに、アメリカではよく知られた独立戦争の英雄であり、中西部には、彼の名前にちなんだ地名や施設が多く存在します。マリオンが率いた数十名の民兵は、無給であり、自前の馬や銃で戦いました。食料や弾薬等の補充は、イギリス軍から奪っていたようです。正規軍からは離れたところで、神出鬼没の攻撃を行い、大いにイギリス軍を苦しめたようです。その戦いぶりから、近代ゲリラ戦の父と言われ、米国陸軍が誇るレンジャー部隊の祖ともされます。

フランシス・マリオンは、1732年、サウスカロライナのプランテーション農家に生まれます。両親は、フランスから移民してきたユグノー、つまりプロテスタント・カルヴァン派でした。マリオンは、船乗りの経験を経て、軍に入り、独立戦争が始まると連隊長として参戦しています。イギリス軍がチャールストンを陥落させると、マリオンは、民兵部隊を率いてゲリラ戦を開始します。マリオン部隊に手を焼いたイギリスは、追討のためにバナスター・タールトン男爵を送り込みます。しかし、沼沢地を、巧みに逃げ、攻撃してくるマリオンを捕まえることはできませんでした。その際、タールトンが「このいまいましい年老いたキツネは悪魔ですら捕まえられない」と語ったとされ、マリオンは、沼の狐と呼ばれるようになります。

ローランド・エメリッヒ監督の「パトリオット」(2000)は、アメリカ独立戦争を描いた大作でした。メル・ギブソン演じる主人公は、マリオンを主に、他の著名軍人の要素も加えて創作された架空の役です。映画がヒットすると、英国から、マリオンは英雄視されるべき人物ではない、との批判が起こります。残虐なテロリストであり、チェロキー・インディアンを迫害し、楽しみのためにインディアンを殺し、奴隷をレイプしていたというのです。インディアンの迫害や虐殺は、フレンチ・インディアン戦争時のことであり、当時の基準からすれば、突出したことではないとされます。また、マリオンは、奴隷と良好な関係を保っており、レイプも事実無根のようです。ただ、テロリストという批判だけは微妙です。

ゲリラ戦は、比較的少人数の非正規軍が仕掛ける戦闘であり、大昔から存在していました。ゲリラはスペイン語ですが、ナポレオンに侵攻されたスペインの農民が行った戦いが”guerrilla(小戦争)”と呼ばれたことから広まりました。レーニンが、ゲリラ戦をパルチザン戦法として確立したことから、左翼革命の典型的な戦い方となります。また、第二次世界大戦では、占領地でのレジスタンスとして、あるいは毛沢東による遊撃戦論として確立されます。兵力と火力で戦う戦争はヴェトナム戦争で終わったと言われます。近代的な陸上戦は、ゲリラ戦の要素が大きいわけです。一方、テロリズムは、フランス革命時のジャコバン党による”恐怖政治”が語源であり、暴力的抗議活動ということができます。ただ、近年は、ゲリラとテロの境目がはっきりしないケースが増えているようにも思います。

マリオンに限ってみれば、戦争状態のなかでの戦闘であり、やはりゲリラ戦というべきであり、テロではありません。マリオンの戦いは、ミニット・マン等とともに、アメリカ伝統の民兵(ミリシア)という文化の起源になっています。アメリカには州兵(National Guard)制度がありますが、これも民兵が起源となっています。そして合衆国憲法修正2条は、民兵の必要性を謳い、国民から銃を所持・携帯する権利を奪ってはならない、としています。米国における銃規制強化が進まない最大の要因は、この憲法修正2条の存在です。いかに民兵が独立に貢献したとは言え、現代は、スワンプ・フォックスの時代とは大いに異なります。憲法を改正しろとまでは言いませんが、もっと厳しい銃の管理規制を導入すべきだと思います。(写真出典: marionso.com)  

2022年9月11日日曜日

見切り千両

井原西鶴
株式投資やFXなどと言えば、聞こえもいいのですが、かつて、株屋、あるいは相場師と言えば、結構、胡散臭い存在でした。相場師とは、大雑把に言えば、株式、不動産、穀物市場などで、現物を伴わない投機的な取引を行う人たちのことでした。一瞬にして巨万の富を得るロマンあふれる稼業とも言えますが、当然、そんな人はごく一握り。大層は、相場に大負けして、悲惨な人生を送ったものと想像できます。博打よりは合理的かも知れませんが、似たようなものなのでしょう。成功した相場師は有名になった人も多く、例えば、野村證券の野村徳七、山一の杉野喜精など、証券会社の創始者も多くいます。昔から、相場の世界には、独特の格言が存在し、今でも、通用するものが多いようです。

よく知られているものでは「相場は相場に聞け」、あるいは「天井三日 底百日」などがあります。なかでも「見切り千両」という言葉は好きな言葉です。売り時、買い時のタイミングを見極める事は難しいものです。ことに下げ相場の時など、もう少し我慢すれば、上げに転じるかも知れないと欲が働き、結果、大損することが多いものです。多少の損は覚悟で売った方が、大損を避けることになり、それは結果、千金にも値すると言うわけです。相場に限らず。ビジネス全般、あるいは社会生活でも意味のある格言だと思います。とかく欲に目がくらめば、ろくな結果にはならないものです。この言葉は、もともと上杉鷹山の格言として知られています。

全文は「働き一両 考え五両 知恵借り拾両 骨知り五十両 閃き百両 人知り三百両 歴史に学ぶ五百両 見切り千両 無欲万両」となります。鷹山らしい人生訓だと思います。しかし、鷹山に先立つこと100年前、井原西鶴の「日本永代蔵」に「働き一両 早起き五両 始末十両 儲け百両 見切り千両 無欲万両」という下りがあるようです。始末とは、船場言葉で倹約することを意味します。儲けとは、商売を営むことだと思えばいいのでしょう。井原西鶴は、江戸初期、寛永から元禄の頃に活躍した俳諧師にして浮世草子作家です。1682年に出版した「好色一代男」で、よく知られます。「好色一代男」は、単なる好色本というだけでなく、「源氏物語」のパロディでもあり、形骸化した古い価値観をあざ笑うカウンター・カルチャー的作品だとも言われます。

西鶴は、15歳で、既に俳諧師として名を成していたと言われます。発句の数を競う矢数俳諧では、一昼夜で23,500句という記録を打ち立てています。現代なら、間違いなくギネス記録です。大阪で活躍した西鶴は、商人ではありませんが、商人の栄枯衰勢を数多く目にしたはずです。西鶴のこの言葉を商人訓とするならば、無欲万両とは、石田梅岩の「実の商人は 先も立 我も立つことを思うなり」、あるいは大丸創業者の下村彦右衛門の「先義後利」に通じる言葉と理解できます。一方、人生訓とするならば、見切り千両、無欲万両と合わせ、人間の強欲を戒める言葉と捉えることができます。俳諧は、連歌から派生した、より遊戯性の高い、機知に富んだ短歌の形式です。発句と連句から成り、後に発句だけが独立して俳句になります。西鶴の言葉は、俳諧師らしい世の中の見方から生まれた言葉のように思えます。

つまり、儲け百両までの下りは、確かにお金の話ですが、実は、銭金の世界は、そんな程度のもので、人生の価値としては無欲に勝るものはない、ということなのでしょう。だとすれば、本家の西鶴の言葉より、鷹山の方が、より実学的で、より生臭いものに思えてきます。ちなみに、鷹山の名言とされる「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の原典は、古代中国の「書経」だとされます。しかし、この言葉は、武田信玄の言葉を鷹山流にアレンジしたものだと言われます。オリジナルではありませんが、使えるものは使うという鷹山のプラグマティズムを感じさせる話です。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2022年9月10日土曜日

「ブレット・トレイン」

監督: デヴィッド・リーチ      2022年アメリカ

☆☆☆

伊坂幸太郎の「マリアビートル」を原作とするアクション・コメディです。簡単に言えば、漫画です。ポップな漫画としては上出来だと思います。デヴィッド・リーチ監督は、スタントマン出身ですが、”ジョン・ウィック”、”アトミック・ブロンド”など、いつもレベル以上のアクション映画を見せてくれます。本作は、ほぼ全てのアクションが走る新幹線内で行われるという面白い設定になっています。原作を読んだことはありませんが、なかなか秀逸な着想だと思います。シナリオは、そこそこ翻案されているようですが、プロットの奇想さは活かされているように思います。伊坂幸太郎は、伏線の張り方と回収が見事だといわれます。そこも、なかなかポップに処理されています。

この映画に関して、ホワイトウォッシングが議論になったと聞きます。ホワイトウォッシングは、白人ではない役に白人俳優がキャストされること、あるいは、その白人俳優が、役の民族的特徴を強調して表現することです。戦前は、よく行われていました。典型的には、白人が顔を黒く塗って、黒人の真似をすることです。アジア人では、探偵のチャーリー・チャンを白人が演じましたが、これも典型です。人種差別的であることから、1960年代以降、あまり見かけなくなりました。「ブレット・トレイン」では、原作で日本人とされた役を、日本人以外が演じている、あるいは日本を舞台としたまま日本人以外が演じているといった点がホワイトウォッシングと批判されたようです。

お門違いの議論のように思えます。確かに、キャストは日本人以外がほとんどですが、そもそも役が日本人以外に翻案されています。つまり、白人の役を白人が演じているわけです。ホワイトウォッシングではなく、あくまでも翻案の範囲内の話だと思います。日本文化に根ざした日本人の役ならば理解できる批判ですが、目くじらを立てるような話ではありません。インタビューで、この点を問われた伊坂自身も、自分が描くキャラクターは無国籍的だと言っているようです。今回のホワイトウォッシング問題の背景には、ハリウッドにおけるアジア系俳優のキャスティングが少ないという不満があるように思えます。私は、むしろ日本の風土の描き方に、違和感を覚えます。

言ってもしょうがない話であることは理解しています。外国人の目から見た日本の特徴なので、日本人の認識とは異なって当然です。たた、ゲイシャ・フジヤマの頃から、あまり変わっていないように思えます。1967年の「007は二度死ぬ」は、ほぼ全て日本国内で撮影されました。そのエキゾチシズムの描き方が、あまりにも日本文化を茶化しているように思え、見ていて不快になったことを覚えています。とは言え、それが、当時の外国人の日本観だったわけで、映画は世界的に大ヒットしました。以降、あまり変わっていないように思える映画の中の日本観ですが、一つ大きな変化があります。必ず居酒屋街の光景がカットインされるようになったことです。1982年の大ヒット作「ブレードランナー」が、歌舞伎町をヒントにしたことから起きた現象です。

実は、日本の映画やTVでも、妙にステレオタイプ化した外国人の描き方を見かけます。カウボイーイ・ハットのアメリカ人は、南部でしか見かけません。ベレー帽のフランス人など、ほぼいません。ターバンを巻いたインド人は、シーク教徒だけです。正確か否かの問題ではなく、見る人にイメージが伝わるかどうかの問題ですから、止むを得ない面があります。とは言え、差別的にならないことだけは、配慮すべきです。さらに言えば、近代化された大都市など、世界中、どこでも同じような風景になりますから、余計にエキゾチシズムが強調される傾向にあるわけです。(写真出典:natalie.mu)

2022年9月9日金曜日

監視社会

旧シュタージ本部
「政権は銃口から生まれる」と言ってのけたのは、毛沢東でした。いわゆる”革命”で誕生した政権が、最も恐れるものは”革命”です。革命政権は、独裁をしき、全体主義を徹底し、監視社会を作り上げ、革命の芽を摘んでいきます。監視社会の実現を担うのは、おおむね秘密警察の類いです。かつて、世界最強の監視社会と言われたのは東ドイツでした。国民の監視を担当したのはシュタージと呼ばれる国家保安省でした。ベルリンの壁崩壊時には、10万人の職員、60万人の非公式情報提供者が存在し、最盛期、その合計は190万人に達していたという説もあります。人口比では、1割を超え、悪名高きゲシュタポやKGBをはるかに凌いでいたようです。

 国民を監視する手法としては、半ば公然たる尾行、盗聴、盗撮、郵便の開封など、あらゆる事が行われていますが、主体を成したのは、非公式情報提供者による密告です。いわゆる相互監視体制です。なにせ10人に1人が非公式情報提供者だったわけで、近隣住民、職場の同僚、友人、果ては家族・夫婦・恋人まで含まれていました。シュタージに情報を提供しなければ、我が身が危ないわけですから、実に残酷な仕組みです。北朝鮮の金王朝が存続している理由の一つが、この相互監視体制だとも言われます。ドイツ統一後、シュタージは解散され、保管していた個人情報は公開されます。自分を告発していたのが、友人や家族だったことを知り、人間不信に陥った人も多かったようです。

アカデミー外国語映画賞を獲ったドイツ映画「善き人のためのソナタ」(2006)は、1984年の東ベルリンに暮らすシュタージの職員、劇作家、その恋人である女優に起きる悲劇を描いています。フィクションですが、当時のシュタージと東ドイツ社会を徹底的に研究して製作され、監視社会の残酷極まりない実態を浮き彫りにしていました。ただ、「”善き人のためのソナタ”を聞いた人間は、本当の悪人になれない」というセリフとともに、人間性への希望を残すストーリーになっていました。統一後のドイツでは、アンゲラ・メルケル元首相はじめ、東ドイツ出身者も大いに活躍しているのでしょうが、多くは、監視社会で受けた傷を抱えたまま、生きてきたのではないかと想像します。

北朝鮮、中国、ロシア等を見れば、監視社会は、決して過去の話ではありません。そして、ネット化が進む中、監視社会化は、全体主義国家に限った話ではなくなりつつあります。その対応策として、各国は、プライバシー保護の強化に取り組んでいます。世界をリードしているのが、2018年に適用が開始されたEU一般データ保護規則(GDPR)です。日本のプライバシー保護が、個人名の特定に限っているのに対して、GDPRは、購買履歴といった個人名を特定できない情報にも適用されます。欧州と取引のある企業にも適用されることから、日本企業も対応に大わらわでした。世界の潮流は、明らかにGDPRにあり、日本のプライバシー保護は、既にガラパゴス化していると言われます。

シュタージが、危険人物に対して行った”ツェルゼッツンク(弱体化)”という心理作戦があります。投獄・拷問・処刑ではなく、個人情報を周囲にばら撒く等して、対象者を精神的に追い詰め、社会生活を破綻させる手法です。より積極的には、ハニー・トラップによって離婚を画策する、あるいは手術の際に関係のない臓器を摘出することまで行われたようです。シュタージがたどり着いた最も近代的な大衆管理手法とも言われます。プーチン体制のロシアでも、その進化版が多用されているという説もあります。基本的には、情報操作の一種ですが、ネット社会では、容易に実行することが可能な手法であり、いわゆる”晒し”はじめ、常日頃、ネットで発生している問題とも言えます。日本でも、GDPRのような踏み込んだ対応策が求められていると思います。(写真出典:tripadvisor.jp)

2022年9月8日木曜日

ジェットコースター

かつて、戸塚の奥に「横浜ドリームランド」という大規模遊園地がありました。1964年に、日本のディズニーランドを目指すとして開園されました。大人気だったものの、アクセスの悪さから、次第に客足が遠のき、2002年には閉園されています。大船駅と結ぶモノレールが敷設されましたが、技術的問題で運行休止。アクセスは、バスと自家用車に限定されますが、近隣の宅地開発が急速に進んだこともあり、ひどい渋滞が起こります。その間に、本物のディズニーランドがオープンしたり、他の遊園地、テーマパークが多く開園したこともあり、経営は悪化し、閉園となりました。跡地は、大学や公園になているようです。

横浜ドリームランドには、当時としては最新鋭の絶叫マシーンが揃っていました。80年代の初めに、一度だけ行きましたが、ジェットコースターでは首が痛くなり、バイキングは実に不快でした。それ以降、その類いには、一切、乗らなくなりました。実は、これ、ドリームランドのせいではなく、私の年齢的問題によるものでした。つまり、不思議なことに、年齢とともに、絶叫マシーンが苦手になっていく傾向があるわけです。子供に、ジェットコースターをせがまれた時には困りました。ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテン、花屋敷のジェットコースターくらいなら付き合えますが、絶叫系は地獄なので、拒否しました。

年齢とともに、絶叫マシーンが苦手になる理由には、いくつかの説があるようです。一つは、防衛本能です。要するに、年齢を重ねると、経験や知識が増すことで、リスクに対する認識が高まり、防衛本能が働くという説です。また、若年期にも防衛本能はあるものの、好奇心が、それを上回るという話もあります。こうした心理学的アプローチに加え、三半規管の平衡感覚と視覚情報のズレがストレス・ホルモンの分泌を促すことに関係するという説明もあります。いわゆる乗り物酔いの原因となる話ですが、加齢とともに、三半規管の敏捷性が失われ、感覚のズレが大きくなるというわけです。これは、ややピンとこない話です。

例えば、自動車の場合、運転手は乗り物酔いを起こすことはありません。平衡感覚と視覚情報にズレが生じにくいからです。ならば、目を閉じて視覚を情報を遮断すればいいようにも思います。ただ、視覚以外の感覚と平衡感覚のズレが生じること、そして視覚情報が無いことによる不安感がストレス・ホルモンの分泌を促すという現象が起きるようです。要するに、年齢の高い人がジェットコースターに乗ると、過剰な防衛反応から、目を閉じる、安全バーを強く握る等することによって、より感覚のズレを生じやすく、かつ経験の少なさから生じる不安感がストレス・ホルモンをより多く分泌するということなのでしょう。

絶叫マシーンには、身長制限があります。安全バーなど設備上の問題から制限しているのでしょう。加えて、近年は、ものによって60歳、65歳以上お断りという制限もあるようです。法律に基づくものではなく、施設独自のルールだそうです。医学的根拠もないのだろうと想像します。恐らく、高齢者による何らかのトラブルが発生する傾向があり、施設側に責任がないとしても、苦情や訴訟リスクを回避するために行っていることなのでしょう。オウン・リスクであることを明示すれば事足りるようにも思え、やや自己防衛に過ぎるようにも思えます。ただ、老人の苦情やトラブルの処理には、時間も労力もかかりますから、理解できる処置のようにも思えます。(写真出典:gigazine.net)

サンティアゴ・デ・クーバ