2022年3月7日月曜日

名作と名演

五代目古今亭志ん生
「ジャズに名作なくして名演あり」とは、日本のジャズ評論の草分けである野川香文の言葉だとされます。アドリブを重視するジャズの本質をついた名言です。とは言え、もちろん名曲も存在します。落語も似たところがあるように思います。古典落語の名作は数多く存在しますが、演じる噺家によって、随分と趣が異なり、腕の違いが出ます。人情噺における演技力の差も大きいのですが、むしろ粗忽噺の方が違いが出るように思います。粗忽噺は、実にバカバカしい筋立てゆえ、客をその世界に没入させなければ、成立しません。落語は、名演なくして名作もなし、といったところでしょうか。 

粗忽噺のなかで最も演じるのが難しいと言われるのが「粗忽長屋」です。浅草寺で素性の知れない行き倒れがあり、それを見た八っあんは、長屋の熊さんだと確信します。「今朝も具合が悪いと言ってたからな」と言う八っあんに、周囲の人は、行き倒れたのは昨晩だから別人だよ、と言います。いや、熊に違ぇない、あいつはそそっかしいから気がついてねぇんだ、今、呼んでくらぁ、と八っあんは長屋へ一目散。お前は死んだと言われても納得いかない熊さんでしたが、八っあんに丸め込まれて浅草寺へ行きます。死体を抱きかかえ、抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だ、と下げます。

粗忽どころか、もはやシュールな世界です。それを笑いを取りながら、最後まで聞かせるには、相当の芸が求められます。名人を通り越して達人と言われた五代目志ん生は、テンポ良く軽妙に進めます。五代目小さんは独特の間とテンポで引き込みます。談志は、勢いでもっていきます。談志は、粗忽長屋を、主観性がテーマの落語だと言っていますが、確かに聞きようによっては哲学的かも知れません。まったく異なる意味で傑作だと思うのが上方落語の「持参金」です。随分と図式的な噺だけに、演じ方、落とし方が難しい面があると思います。もとは「逆さの葬礼」や「捨米」という古典落語であり、現代感覚では陰惨と言える落ちを削ったものだと聞きます。

番頭はんが、清さんに、催促なしで貸した20円を今晩中に返してくれと言ってきます。困った清さんのところへ金物屋の佐助はんが縁談を持ってきます。器量が悪く、しかも臨月ながら、20円の持参金付きと聞き、清さんは即決し、その晩、祝言を挙げます。翌朝、番頭はんが金を取りにきます。清さんは、今、金が届くと答えます。金を待ちながら、番頭はんが、急に金が入り用になったわけを話し出します。実は、番頭はんが手を付け妊娠させた女中が臨月を迎え、困っていると、金物屋の佐助はんが、20円用意したら、後は何とかしましょうと請け合います。そして、佐助はんは、清さんのところへ縁談を持ち込んだのでした。清さんは20円を番頭に返す、番頭は20円を佐助に渡す、佐助はそれを持参金として清はんに渡す、清はんがそれを番頭に返す、という構図です。金は天下の回りもの、というわけです。

聞いていて心地良くなるほど流暢な語りの米朝は、いつも軽妙な芸で笑わせてくれます。その弟子である枝雀は、メリハリのきいた語りに独特な身振りを加えて演じます。いずれも大阪ことばの達人ですが、師匠の温かみのある笑いに対して、弟子は爆笑系という違いがあります。枝雀の「持参金」は、やや演じることに汲々としている印象があります。爆笑系にとっては不向きな噺かも知れません。高座の天才ぶりとは異なり、枝雀は至って生真面目な人でした。芸道の探求に身も心も捧げ、プレッシャーとの板挟みになった枝雀は、鬱病を患い自殺します。志ん生は、満州で死線を越えたことで一皮むけ、天衣無縫の達人になったと言います。枝雀も、何か、一皮むける機会さえあればと、今更ながらに悔やまれます。(写真出典:asahi.com)

2022年3月6日日曜日

ウォルドルフ・アストリア

大好物のエッグ・ベネディクトを、最初に食べたのは、いつ、どこでだったのか思い出せません。ただ、NYに赴任した時、エッグ・ベネディクト発祥の地が、事務所近くのウォルドルフ・アストリア・ホテルだと聞き、うれしくなって食べに行ったことを覚えています。なお、その起源に関しては、ダウンタウンのデルモニコスなど諸説ありますが、いずれも証券ブローカーとして成功したベネディクト夫妻、ないしはベネディクト夫人の示唆に基づくという点で共通しています。イングリッシュ・マフィン、ハム、ポーチド・エッグ、上からオランデーズ・ソースというシンプルさながら、理想的な朝食メニューだと思います。

 NYどころか、アメリカを代表するホテルとも言えるウォルドルフ・アストリアは、1893年、5番街で開業しました。当時は、ウォルドルフとアスターという隣り合う二つのホテルでした。1929年、エンパイア・ステート・ビルディングの建設に伴い、二つのホテルは取り壊しとなり、1931年、現在のパーク・アヴェニューにウォルドルフ・アストリアとして再オープンします。ウォルドルフとアスター両ホテルは、大富豪アスター家の従兄弟同士の経営でした。落成当時は、世界一高いビルだったそうです。1949年には、コンラッド・ヒルトンが経営権を手に入れ、現在もヒルトン・グループによって運営されています。ただし、建物は、2014年、中国の安邦保険集団に買収されました。安邦は、経営者が訴追された後、国営企業化されましたので、現在の所有者は中国政府ということになります。

開業時、ウォルドルフ・アストリアは、アールデコ調の贅をこらした内装と最先端の設備を持ち、食事とサービスは、アメリカ随一と言われたそうです。NY社交界の中心であるとともに、資金調達パーティー、各種レセプション、国際会議等についても、アメリカ最上級の会場とされていました。一つの国家機関に匹敵するとまで言われたウォルドルフ・アストリアは、まさに20世紀の歴史が動いた場所の一つといえます。また、宿泊に関しては、米国大統領、各国の国家元首、王族、富豪、著名人等の定宿として知られます。1975年、昭和天皇が訪米した際にも宿泊されています。天皇による史上初の訪米は、大きな話題となりました。天皇陛下一行は、セキュリティ面を考慮して、タワーの3フロアーを貸し切ったと聞きます。なお、ホテルの地下には、メトロノース鉄道の大統領専用プラットフォームまであります。そこには、足が不自由だったルーズベルト大統領の車を乗せられるエレベーターまであったようです。

また、開業時、1/3の部屋が、レジデンシャルとされ、各界の著名人が住んでいたことでも知られます。フーバー大統領、アイゼンハワー大統領、マッカーサー将軍はじめ、各国の王室や大富豪、そしてフランク・シナトラやマリリン・モンローといった映画スターも住んでいました。また、NYマフィアの有名な首領も何人か住んでいます。いくつかあるレストランやバーも有名です。世界中から取り寄せられた豪華な食材が並び、レシピ本も多数出版されています。ゴッドファーザーなど映画のロケ地としても有名でした。エディ・マーフィの1988年のヒット作「星の王子ニューヨークへ行く(ひどい邦題です。原題は”Coming to America”です)」のロケが行われているとき、知らずにカメラの前を横切り、クルーに文句を言われました。映っていないかな、と楽しみにしていましたが、さすがにカットされていました。

産業革命による植民地競争が行きついた先が、2度に渡る世界大戦だったわけですが、戦場となった欧州を尻目に、アメリカは世界最強国になります。20世紀はアメリカの時代とも言われますが、ウォルドルフ・アストリアは、まさにその象徴だったわけです。2014年、中国に買収されたことは、アメリカの一強時代が終わったことを象徴しているとも言えます。1989年、三菱地所がロックフェラー・センターを買収した時には、NYに衝撃が走りました。アメリカは、魂を売ったとまで言われました。これが、いわゆる終わりの始まりだったのでしょう。(写真出典:en.wikipedia.org)

2022年3月5日土曜日

「シラノ」

監督:ジョー・ライト   原題: Cyrano  2021年イギリス・アメリカ

☆☆☆+

19世紀末に、エドモン・ロスタンが書いた傑作戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」を、2018年、エリカ・シュミットがミュージカルの舞台に仕立て、大ヒットさせます。本作は、そのエリカ・シュミットが脚本を書き、舞台でも演じたピーター・ディンクレイジとヘイリー・ベネットをそのまま主演させ、才能豊かなジョー・ライトが監督しました。脚本の良さ、そつのない演出、主演の二人の名演もあり、なかなかよく出来たミュージカルになっています。

ロスタンのシラノ・ド・ベルジュラックは、大きな鼻を恥じて、恋の告白ができません。シュミットのシラノは、小人症という設定であり、「ゲーム・オブ・スローンズ」のピーター・ディンクレイジが演じました。大ヒットTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のなかで、ティリオン・ラニスターを演じたディンクレイジは、エミー賞を4度も受賞するなど、その演技は大絶賛されました。2011~2019年に放送されたゲーム・オブ・スローンズは、極めて中毒性の高いシリーズで、次のシーズンを待つ6~8ヶ月間は地獄のようでした。なかでも、ディンクレイジ演じるティリオン・ラニスターは、助演ながら主役達を食うほど大人気でした。実に魅力的な俳優です。本作の魅力の一つは、明らかにディンクレイジを見れることだと思います。

ヘイリー・ベネットは、うまいキャスティングだと思います。俳優としてはB級映画中心の出演ですが、歌手としても活躍しています。ゴージャスな美人ではなく、どこか子供っぽさと田舎くささを残しているところが、映画にちょうどいいバランスを生んでいます。なかなかいい味を出していると思います。そう思うのは、「ヒルベリー・エレジー」のお姉ちゃん役だったからかも知れません。デスナー兄弟による音楽も上出来です。兄のブライスは映画音楽も手がける作曲家、弟のアーロンは、オルタナティブ・ロックの才人ですが、テイラー・スウィフトとのコラボ等でグラミー賞を2度受賞しています。クラシックな楽調から、モダンなテイストまで、多才なスコアを提供していますが、滑らかなメロディが心地良く感じました。

シラノ・ド・ベルジュラックは、17世紀に実在した人物です。作家、詩人、哲学者にして、剣の名手でもあったという人です。100人を相手に戦い、2人を殺害、7人を負傷させたという話が有名であり、映画のなかでも、ちょっとだけいじっています。作家としては、「月世界旅行記」と「太陽世界旅行記」が、SF小説の嚆矢としても知られます。もちろん、鼻が大きかったという記録はないようです。ロスタンは、剣と文章の達人だったシラノ・ド・ベルジュラックを、うまく使って不思議で魅力的な恋の物語を仕立て、今日まで上演され続ける定番戯曲を書いたわけです。天才的とも言えますが、残念ながら、シラノ・ド・ベルジュラック以外の作品は、評価されることも、ヒットすることもなかったようです。

まったくの余談になりますが、シラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」は、1657年に出版されています。3段ロケット、月が球体であること、月にも引力があること等が書き込まれ、4本足で歩く知的生物体や彼らが持つ機械仕掛けのしゃべる本が登場するそうです。ジュール・ベルヌに先立つ200年前のことです。剣や韻文詩ではなく、彼のSFに関する先進的な想像力を題材に、映画「シラノ・ド・ベルジュラックSF版」が撮れそうな気もします。(写真出典:screenonline.jp)

2022年3月4日金曜日

カーニバル

ヴェネツィア・カーニバル
キリスト教における四旬節とは、”灰の水曜日”から復活祭(イースター)までの40日間を指し、復活祭の準備期間とされます。キリストが荒野で40日間断食したことにちなんでおり、かつては、実際に断食も行われたようです。現代では、慎ましやかな食事を取る期間とされています。ただ、灰の水曜日と復活祭前の聖金曜日には日に一回の食事、期間中の毎週金曜には肉を食べないなど、断食を思い起こさせる習慣も残ります。その四旬節の直前に行われるのが、謝肉祭、いわゆるカーニバルです。

カーニバルは、宗教上の教義に基づく行事ではありません。ゲルマンの春の到来を祝う祭りと四旬節が結びついて生まれたとされます。断食の前に、たらふく飲み食いしておこうということだったようです。カーニバルの語源は、ラテン語の”肉を取り除く”という言葉だと聞きます。断食を意味するのではなく、断食の前に、今ある肉を食べ尽くすということなのでしょう。聖書に記載のない民間行事ですから、お祭りの内容も、期間も、各地で実に様々です。ただ、カーニバルの終わりだけは、世界共通であり、灰の水曜日の前日となります。世界三大カーニバルと言われるのが、リオ・デ・ジャネイロ、ヴェネツィア、トリニダード・トバゴのカーニバルです。

トリニダード・トバゴのカーニバルは、首都ポート・オブ・スペインで行われ、トリニダード・トバゴ発祥の音楽”ソカ”の早いリズムで踊ります。映像で見る限り、派手な衣装やグループでのコンテストなど、リオのカーニバルによく似ていますが、リオのエスコーラほど統制はとれていなく、より自由で、より他民族的な印象です。ソカは、1960年代に、ソウルとカリプソの組み合わて誕生したいわれますが、とにかくテンポが早いことが特徴です。また、トリニダード・トバゴで生まれ、カリプソを象徴する楽器となったスティールパンが多用されます。スティールパンは、ドラム缶を切って作られますが、独特な甘い音色が魅力的です。カーニバルの時期に合わせて、世界最大のスティールパンのコンテスト”パノラマ”も開催されます。

ヴェネツィアのカーニバルの始まりは12世紀までさかのぼります。最も有名なマスクと仮装は、身分の違いを超えて、人々が交流し、楽しむためのものと言われます。ただ、後にマスクは、娼館へ通う際や秘密の逢瀬でも用いられるようになり、一時期は、カーニバル以外での着用が禁じられたこともあったようです。千年の都ヴェネツィアのカーニバルは賑やかなものだったようですが、ナポレオンやオーストリア帝国支配下では抑圧され、下火になっていきます。ヴェネツィアにカーニバルが復活したのは、1979年のことでした。ただ、庶民の祭りというよりは観光的な色合いが濃くなっていることは否めません。とは言え、かつて開催されていた”メアリーの饗宴”と呼ばれる美人コンテストも復活され、あるいはマスクと衣装のコンテストなども開催されるなど、派手に行われているようです。

リオのカーニバルについては、何の説明も必要ないでしょう。世界最大のカーニバルであり、サンバの祭典です。エスコーラ・ジ・サンバと呼ばれるサンバ・グループが競うパレードが最も有名です。他に街頭で市民によって行われるカーニバル・パレードもありますが、今年もコロナ感染予防として中止されました。ただ、コンテストは、4月に延期して実施されるようです。個々のエスコーラには、数千人が所属し、1年をかけてパレードの準備をしています。メイン会場でパレードするエスコーラは12団体ですが、これがいわば一部リーグにあたります。その下にも多くのエスコーラがあり、コンテストは入れ替え戦でもあります。従って、当局への開催圧力は相当に強いものがあるはずです。また、カーニバルによる観光収入は、リオにとって重要な財源であることも間違いありません。(写真出典:cafetalk.com)

2022年3月3日木曜日

長崎ちゃんぽん

四海楼のちゃんぽん
江戸時代から続く長崎随一の料亭「花月」へ、家族で卓袱料理を食べに行ったことがあります。卓袱(しっぽく)とは、テーブルとクロスを意味する中国語であり、発音はヴェトナム方言とも言われます。江戸中期に、中華料理、オランダ料理、日本料理が合体して生まれた料理です。お膳文化の日本では、テーブルで供される料理自体が珍しく、卓袱料理と呼ばれたようです。花月は、卓袱料理と共に、見事な庭園、築200年を超える建屋、そして酔った坂本龍馬が柱に付けたという刀傷で有名です。花月のある丸山界隈は、江戸期、京都の島原、江戸の吉原、大阪の新町と並ぶ花街でした。なかでも衣装の豪華さは日本一だったようです。出島、唐人屋敷を抱える貿易港の経済力を物語っているのでしょう。

卓袱料理は、とても美味しいと思います。様々な料理が出されますが、やさしい味付けが全体の統一性を保っています。その味付けは、福建料理に通じるものがあるように思いました。長崎と福建華僑の関係は濃いものがあります。平戸生まれの鄭成功も、実家は福建でした。さらに、長崎名物ちゃんぽんも、福建料理がベースと言われます。ちゃんぽんは、明治中期、福建省出身の「四海楼」初代店主が、中国人留学生に、安くて栄養価の高い食べ物を提供したいと思い、考案したと言われます。野菜、かまぼこ、豚肉等を炒め、豚骨ベース等のスープと独特なかん水で作った麺を入れます。混ぜるという意味の中国語「攙(チャン)」と炒めて調味料を加える「「烹(パァン)」から生まれた言葉だとされます。沖縄のチャンプルーも同じ語源です。

多くの食材から取ったスープは、間違いなく美味しくなります。ちゃんぽんのベースとなるスープは、豚骨、鶏ガラ、海鮮等、様々ですが、具材の多さは共通です。野菜のグルタミン酸、豚肉と魚介のイノシン酸が混ざり合い、深いコクが出ます。元祖四海楼のちゃんぽんは、 白濁したとんこつスープがベースです。臭みなどなく、バランス良く、まさに王者の風格です。中華街の人気店”江山楼”も、王道の味です。いずれも長崎を代表するに相応しい上品な仕上がりですが、一方、庶民派として挙げたいのは”思案橋ラーメン”です。タクシーの運転手さんに教えてもらった昭和の香り濃い店です。あっさりしているのに深いコクのスープは、まるですっぴんのちゃんぽんの姿を見た思いでした。

美味しくて、 栄養価の高いちゃんぽんは、 九州各地へ広がり、 各地の素材を活かしたご当地ちゃんぽんになっていきます。小浜、水俣、天草、戸畑などが有名です。印象に残っているのは、八代の”みやべ食堂”です。人気だからと連れて行かれたその店は、かなり郊外にあるにもかかわらず、行列ができていました。鶏ガラスープに、野菜のうま味が半端なく、甘みすら感じるほどでした。九州以外にも、ご当地ちゃんぽんは存在しますが、滋賀県の彦根のものも有名です。一時期、銀座インズに”ちゃんぽん亭総本家”が近江から出店していました。ただ、これは相当に甘くて、私の好みではありませんでした。豚骨ラーメン発祥の店は久留米の”南京千両”とされますが、長崎ちゃんぽんがそのルーツと言われます。ちなみに、久留米の豚骨ラーメンは、あっさりとしていてコクのある”沖食堂”が美味しいですね。ここだけは、どんぶりをあおってしまいます。

長崎ちゃんぽんの名を全国に知らしめたのは、”リンガーハット”だと言われます。1974年に1号店がオープンしています。ややさらっとした味ですが、結構好きです。一度、長崎で衝撃の光景を見ました。リンガーハットに、軽く行列が出来ていたのです。画一化された味の全国チェーン店に、本場長崎の人たちが行列することなど、まったく考えられません。もっと美味しい店が山ほどあるじゃないですか。聞けば、リンガーハットの味は、長崎の人たちも認める味なのだそうです。ところが、タクシーの運転手さんに言わせると、なんといっても値段の安さが大人気の理由なのだそうです。やや微妙な感じの話ですが、実は、ちゃんぽんのルーツに根ざしているとも言えます。(写真出典:allabout.co.jp)

2022年3月2日水曜日

シンデレラ

「源氏物語」は、世界最古の小説、あるいは世界最古の長編小説と言われますが、どうも腑に落ちないところがあります。 小説は、神話や伝説とは明らかに異なり、作者が創造した散文形式の物語と理解できます。だとすれば、”源氏”以前にも、ギリシャ、ローマ、中国にも散文の物語はあるでしょうし、長編に限れば、ペトロニウスの「サテュリコン」等があります。日本では、”源氏”以前に「竹取物語」があり、「宇津保物語」や「落窪物語」は小説と呼べるのではないかとも思います。単にストーリーを語るだけではなく、心象を叙述していることが小説の条件なのかも知れません。そういった観点からすれば、”源氏”は最古なのかも知れませんが、小説か否かの判断は、なかなか難しいものになります。

「落窪物語」は、”源氏”に先だつ985~995年、三十六歌仙の一人である源順によって書かれたとされます。ただ、これには異説もあり、判然としません。生母と死別した中納言源忠頼の娘は、継母のもとで暮らしています。継母から虐待された姫は、床が落ち窪んだ家の隅の小部屋に住まわされ、落窪の姫と呼ばれています。侍女阿漕(あこぎ)の手引きで姫と会った右近の少将道頼は、姫と恋に落ちます。それを知った継母は、姫を納戸に幽閉し、老人と結婚させようとします。道頼は、阿漕らの助けを得て、姫を救出し、二人は結ばれます。道頼は継母に復讐を果たし、そのうえで、継母も含めた中納言一家を庇護します。これが、「落窪物語」の大雑把なあらすじとなります。

世界中のおとぎ話に共通する定番「継母」ものです。最も有名な継母ものと言えば、シンデレラということになります。文献上のシンデレラ系の初出は、紀元前1世紀、ギリシャのストラボンが採録したロードピスの話とされています。継母、靴、王様という主要要素は完全に一致します。しかし、あくまでも文献上の話であって、もしかすると中央アジアから世界各地に伝播した物語かもしれません。中国では、9世紀、、段成式が古典集「酉陽雑俎」に採録した「葉限」があります。設定は異なりますが、継母、靴、王様というパターンは同じです。靴は登場しないものの、落窪物語も、明らかにシンデレラ系と言えます。19世紀に、民俗学者達が、調査したところ、世界中に345種のシンデレラ系が確認されたと言います。これらは、すべて一つの話が伝播したものか、あるいは同時発生的だったのか、判然としません。

ただ、少なくとも、継母によるいじめの話は、世界中で共感され、受容されてきたわけです。近世では、シャルル・ペローの「サンドリヨン」、グリム兄弟の「灰かぶり姫」、そしてウォルト・ディズニーの「シンデレラ」が世界の定番となりました。かつて、医療が不十分だった頃、出産は命がけであり、産褥熱で亡くなる母親が多かったと聞きます。継母も、継母によるいじめもごくありふれたことだったのでしょう。さらに、子供達は、親に厳しく叱られると、自分はこの家の子供じゃないのかも、母親も実は継母かも、と思うものです。いつか見返してやるという思いをもったまま大人になる人も多かったのでしょう。それは、世界中、どこでも同じ状況であり、シンデレラは、広く受け入れられることになったわけです。ちなみに、グリム兄弟の「灰かぶり姫」は、当初、継母ではなく、実母のいじめとして出版され、世間の批判の受けて、継母に書き換えられたそうです。

日本には、もう一つ有名なシンデレラ系の話があります。「御伽草子」に収められている寝屋川の「鉢かづき姫」です。お伽草子は、主に室町時代の民間伝承を集めたものですが、18世紀には、23編を収録した「御伽草子」が出版されます。「鉢かづき」は、長者夫婦が、長谷観音にお願いして娘が生まれる。母親が亡くなる際、観音様のお告げによって、娘にお鉢を被せる。お鉢は取れなくなる。継母に虐待され、家を出された娘は、宰相に見初められるが、宰相の母に反対される。宰相の母は、嫁比べをさせる。ところが嫁比べの前日、お鉢は外れ、娘の見目麗しい姿と秀でた知識・才能が現れ、娘は嫁比べに勝ち、宰相と結ばれる。落窪物語にも、鉢かづき姫にも、靴は登場しません。日本は、わらじの文化だからということなのでしょうか。(写真出典:disney.fandom.com)

2022年3月1日火曜日

梁盤秘抄#22 Learning to Crawl

アルバム名:Learning to Crawl(1984)                                                                       アーティスト:プリテンダーズ

30歳のおり、セールス・マネジャー職に就きました。営業成績が評価のほぼ全てであり、それ次第では今後の会社生活も左右されるという仕事でした。当時、日本の企業文化は、高度成長期の成功体験を色濃く引きずっており、精神論と長時間労働が信仰されていました。業績が悪いと人格を否定されるほど厳しい叱責を受け、退社時刻が遅いほど褒められました。そんな時代遅れのセールス文化を、マーケティング主導に変えていくことが、我々の使命だとは思っていました。とは言え、まずは業績を上げて、認められないことには、若造の戯言などに耳を貸す人などいるはずもありません。結局、プレッシャーのなかで、長時間労働の日々を続けました。

その頃、通勤も仕事も車を使っていましたが、カーステレオで聴く音楽だけが救いでした。そもそも”自分は束縛されていない”と思えることに喜びを感じるタイプなので、長時間の激務は地獄のようでした。音楽は、わずかな時間とは言え、自由を感じさせてくれました。車の中で最もよく聴いていたのは、パキスタンで買った民族系歌謡曲のテープ、そしてプリテンダーズでした。パキスタン音楽は、趣味の世界に浸ることで、現実から逃避できます。プリテンダーズに関しては、理由はよく分かりませんが、とにかくよく聞きました。長時間労働の日々が、ヒット曲「Back on the Chain Gang」に重なったからかもしれませんが、恐らく、ストレートなロックが、多少は自由を感じさせ、クリッシー・ハインドの声に癒やされたからなのでしょう。

プリテンダーズは、1978年、オハイオ州アクロン出身のクリッシー・ハインドが、ロンドンで結成したバンドです。クリッシーは、大学卒業後、ロンドンに渡り、アパレル・ショップや音楽雑誌社で働き、デビューしたのは20代後半と遅咲きでした。バンド名は、クリッシーの元彼が好きだったプラターズのヒット曲”The Great Pretender”(1955)からとったといわれます。デビュー・アルバム「Pretenders」から、いきなり "Brass in Pocket"と”Kid”がヒットします。いわゆるディスコ・ブームの最中、ストレートなロックンロール・テイスト、クリッシーの艶のあるコントラルト・ヴォイス、シンプルなギター・サウンドが、とても新鮮に響いたのでしょう。モータウンやカントリーの影響を感じさせるクリッシーの曲と声が、ロンドンのロック・スピリットと出会って生まれたサウンドだと思います。

突っ張った曲であっても、どこか哀愁を帯びているのがクリッシーの書く曲の特徴でもあります。それがよく出たアルバムが、3作目となる「Learning to Crawl」です。名曲揃いだと思いますが、最もヒットした曲は”Back on the Chain Gang”であり、プリテンダーズを代表する曲ともなりました。他にも、ロック・スピリット溢れる”Middle of the Road”、パースエイダーズのカバー”Thin Line Between Love and Hate”、故郷の変わりようを歌った”My City Was Gone”、そして、前年、オーバードーズで急死したギターのジェイムス・ハニーマン・スコットに捧げた”2000Miles”は、クリスマス・ソングの定番にもなりました。私のお気に入りは、プリテンダーズ・テイストとは多少異なる”Show Me”でした。やや哲学的な歌詞ですが、滑らかなメロディは、聴いていて気分が良くなります。ちなみに、86年にヒットした” Don't Get Me Wrong”も好きな曲です。

話は、セールス・マネジャーに戻りますが、幸いなことに業績は順調で、これはいい仕事だと思えるようになりました。業績さえ上がっていれば、何でも許される、と思ったからです。ただ、プライベートな時間が持てないほどの忙しさは変わりませんでした。2年間、セールス・マネジャーを務めた後、NYへ転勤となりました。結局、2年間、プリテンダーズを聴きまくったわけです。フィールドでの経験は、NYでの仕事はじめ、その後の会社生活に大きなプラス効果を与えてくれたと思っています。ただ、マーケティング主導の営業体制への転換に着手できたのは、10年後のことでした。(写真出典:amazon.co.jp)

川上