監督: デヴィッド・リーチ 2022年アメリカ
☆☆☆
伊坂幸太郎の「マリアビートル」を原作とするアクション・コメディです。簡単に言えば、漫画です。ポップな漫画としては上出来だと思います。デヴィッド・リーチ監督は、スタントマン出身ですが、”ジョン・ウィック”、”アトミック・ブロンド”など、いつもレベル以上のアクション映画を見せてくれます。本作は、ほぼ全てのアクションが走る新幹線内で行われるという面白い設定になっています。原作を読んだことはありませんが、なかなか秀逸な着想だと思います。シナリオは、そこそこ翻案されているようですが、プロットの奇想さは活かされているように思います。伊坂幸太郎は、伏線の張り方と回収が見事だといわれます。そこも、なかなかポップに処理されています。この映画に関して、ホワイトウォッシングが議論になったと聞きます。ホワイトウォッシングは、白人ではない役に白人俳優がキャストされること、あるいは、その白人俳優が、役の民族的特徴を強調して表現することです。戦前は、よく行われていました。典型的には、白人が顔を黒く塗って、黒人の真似をすることです。アジア人では、探偵のチャーリー・チャンを白人が演じましたが、これも典型です。人種差別的であることから、1960年代以降、あまり見かけなくなりました。「ブレット・トレイン」では、原作で日本人とされた役を、日本人以外が演じている、あるいは日本を舞台としたまま日本人以外が演じているといった点がホワイトウォッシングと批判されたようです。
お門違いの議論のように思えます。確かに、キャストは日本人以外がほとんどですが、そもそも役が日本人以外に翻案されています。つまり、白人の役を白人が演じているわけです。ホワイトウォッシングではなく、あくまでも翻案の範囲内の話だと思います。日本文化に根ざした日本人の役ならば理解できる批判ですが、目くじらを立てるような話ではありません。インタビューで、この点を問われた伊坂自身も、自分が描くキャラクターは無国籍的だと言っているようです。今回のホワイトウォッシング問題の背景には、ハリウッドにおけるアジア系俳優のキャスティングが少ないという不満があるように思えます。私は、むしろ日本の風土の描き方に、違和感を覚えます。
言ってもしょうがない話であることは理解しています。外国人の目から見た日本の特徴なので、日本人の認識とは異なって当然です。たた、ゲイシャ・フジヤマの頃から、あまり変わっていないように思えます。1967年の「007は二度死ぬ」は、ほぼ全て日本国内で撮影されました。そのエキゾチシズムの描き方が、あまりにも日本文化を茶化しているように思え、見ていて不快になったことを覚えています。とは言え、それが、当時の外国人の日本観だったわけで、映画は世界的に大ヒットしました。以降、あまり変わっていないように思える映画の中の日本観ですが、一つ大きな変化があります。必ず居酒屋街の光景がカットインされるようになったことです。1982年の大ヒット作「ブレードランナー」が、歌舞伎町をヒントにしたことから起きた現象です。
実は、日本の映画やTVでも、妙にステレオタイプ化した外国人の描き方を見かけます。カウボイーイ・ハットのアメリカ人は、南部でしか見かけません。ベレー帽のフランス人など、ほぼいません。ターバンを巻いたインド人は、シーク教徒だけです。正確か否かの問題ではなく、見る人にイメージが伝わるかどうかの問題ですから、止むを得ない面があります。とは言え、差別的にならないことだけは、配慮すべきです。さらに言えば、近代化された大都市など、世界中、どこでも同じような風景になりますから、余計にエキゾチシズムが強調される傾向にあるわけです。(写真出典:natalie.mu)