2022年9月13日火曜日

奥州安達原

凶弾に倒れた安倍晋三元首相は、山口県選出の国会議員でした。長州が生んだ8人の宰相のなかでは、地元人気はいまいちだったと聞いたことがあります。その理由を聞けば「だって東北の人でしょう」という答えが返ってくるのだそうです。確かにその通りですが、千年も前の話です。安倍氏は、10~11世紀、奥六郡を中心に、現在の岩手県から青森県東部までを支配した大豪族です。安倍氏は、勢力を拡大するとともに、半独立国家的な色彩を強め、朝廷への貢租を怠るようになります。朝廷は、安倍氏追討のために、源頼義を送り出します。いわゆる前九年の役です。安倍氏は敗れ、惣領であった安倍貞任は厨川柵で討ち死に、弟である宗任らは捕縛され、伊予国、後には筑前国宗像の筑前大島に流されました。

安達原と言えば、鬼婆の話と決まっていますが、浄瑠璃の「奥州安達原」は、全く異なるストーリーを持ちます。安倍貞任・宗任兄弟は、敵である源頼義一党を打ち、天皇の弟君である環宮を抱えて、独立国家建設を計ります。環宮を奪われた養育係の平傔仗直方は、勅使によって切腹を命じられます。切腹の時が迫るなか、浪人と恋仲になり、16歳で出奔した傔仗の長女・袖萩が、娘のお君をつれて両親を訪ねます。夫と離れ、門付芸人にまで落ちぶれた袖萩は、そこひを患い視力を失っています。降りしきる雪のなか、薄着に凍えながら、袖萩は許しを請う祭文を謳います。直方は、娘を抱きしめたい気持ちを押し殺し、武家の理を通して、娘との面会を拒絶します。直方の妻・浜夕は、二人の間に立って、右往左往しますが、夫に従わざるを得ません。

袖萩が持っていた夫の書き置きから、袖萩の夫が安倍貞任であることが判明します。貞任は、環宮を誘拐し、直方を切腹に追い込んだ張本人です。無念を抱えたまま直方は切腹し、この世をはかなんだ袖萩も、後を追うように自ら胸に刃物を刺します。しかも勅使になりすましていたのは、安倍貞任本人でした。おりしも、安倍宗任を捕縛した源八幡太郎義家が居合わせます。義家は、兄弟の敵である源頼義の長男であり、その嫁は袖萩の妹です。義家は、勅使に化けた貞任を見破ります。いきりたつ貞任でしたが、義家は、娘と瀕死の嫁を抱いてやれと諭します。そして、お互い武士ゆえ、戦場で相まみえようと、兄弟を逃がします。これでもか、と因果を重ね込んだ浄瑠璃らしい展開に目頭が熱くなりました。

奥州安達原は、近松半二らの合作で、1762年に初演されています。能楽の「善知鳥」や「安達原」の要素も取り込んでいるとされます。浄瑠璃でも歌舞伎でも、主に上演されるのは、上述した”袖萩祭文の段”になります。史実との関係で言えば、もちろん貞任は既に戦死していますし、直方の娘は、源頼義に嫁ぎ、八幡太郎義家を生んでいます。例によって、虚実ごちゃ混ぜのストーリーですが、よくもここまで泣ける話を組み立てられるものだと感心します。加えて、八幡太郎義家の名声の高さは理解できますが、安倍貞任・宗任兄弟についても、当時、そこそこ知られていたことが窺い知れます。前九年の役における源頼義の活躍が、その後の源氏の隆盛や正統性の礎になった面があり、安倍兄弟もよく知られていたのかも知れません。ちなみに、安倍晋三氏は、宗任から数えて44代目にあたるようです。

浄瑠璃は、惜しげも無く人間国宝を舞台に繰り出します。現在の人間国宝は、太夫の豊竹咲太夫、三味線の鶴澤清治、人形は、吉田簑助、吉田和生、桐竹勘十郎の5人です。今般の奥州安達原でも、うち3人が共演していました。桐竹勘十郎の袖萩など、見事なもので、客席の涙を大いに誘っていました。能楽のシテ方人間国宝の舞台は、滅多に観ることができません。そこへ行くと、浄瑠璃は、誠にありがたいな、と思うわけです。と同時に、浄瑠璃界の層の薄さの現われとも言え、いささか残念な気もします。三宅坂の国立劇場は、2023年10月をもって閉場し、建て替えに入ります。再開場は、2029年秋とのこと。その間、浄瑠璃東京公演は、舞台を探しながらの不定期公演になるようです。いささか寂しくなります。(写真出典:otube.osakazine.net)

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