2021年7月14日水曜日

坐禅

永平寺禅堂
うちの宗派が曹洞宗であることもあり、本山永平寺には何度か行きました。といっても宗教行事ではなく、単なる観光としてですが…。数年前には、坐禅体験をさせてもらいました。1回の坐禅は”一炷”と言われ、線香が燃え尽きるまでの約40分間行います。姿勢と呼吸を整え、半眼にして坐禅に入ると、アッと言う間に終わりの鐘が鳴りました。うまく表現できないのですが、なにかスッキリした印象があり、次は3泊4日の参禅に参加しようと思いました。ところが、参禅してきたという友人がおり、体力が持たないからやめた方がいい、と言われ、断念しました。

禅宗では、修行僧は”雲水”と呼ばれます。行く雲,流れる水のように、一切の執着を断ち、禅の境地をめざすという意味です。参禅では、雲水たちと同じ修行を行います。3時30分に起床、偈文を唱えながら洗面、すぐに1回目の坐禅に入ります。坐禅は、1日5回行われます。暁天坐禅の後は朝の勤行です。そして、道元禅師が定めた作法に則り、粥に香の物だけという、ごくわずかな朝食を取ります。その後は、全力で雑巾がけ等の作務に打ち込みます。以降、勤行、坐禅、作務を繰り返し、夜9時に就寝となります。激しい作務は体力勝負であり、少量の食事で空腹状態が続き、かつ作法だらけの食事は食べた気がしないと言います。

夕食は”薬石”と呼ばれます。かつて、雲水の食事は日に1度だけで、後は温めた石を抱き、空腹に耐えたものだそうです。薬石の由来です。雲水は、ひと月もすると少食に慣れてくるそうですが、その時点で栄養失調になっているとも聞きます。文字通り、道元禅師の「只管打坐」実践の場ということです。山に入るには、相当の覚悟が必要であり、世間との関わりを一切断つ、まさに”出家”ということになります。永平寺には、常時、150人程度の雲水がいます。寺を継ぐために修行する若い僧たちに加え、禅にあこがれて飛び込んだ人たちも多いようです。彼らは高学歴者が多く、雲水の出身大学を見れば、東大が最も多いとも聞きます。勉学に励み、エリートとして社会に出て、初めてアイデンティティの危機に直面した人たちなのでしょう。

ヒンドゥーの瞑想は、3千年を超える歴史があり、様々な形へと進化しています。仏教の中の瞑想や坐禅も、その一つと言えます。近年、アメリカ生まれのマインドフルネスが評判になっています。職場でのメンタル問題への対応として、評価されているようです。マインドフルネスは、宗教色を消した瞑想と言われます。意識を集中させる仏教の瞑想法サティが元になっています。対象に一切判断を加えずに意識を集中し、何事にも惑わされない状態を得ることが目的です。対して坐禅は、同じ仏教であっても、まったく異なります。単純に言えば、坐禅に目的はありません。ただひたすら坐禅することが目的だと言えます。まさに”只管打坐”であり、修行がそのまま悟りであるとする”修証一如”ということになります。流れ来る様々な想いを、そのまま流し、呼吸に意識を集中していきます。その先には”心身脱落”という道元禅師が悟りを得た境地があります。

私は、永平寺で坐禅の際に使う丸座布団も買い込み、家で坐禅をしておりました。しかし、家での坐禅では、今一つ没入できない面もあり、最近は、ほとんど行っていません。ただ、丸座布団は、国技館のマス席で相撲観戦をする際、私の必須アイテムとして活躍しております。道元禅師には、怒られそうですが、実に塩梅が良く、心静かに観戦しております。(写真出典:fukui-tv.co.jp)

2021年7月13日火曜日

ドギー・バッグ

アメリカの習慣で、これはいい、と思ったのがドギー・バッグ(doggy bag)です。レストラン等で、食べ残しが出た際、店の人が「ドギー・バッグはいりますか?」と聞いてくれます。犬の餌として持ち帰るという意味でドギー・バッグと呼ばれますが、お互い、人間が食べることは承知のうえです。店側としては食中毒の責任を回避する意味合い、客側は浅ましさを糊塗する便法として、犬用だとするわけです。フードロスが大問題となるなか、日本でも一般化すべき習慣だと思います。ただ、店で持ち帰り用の容器等を頼むと、保健所がうるさいからという理由で、断られる場合がほとんどです。

余った料理を持ち帰るという発想は、昔から世界中にあったのではないか、と想像します。日本でも、祝儀や不祝儀の宴席料理を折詰にして持ち帰ることは一般的でした。地方によっては、最初から持ち帰ることを前提とした宴会料理の出し方まであります。そういった際には、さすがに生ものや傷みやすいものは避けるのが常識となっています。調べてみると、実は、持ち帰りを禁止する法律は存在しません。ただ、食品衛生は、持ち帰った食品で食中毒が発生した場合でも、店側の責任が問われることがある、と解釈できます。要は、店が責任を持てない部分まで、店の責任とされかねないわけです。当然、店側の予防的措置として、持ち帰りは拒否されることになります。

2009年には、日本でもドギー・バッグを広めようという「ドギーバッグ普及委員会」が、容器メーカー、広告代理店、研究者等で結成されています。持ち帰り専用ボックス、自己責任カード等を作成し、配布しているようですし、農水省、環境庁、消費者庁とも連携しています。また、自治体でも、例えば大津市等は、独自の取組を続けているようです。ドギー・バッグ使用ガイドを作成し、「正しいドギーバッグ使用を推奨する運動」、略して「ドギーバッグ運動」を展開しています。フード・ロスは、人類共通の課題です。SDG’sに対応した自治体レベルでの取り組みは、賞賛に値します。ただ、残念ながら、いずれも浸透しているわけではないようです。

浸透しない理由は明確です。単なる呼びかけや運動だけでは、店側のリスクは残ったままだからです。アメリカも日本も、食品衛生法に大きな違いはないと思います。アメリカのドギー・バッグも、法律上、明文化されているわけではないでしょう。しかし、自己責任という思想が浸透しているアメリカでは、成り立つわけです。それが曖昧な日本でドギー・バッグを普及させるためには、何らかの法的対応が必要だと思います。保健所を所轄する厚生労働省としても、法令が無ければ、動きにくいことはよく分かります。食中毒が出れば、責められるのは厚労省ですから。保健所が動かない限り、飲食店はリスクを取るわけにはいきません。

持ち帰った食品で起こった食中毒に関しては、その都度、原因が、店側にあるか、客側にあるか、徹底調査すればいいわけですが、結構、手間もかかり、判断も難しいと思います。とすれば、店の外に出た食品に関しては、原則として客の自己責任だとする法令を整備するしかありません。英国やフランスでも、ドギー・バッグ普及に向けた行政の取り組みが始まっているようです。ことにフランスでは、ドギー・バッグ推進に向けた法制化も検討されているようです。(写真:ドギーバッグ普及委員会配布シール 出典:doggybag-japan.com)

2021年7月12日月曜日

「Mr.ノーバディ」

 監督:イリヤ・ナイシュラー       2021年アメリカ

☆☆☆

どこか懐かしさを感じさせるアクション映画です。映画の半分くらいが、キレのいいアクション・シーンになっていますが、基本的には、ほぼハリウッド伝統のアクション・コメディとなっています。さえない主人公、あり得ない主人公のバックグランド(どうせあり得ないので細かな説明はしない)、美人の奥さん、家族の絆、ラスト・シーンで悪人は斬新な方法でやっつけられる、といった基本要素が網羅されています。実に暴力的な映画ですが、安心して見ていられる娯楽映画に仕上がっています。

主役のボブ・オデンカークは、コメディアンですが、見事なアクション・シーンを見せています。コメディアンが極悪人や異常者を演じると、実に恐ろしくなることがあります。崔洋一監督の「血と骨」におけるビートたけしの演技等も典型と言えます。笑いと異常性が深く関係しているといったことではなく、もともと想像力豊かで、芝居がうまい人だったということなのでしょう。オデンカークは、冴えない父親としては同情したくなるほどみじめで、暴力を振るうと空恐ろしくなるという見事な演技を見せています。ちなみに、オデンカークの父親役として、バック・トゥ・ザ・フィーチャーのドク役で知られるクリストファー・ロイドが出ており、いい味を出しています。

伝統的なアクション・コメディと言えますが、多少、異なるテイストを感じさせる面もあります。アクション・シーンの暴力が、かなりハードな描写になっているのです。昔のアクション・コメディは、もっとユーモラスな暴力描写になっていました。ゲームの世界が暴力で溢れる時代、映画の暴力描写もハードにならざるを得ないのかも知れません。加えて、監督の持つ傾向も影響していると思います。ナイシュラーは、ロシアのミュージシャン出身。自分のバンドのミュージックビデオを監督し、好評を得たことから、映像の世界に入ったという人です。2015年に映画「ハードコア」を監督しました。映画は、トロント映画祭観客賞を受賞、90年以降、最も成功したロシア映画となりました。サイボーグの一人称視点だけで構成されたスピード感ある映画でしたが、ユニークであることを目指し過ぎる傾向、そしてえげつないほどハードコアな暴力描写が、結構、不快でした。

どうもロシア人は、極端に走る傾向を持っているように思います。世界中で、ロシア人は笑わない、と言われているようです。常日頃は、非常に抑制的で、何かあると、極端に弾ける、といった印象です。音楽や映像でも、たまに感じますし、ウォッカの飲み方にも感じます。映画のなかのロシアン・マフィアほど恐ろしい人たちはいません。この映画に登場する悪役のロシア人も、信じがたいほどに暴力的です。恐らく、厳しい気候、生活の苦しさ、長く続く抑圧的な政治体制等が、ロシア人の気質に深く影響しているのだと思えます。世界初の共産主義革命は、たまたまロシアで起こったのではなく、ロシアだからこそ起きたのでしょう。

ハリウッド伝統のアクション・コメディも、ロシア人が撮ると、味付けが異なって当然です。オデンカークの奥さんは、コニー・ニールセンが演じています。「グラディエーター」や「ワンダー・ウーマン」のシリーズで有名な、モデル出身のデンマーク人です。美人ですが、北欧的な暗さを持つ女優です。普通に考えれば、コメディへのキャスティングはあり得ません。このあたりにも、少し変わったテイストのアクション・コメディとしての特徴が出ています。(写真出典:eiga.com)

2021年7月11日日曜日

博多天ぷら

天麩羅処ひらお本店
博多への出張は、いつもアドレナリンが出ます。街も、街の人たちも、明るく元気があるので、こっちまでワクワクしていまいます。博多らしさが爆発するのは、やはり夜です。中州のネオン、立ち並ぶ屋台は、博多の真髄なのでしょう。そして、多様な博多グルメこそ、最大の楽しみです。うどん、ラーメン、水炊き、もつ鍋、呼子のイカ、ごまさば、明太子、鶏皮、鉄鍋餃子、まだまだありますが、忘れてはいけないのが”博多天ぷら”です。出張した際には、可能な限り、”ひらお”で天ぷら定食を食べていました。 

博多天ぷらが、東京の天ぷらと異なる点は、3つあると思います。まずは、揚げ出しスタイルです。例えば、”ひらお”は、全席カウンターになっており、揚げたての天ぷらを一品づつ提供してくれます。やはり天ぷらは、揚げたてが美味しいわけです。東京でも、高級店のカウンターに座れば、同じことなのですが、値段が違いすぎます。二つ目は、肉類の天ぷらです。最近、東京でも見かけるようになりましたが、伝統的には肉類の天ぷら等は外道です。とり天はうまいに決まっていますが、薄切りの豚や牛も、なかなかのものです。三つ目は、食べ放題のおかずです。”ひらお”の場合、絶品の塩辛、もやしのナムル、大根のきんぴらの三種です。明太子のやまやが経営する”やまみ”では、定番の塩辛に加え、明太子も食べ放題です。

博多天ぷらの歴史は、いま一つはっきりしないのですが、皆さんの話からすれば、どうも”ひらお”が始めたスタイルが広がっていったようです。”ひらお”は、1977年、まだ田んぼが広がる東平尾に野菜・精肉・鮮魚を同時に扱う河内商店としてオープンします。翌年、隣に”ドライブインひらお”を開きます。先代が、仕事もせず、プラプラしていた近所の若者たちの勤め口として、そして手に職を付けさせるためにオープンしたと言います。そこで評判の良かった天ぷらを専門にしたのが79年。それ以降、博多天ぷらスタイルを貫いているようです。本店は、いまでも福岡空港近くの東平尾にあり、四六時中、混雑しています。私は、天神の店へ行きますが、前の店も、移転後の店も、いつも大行列です。ただ、とても回転が速いので、並ぶ価値はあります。

博多天ぷらの魅力の一つは価格です。”ひらお”の揚げ出しの天ぷら定食が7~8百円というのは驚きです。博多の食べ物が安くておいしい理由は、食材の豊かさにあります。甘味の強い魚介類は目の前の玄界灘から、野菜類も、近隣から豊富に供給されます。近年、博多天ぷらの東京進出も増えています。前述の”やまみ”もそうですが、価格も、結構、がんばっています。さらに、日本橋の天丼の名店金子半之助も、博多天ぷらスタイルの「天ぷらめし金子半之助」を開くなど、広がりを見せています。たまに日本橋の”天ぷらめし”に行きますが、相も変わらず長蛇の列です。ただ、ここも回転が速いので、一回転待つくらいの列なら、さほど時間はかかりません。名物である卵の天ぷらをご飯に乗せて食べれば、結構、幸せになれます。

寿司屋は高級店と回転寿司に、 蕎麦屋も高級店と立ち食いに二極化していますが、天ぷらは、 やや微妙です。 天ぷら自体は庶民的な惣菜ですが、 天ぷら屋は高級なものになりました。江戸の名物、寿司・蕎麦・天ぷらは、もともと屋台の食文化です。時代が変わっても、この三品は庶民の味方であってほしいと思います。そういう意味では、博多天ぷらの江戸での頑張りを応援したいものです。(写真出典:fukuoka.bocco.com)

2021年7月10日土曜日

地球平面説

コロンブス
「昔の人は、地球が平面だと思っていた」と多くの人が、漠然と認識しているのは、実に興味深いことだと思います。試しに、友人たちに聞いてみると、皆、そう思っていました。何を根拠にそう思っているのか、と聞くと、昔、学校で習ったような気がする、と答えていました。 私も同じです。確かに、世界各地には、大昔から地球平面説があり、所によっては、あるいは宗教的観点から、近世まで残っていた例もあります。日本でも、南蛮船が渡来するまでは、地球球体説は存在しなかったようです。ところが、実際には、紀元前6世紀には、ピュタゴラスによって唱えられ、天文学の世界では常識となり、中世には、一般化していたようです。

どこで間違った認識が広がったのか、ということに関しては、諸説あるようです。コペルニクスが唱え、ガリレオ裁判でよく知られる地動説と勘違いされているという話もあります。しかし、最も有力な説は、「中世は暗黒の時代だった」という説との関連です。欧州における中世とは、ローマ帝国の滅亡後からルネサンスの時代までの間を指します。高い文明を誇った古代ローマが蛮族によって滅ぼされ、文化文明が途絶え、替わってキリスト教の重苦しい支配が続いた時代とされます。確かに、古代ローマの建築物などは破壊されたものも多く、また、神が全てを創ったと言われれば、科学が生まれる余地はなくなります。

しかし、実態は、決して文化文明が途絶えたわけではなく、連綿と継続、発展していました。14~16世紀に起きた古代文化の復興運動、つまりルネッサンスの担い手たちが、その意義を強調するために、中世は暗黒の時代だったと盛んに唱えたようです。また、プロテスタントは、カソリック批判のために、カソリックが支配した中世は暗黒の時代だったと宣言したようです。さらに啓蒙主義の時代になると、その革新的な思想を広めるために、暗黒の中世との対比が使われています。暗黒の中世というイメージは、それを利用したい人たちによって、都合よく創られ、定着していった、いわば神話に過ぎなかったわけです。これも、歴史は勝者によって創られる、という例なのでしょう。

暗黒の中世に関する典型的な例えの一つが、地球平面説だったようです。暗黒の中世に生きた人たちは、地球が平面だと思っていた、というわけです。それを覆すべく立ち上がったのが、クリストファー・コロンブスだった、というおまけも付きます。真っ赤なウソです。その時代、地球球体説は、既に一般化しており、コロンブスが実証しようとしたのはインドまでの距離でした。アラビアの文献を航海の根拠としたコロンブスは、アラビア・マイルを、より短いヨーロッパ・マイルと誤解するという間違いを起こします。かくして、ネイティブ・アメリカンはインディアンと呼ばれ、カリブの島々は西インド諸島と呼ばれることになったわけです。球体説を実証したコロンブスという話は、「リップ・ヴァン・ウィンクル」や「スリーピー・ホロー」で知られる作家ワシントン・アーヴィングの創作だと判明しています。コロンブスの伝記を書く際、話を盛ったわけです。高名な作家による話は、事実として定着していきました。

近年、勝者の歴史ではなく、世界史観のような事実に基づいた歴史研究が盛んです。「暗黒の中世」見直し論も同様の流れなのでしょう。衛星写真等によって新たに発見された文物も多くありますが、存在は知られていても、まったく無視されてきた文献も数多くあります。「歴史的事実」という言葉は、反論できない、動かし難い事実と理解してきましたが、やや疑ってみる必要がありそうです。最近は「諸説あります」という言葉を多く目にするようになったようにも思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2021年7月9日金曜日

「アメリカン・ユートピア」

監督:スパイク・リー       2020年アメリカ

☆☆☆☆

デヴィッド・バーンは、音楽を表現形態とするポップ・アーティストだと思っています。70歳を迎えるデヴィッド・バーンは、今や、 NYの希少生物にして、 絶滅危惧種だと思っていましたが、なんのなんの、今だに意気軒高。本作は、デヴィッド・バーンのブロードウェイでの質の高いパフォーマンスを、スパイク・リーがフィルム化するという、いわばニューヨーク・アート・シーンのエッセンスが詰まったような作品になっています。デビッド・バーンは、 2018年の同名アルバム発売に伴って行ったツアーを、多少アレンジを加えブロードウェイの舞台にかけます。2019年から4ヶ月間、ハドソン劇場で行われたパフォーマンスは大きな反響を呼び、 デビット・バーンは、 スパイク・リーを指名して舞台をフィルム化します。ちなみに、タイトル中の”Utopia”という文字は、意味深に上下逆さの表記になっています。

デビッド・バーンを含む12人のバンドは、半分がパーカッションという編成。全員がグレーのスーツ姿で、電子楽器はワイヤレスで、パーカッションはハーネスをつけて演奏します。 全員が、ケーブルや据置具から解放され、演奏しながらダンスし、 フォーメーションを組むという斬新な舞台になっています。 舞台装置は、カーテンのように三方を囲む金属のチェーンだけというシンプルさですが、効果的に使われています。演奏される曲は、同名アルバムからだけではなく、トーキング・ヘッズ時代やソロ・アルバムのヒット曲も演奏されます。トーキング・ヘッズの代名詞とも言える「ワンス・イン・ア・ライフタイム」は、往年のファンにとっては、懐かしさもあり、鳥肌ものでした。トーキング・ヘッズは、早くからアフリカのポリ・リズムを取り入れており、今回のようなパーカッションの多い編成は、実にピッタリです。 

撮影は、ハドソン劇場に満員の客を入れて、行われています。スパイク・リーは、パフォーマンスを尊重しながら、 そつなくシャープな映像に仕上げています。デヴィッド・バーンのリズムに合わせたカット割りが、音楽との相乗効果をあげています。ジャネール・モネイのプロテスト・ソングを演奏する場面では、 警官に殺害された黒人たちの写真を挿入するというスパイク・リーの演出が加えられています。しかし、それも決して流れを遮るものではなく、むしろ効果的と言える演出になっています。デヴィッド・バーンとスパイク・リーは、共に80年代のNYで頭角を現したこともあり、交流があったようです。デヴィッド・バーンはスコットランド出身、スパイク・リーはジョージア出身ですが、二人とも、NYという街に出会ったことで才能を開花させたとも言えます。

トーキング・ヘッズは、アメリカ最高峰の美術大学とされるロードアイランド・スクール・オブ・デザインの在校生だったデヴィッド・バーン、ベースのティナ・ウェイマス、ドラムのクリス・フランツの三人が、74年に結成したバンドです。当初は、インテリ・パンク・バンドと呼ばれていたようです。ブライアン・イーノがプロデューサーになると、トーキング・ヘッズはブレイクし、80年には傑作アルバム「リメイン・イン・ライト」をリリースします。音楽性の違いを理由に、91年に解散しますが、解散前から、ティナ・ウェイマスとクリス・フランツ夫妻は、バンド内プロジェクトとして、レゲエ・ベースの”トム・トム・クラブ”を結成、”Genius of Love”等の歴史に残る大ヒットを飛ばしています。数年前、東京ビルボードで、トム・トム・クラブのライブを見ましたが、ティナ・ウェイマスの衰えぬステージに感動しました。

デヴィッド・バーンは、歌が上手いわけではありませんが、独特の高い声と神経質な歌い方が耳に残ります。何を歌っても、皆、同じに聞こえるとも言えます。どんな曲を演奏していても、途中から、リズムの強いティナのベースが入り、「ワンス・イン・ア・ライフタイム」と歌い始めるような気がしてしまいます。トーキング・ヘッズも、トム・トム・クラブも、リズムのバンドだと思います。独特なリズムへのこだわりが無ければ、ただ退屈なだけのインテリ・バンドで終わっていたように思えます。デヴィッド・バーンのリズム・センスからすれば、今回のダンス・パフォーマンスは、最高に相性がいいと言えます。そういえば、 ティナがステージで見せるバク転も有名でした。東京ビルボードでは、60歳を越えて、 なお平面展開をしていました。(写真出典:cinra.net)

2021年7月8日木曜日

消費社会への皮肉


日本で初めてのアウトレット・モールは、1993年、埼玉県のふじみ野市にオープンした”アウトレットモール・リズム”だったそうです。ここは、既に閉店していますが、全国には、今現在、33ものアウトレット・モールがあります。三井不動産系と三菱地所・サイモン系が、アウトレット・モールの二大系列となっています。店舗面積で見れば、御殿場、りんくう(泉佐野)、ジャズドリーム長島が全国のトップ3となっています。関東では、木更津、御殿場、軽井沢あたりが人気を集め、週末ともなれば大混雑しています。アウトレット・モールは、いまやショッピングの一つの形として定着した感があります。

ファクトリー・アウトレット、いわゆる工場直売店は、1930年代、アメリカ東部に誕生しました。当初は、B級品等を工場の従業員向けに販売していましたが、徐々に地域住民に開放されていきます。このスタイルは、日本でもよく見かけます。例えば、新潟の米菓工場では、敷地内の売店で、割れて出荷できない煎餅等を段ボールに入れて、1箱2~3百円で売っています。また、私は、オンワード樫山の社員販売の大ファンです。スーツはじめ、洋服の多くは、年2回程度行われるオンワードの社販で買ってきました。流行を追っているわけではないので、型落ちは問題ありません。B級品といっても、目立たない糸のほつれなど気にもしません。問題は、品揃えということになります。欲しいと思った色やサイズの服が揃っているわけではありません。アウトレットでは、商品が顧客を選ぶといってもいいのかも知れません。

各地の工場等に分散していたファクトリー・アウトレットを、ショッピング・モールのように一カ所に集めたものが、アウトレット・モール、あるいはアウトレット・センターです。なかなかの発明だと思います。世界初のアウトレット・モールは、1974年、ペンシルベニア州レディングに開設されました。顧客にとってみれば、型落ちやB級品でも、その安値は魅力ですし、メーカーにとっては、廃棄するしかなかった商品をさばくことができます。87年、はじめてNY州ウッドベリー・コモンのアウトレットに行った時には、衝撃を受けました。これは、もう小売りの革命だと思いました。ウッドベリー・コモンは、85年に、チェルシーによって開設されています。日本では、三菱地所と組むサイモンの前身です。三菱地所系のアウトレットは、ウッドベリー・コモンとほぼ同じ外見となっています。

ただ、ウッドベリー・コモンは、マンハッタンからだと車で90分以上かかる山奥にあります。車社会のアメリカでも、いささかアクセスに難ありということになります。メーカーとしては、顧客である小売店との競合を避ける必要があり、アウトレット・モールは、自ずと人里離れたところに作られるわけです。ブランドの付加価値は、精緻なマーケティングを積み上げて築かれています。アウトレットは、店舗だけではなく、品質面でも、表通りを外れ、ある意味、ブランドの付加価値を否定しています。いわば、マーケティングの否定であり、ブランド主導の消費社会への皮肉とも言えます。スポーツ・マーケティングで成功したジョン・スポールストラのベストセラー「エスキモーに氷を売る」に例えれば、アウトレットにやってきたエスキモーは、氷を買う必要がないことに気づいたわけです。

確か「北回帰線」のなかだったと記憶しますが、ヘンリー・ミラーは「文明とは、それが無ければ生きていけない物が増えることだ」と言っています。電気、車、テレビ、飛行機、コンピューター等々、言われてみれば、ヘンリー・ミラーの言う通りです。そして、科学技術の進歩の留まらず、大量消費社会にドライブをかけ、物質文明化を進めたのは、マーケティングの進化だったと思います。ファクトリー・アウトレットによって、物質文明の担い手であるメーカーが、それを自ら否定するという、なんとも皮肉な構図とも言えます。(写真:御殿場プレミアム・アウトレット 出典:ja.wikipedia.org)

サンティアゴ・デ・クーバ