2025年5月31日土曜日

出稼ぎ

古代から農村は自給自足が基本でした。ただ、生活必需品のなかには製造に技術を要するものもあり、村に職人が生まれます。それでも足りないものがあれば、交易によって入手することになります。海の民は魚介類を、山の民は木材や皮革等を農村にもたらします。貨幣のない時代、それらは米と交換されます。山の民が農村に持ち込むものがない季節には、乞食をするか、自らの労働力を提供して米を得ることになります。これが出稼ぎの起源なのでしょう。出稼ぎとは、一定期間に限り、生活の拠点を離れて労働し、また戻ることです。出稼ぎは、自給体制の脆弱さによって起こりますが、同時に短期労働の需要があるから成立します。都市部が形成され、貨幣経済が浸透すると、農村部、特に雪深い地域からの出稼ぎが広がっていきます。 

日本の高度成長を支えたのは出稼ぎだとも言われます。高度成長は、農村の余剰労働力を、集団就職などによって工場に移転します。いわゆる産業転換です。さらに経済成長の基盤となるインフラ整備も加速し、ここには農村からの出稼ぎ労働力が投入されていきます。日本の経済発展は、農村部の労働力によって実現したとも言えるわけです。家族を故郷に残し、数ヶ月間、建設現場で暮らす生活は過酷なもので、高度成長の歪みとも言われました。田中角栄の列島改造論が、出稼ぎしなくてもよい日本を目指したことはよく知られています。1972年には約55万人だった出稼ぎ労働者は、2010年には1.5万人まで減っています。需要が減ったのではなく、供給元の農家が激減し、兼業化が進んだからだと思います。産業転換の最終段階と言えるかもしれません。

農村からの出稼ぎ労働者の穴を埋めたのが外国人労働力だったのでしょう。各国の国外への出稼ぎは、コロナ禍で減少したものの、再び増加に転じ、過去最高を更新中と聞きます。出稼ぎ大国として知られるのがフィリピンです。1979年、トランジットでマニラ国際空港に寄った際、同じTシャツと野球帽を身につけた男たち数十人が乗ってきました。兵隊でもないし、スポーツ・チームにも見えません。聞けば、中東への出稼ぎでした。フィリピンの出稼ぎ労働者は、2023年時点で215万人を超え、出稼ぎ労働者の仕送りはGDPの10%を超えるとされます。出稼ぎが多い背景には、フィリピンの経済基盤の不安定さに加え、公用語がタガログ語(フィリピン語)と英語であることが挙げられます。英語が通じる労働力は、受入国にとって好都合でニーズが高いわけです。

フィリピン、バングラデシュ、パキスタンが海外への出稼ぎが多い上位3ヶ国となっています。40年ほど前、イスタンブールからカラチへのフライトで、出稼ぎ先のリビアから帰る大勢のパキスタン人と一緒になったことがあります。皆、金持ちになって帰郷するのでウキウキ状態。数人から免税店で買った英国の高級タバコを頂きました。当時の機内は喫煙可で、かつ人にタバコを勧めるのは礼儀でした。聞けば、2年間リビアで働き、そこで得た金をもとに、家を建てる、車を買ってタクシーを始める、ハッジ(マッカ巡礼)に出かける等々、夢を語っていました。今も、3ヶ国の出稼ぎ先の多くは、サウジアラビアはじめ中東の産油国になっているようです。パキスタンの場合、ウルドゥー語がアラビア語に近いことも中東への出稼ぎが多い理由なのでしょう。

経済格差がある限り、出稼ぎは無くならないと思います。加えて、先進国の少子高齢化が進むなかでは、さらに拡大することも考えられます。農業革命は人と土地を固く結びつけたわけですが、産業革命がその関係を断ち切ったとも言えます。さらにグローバル化という観点からすれば、労働力にも国境がなくなりつつあるということかもしれません。一方で、出稼ぎが、ややもすれば奴隷的な労働になり、差別意識の温床にもなっているという現状もあります。日本の技能実習制度も国連や海外から批判され、2027年を目処に新たな制度としての「育成就労」が始まることになっています。他方、いち早く移民政策を進めた欧州でも、移民の国アメリカですらも、外国人労働者への圧力が高まっています。グローバル化を前提とすれば、海外からの労働力をいかに制約・制限するかではなく、いかに労働力の国際化に対応するかという取組が求められると考えます。(写真出典:koreatimes.co.kr)

2025年5月29日木曜日

「ミッション・インポシブル/ファイナル・レコニング」

監督:クリストファー・マッカリー    2025年アメリカ

☆☆☆

 一言で言うなら、超一流の暇つぶし といったところだと思います。ハラハラドキドキのアクション・シーン、長尺が苦にならないほどの良いテンポ、予算を惜しまない豪華なセットや小道具、お馴染みの音楽の上出来なアレンジ、オーラの衰えは隠せないもののトム・クルーズの魅力も健在です。歴代ベスト5に入るという予算をかけて、超一流のスタッフが結集して作った映画は、さすがというレベルだと思います。ただ、あくまでもアクションが売りであり、ドラマというドラマが展開されるわけでもなく、過去の作品のダイジェストのようなシーンも多く、やはり一級の暇つぶしだと思うわけです。ま、そもそも映画は暇つぶしだろ、と言われれば、否定しがたいところではありますが。

ほぼ代役なしでトム・クルーズが演じるアクション・シーンは、シリーズの売りの一つです。マーベルのCGを多用したアクションが幅を利かす時代にあって、実写アクションはCGを超えるほどのアイデアが必要になります。結果、本シリーズやジョン・ウィック・シリーズのアクション・シーンは、実に見応えのあるものになっています。今回の深海、空中という設定自体は目新しいものではありませんが、練り上げられたアクションはなかなかのものです。マーベルの逆張りと言えば、ロスト・ブレット・シリーズのカー・スタントも見事なものです。フランスの生アクションは、世界最高レベルにあると思います。ただ、映画としては、どうしてもアクション・シーン中心となり、ドラマ性に欠けるきらいがあります。本作も同様と言えます。

本シリーズの原案はTVシリーズ「ミッション・インポシブル(邦題:スパイ大作戦)」です。日本では、1967~1973年にかけて、全171話が放送されました。007人気を背景に生まれたシリーズですが、実行不可能と思われる作戦を次々とこなしていく痛快さで大人気となりました。当時としては、TVの枠を大きく超えた番組だったと思います。ラロ・シフリンの音楽や冒頭の定番「おはよう、フェルプス君」などは大流行したものです。ピーター・グレイブス、マーティン・ランドー等が大いに名前を売りました。後にスタートレックのスポック博士役で知られることになるレナード・ニモイも忘れてはいけません。設定、奇抜なアイデア、音楽、そしてチーム・プレイがTVシリーズの魅力だったのでしょうが、トム・クルーズ版も、そこは継承しています。

シリーズ8作目となる本作は、回想シーン、冗漫なラスト、意味深なタイトルからして、これがシリーズ最終作品なのではないかと思えます。そもそも本作は、前作「ミッション・インポシブル/デッドレコニング PART ONE」(2023)の後編であり、Part Twoとすべきところですが、わざわざ”ファイナル”という言葉を入れてきたには訳があるものと思います。ただ、正式なコメントはありません。名物とも言えるトム・クルーズの生アクションについては、アイデアも体力もそろそろ限界だと思います。人気シリーズだけに、プロダクション・サイドとしては、フレームを残したいはずです。ひょっとすると、終了するか、CGを使ってトム・クルーズで続行するか、あるいは別な役者を立てるか、意見がまとまっていないのかもしれません。

登場するだけでスクリーンが映画らしくなる俳優がいるものです。トム・クルーズもその一人だと思います。若くして名が知られ、「トップガン」(1986)で、一躍、世界的大スターとなったのが弱冠25歳のときです。以来、評価や興業成績は様々だとしても、常に話題作に出演してきました。それも単純な娯楽作品ばかりではなく、著名な監督とのコンビも多々あります。こういう俳優も希有な存在だと思います。また、失読症をカルト的な新興宗教サイエントロジーに出会ったことで克服したという話も有名です。以来、トム・クルーズは、サイエントロジーの広告塔として機能している面もあります。本作に登場する見えない敵である”Entity”は、どこかサイエントロジーの宿敵ジヌーを思わせるところがあり、多少の気持ち悪さを感じました。考えすぎなのでしょうが・・・。(写真出典:eiga.com)

2025年5月27日火曜日

半身揚げ

小樽を代表するグルメと言えば、寿司ということになるのでしょう。20軒ほどの寿司屋が軒を並べる寿司屋通りは観光スポットになっています。細工を施す江戸前とは異なり、鮮度だけで勝負する北海道の寿司は、多少の珍しさもあって人気なのでしょう。観光客目線で言えば、小樽名物は寿司となるわけですが、地元目線、いわゆるソウルフードとなるとやや異なります。文化庁の”100年フード”には、小樽から”小樽あんかけ焼そば” が認定されています。確かにそのとおりなのでしょうが、小樽のソウルフードのナンバー・ワンは、「なると」の”若鶏半身揚げ”だと思います。ともに昭和30年代から知られるようになった料理ですが、若鶏半身揚げは、なるとだけで提供されているので、100年フードには認定されていないのだと思います。

なるとの若鶏半身揚げは、北海道産の若鶏の半身に塩をして揚げただけの料理です。塩分がややきつめですが、香ばしさと相まって、なるとの魅力となっています。もともと鶏肉には塩味がよく合うものですが、寒い港町の労働者には、なお濃い塩気が必要だったのでしょう。似たような料理としては、旭川の”新子焼き”が100年フードに認定されています。こちらは、若鶏の半身にタレを付けて焼いたものです。戦後まもなくから旭川のソウルフードとして親しまれているようです。新子とは、もともとコノシロの幼魚のことであり、若鶏を意味しています。宇都宮にも、隠れたソウルフードとして”かぶと揚げ”があります。こちらは、もも以外の半身に衣を付けて揚げたものです。見た目が兜に似ていることからかぶと揚げと呼ばれます。

信州松本の“山賊焼”も有名ですが、これは半身ではなくもも肉をニンニクを効かせた醤油タレに漬け込み、片栗粉を付けて揚げたものです。焼きと言いながら揚げ物です。同様なレシピで揚げずに焼いているのが、岩国のいろり山賊名物の”山賊焼”です。こちらは骨付きのもも肉を使います。いろり山賊の前身は、広島の居酒屋であり、その時代から名物メニューだったようです。もも焼き系では、丸亀発祥の”骨付鶏”も魅力的です。数ある山賊焼系では、最もニンニクを効かせた代物だと思います。そのパンチ力がクセになります。話をもも焼き系にまで広げれば、フライド・チキン、ロースト・チキンはじめ、世界中に似たような料理が数多く存在するものと思われますが、半身揚げ、半身焼きとなれば、なかなか無いように思えます。

なるとの若鶏半身揚げは、シンプルで、誠に潔の良い食べ物だと思います。鶏肉の新鮮さと揚げ方の腕前だけで勝負しています。半身を素揚げするメリットは、豪快さや食べ応えなのでしょうが、旨味を上手に閉じ込める効果も大きいように思います。デメリットとしては、揚げ時間が長くなることと揚げムラが生じる恐れがあることなのでしょう。なるとの場合、胸の部分に包丁を入れてありますが、見事に均一な揚げあがりになっています。それが伝統の技なのでしょう。なるとの本店は「若鶏時代なると本店」ですが、他にも同じ経営者の「なると屋」、創業者の孫が経営する「なるとキッチン」があります。なるとキッチンは、関東にも進出していますが、鶏肉も揚げ方も多少異なる印象があります。やはり、若鶏半身揚げを楽しむなら本店が良いと思います。

小樽は、古い歴史を持つ港街ですが、かつてはニシン漁の拠点、石炭の積出港、樺太航路の発着港でもあり、まさに北海道経済の中心地でした。札幌にその座を明け渡してから、しばらく低迷していましたが、いまや北海道を代表する観光地になっています。かつての小樽の栄華を偲ばせるものの一つが甘味だと思っています。新倉屋はじめ餅文化もあり、ぱんじゅうなる珍品もありますが、注目すべきは洋菓子だと思います。クリームぜんざいの”あまとう”、道内で初めてソフトクリームを商った”アイスクリームパーラー美園”、再建された名喫茶店”館”、残念ながら閉店した小樽式モンブランの”米華堂”などの老舗が、港街らしいユニークな洋菓子文化を築いていました。洋菓子も若鶏半身揚げも、かつての小樽の繁栄を彷彿とさせる本当のソウルフードだと思います。(写真出典:naruto-ya.com)

2025年5月25日日曜日

「ノスフェラトゥ」

監督:ロバート・エガース      2024年アメリカ

☆☆☆

ロバート・エガース監督の長編4作目となる本作は、1922年に発表されたF・W・ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイク作品です。エガースは、デビュー作となった”ウィッチ”はじめ、”ライトハウス”、”ノースマン”と全ての作品で高い評価を受けてきました。エガースは、少年時代から吸血鬼に興味を持ち、本作のアイデアも長く温めてきたようです。随所にエガースらしい完成度の高さを見せてくれますが、思い入れが強すぎたのか、ディテールにこだわりすぎ、詰め込みすぎて、結果、冗漫な仕上がりになっています。プロットの整理の仕方、絵画的とも言える映像など見るべきところが多いだけに残念ではあります。ちなみに、映像にはフェルメールを意識したようなショットもありました。

吸血鬼と言えば、1897年に出版されたブラム・ストーカーの「ドラキュラ」が最もよく知られています。しかし、吸血鬼は、ストーカーが創造した怪物ではなく、かなり古くから欧州各地に分布する民間伝承であり、かつストーカーは18世紀頃から多く出版された読み物も参考にしているようです。欧州に限らず、類似した伝承は世界中にあるようですが、日本にだけはありません。その理由は、土葬と火葬の違いだとされます。日本の火葬の歴史は古く、特に仏教伝来以降は上部社会に定着していたようです。ただ、農民や庶民は、明治になって禁止されるまで安上がりな土葬を行っていました。いずれにしても、埋葬の違いからか、欧州等では肉体と魂は一体であり、日本では別物という思想が育ち、吸血鬼と幽霊の違いになったのでしょう。

ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」は、当時の英国の流行を反映して、国を跨いだ冒険小説の風情を持っています。ドイツ表現主義映画をリードしたF・W・ムルナウは、それをゴシック・ホラーの傑作「吸血鬼ノスフェラトゥ」へと昇華させます。しかし、ムルナウは、ドラキュラの著作権に関する許諾が得られず、タイトル、プロット、役名、舞台に変更を加えて製作します。ノスフェラトゥという言葉は、ルーマニア語の不快な者という言葉を元にした造語です。翻案したにもかかわらず、著作権侵害で訴えられたノスフェラトゥはお蔵入りとなります。1960年代に至り、著作権が切れると復元上映され、大きな反響を呼びます。ノスフェラトゥをドイツ映画の最高傑作とするヴェルナー・ヘルツォークが、1978年、リメイクして高い評価を得ています。

ヘルツォーク版は、自然主義的演出のなかに詩情がにじむ傑作だったと思います。以降、吸血鬼映画には、死ねないドラキュラの憂鬱と孤独を描くメランコリックな系統が生まれたように思います。本作は、吸血鬼を新たな視点から描いたといった作品ではありません。むしろ、吸血鬼の原点に回帰した作品だと思います。ムルナウのドイツ表現主義なエッジを取り除き、ゴシック・ホラー・テイストを現代的に表現した作品なのでしょう。ある意味、伯爵の怪物ぶりは潔いとも言えます。若くしてヒットメーカーになった監督は、プロダクション側から一定のフリーハンドを獲得し、好きな映画を好きに撮るという流れがあります。その際、肩に力が入りすぎて、観客が置き去りにされることも珍しくありません。本作にも、多少、その傾向を感じます。

吸血鬼ものは、B級映画の大定番の一つです。吸血鬼と言えば、クリストファー・リーのドラキュラとピーター・カッシングのヴァン・ヘルシング博士を思い出します。最もよく知られたコンビだと思います。クリストファー・リーがドラキュラ以外の役をやっても、口を開くと、牙が出てくるような気がしたものです。ちなみに、この二人は、スター・ウォーズにも出演しています。また、一方で、吸血鬼は、ヘルツォークはじめ、ポランスキー、コッポラ、ジャームッシュ等々、著名な監督をも魅了してきたテーマです。吸血鬼の人気が絶えないことは、興味深い現象だと思います。ホラーとメランコリック、いずれの流れにおいても、人類にとって普遍的な謎である死を吸血鬼が象徴しているからなのでしょう。(写真出典:eiga.com)

2025年5月23日金曜日

赤十字

昔、友人たちと赤十字の話をしている際、あのマークの由来は何だろうということになりました。一人が、真剣に、あれは絆創膏の絵ではないか、というので、皆、大笑いしました。確かに、そう見えないこともありません。実際には、赤十字社の創立者であるスイスの実業家アンリ・デュナンが、スイス国旗に敬意を表して定めたものです。赤十字社の基となった赤十字国際委員会は、1863年、ジュネーブにおいて発足しています。アンリ・デュナンは、1828年、カルヴァン派を信仰するジュネーブの旧家に生まれています。長じて銀行員となりますが、熱心なキリスト教徒としても活動します。当時、ロンドンで創設されたキリスト教青年会(YMCA)に共鳴し、デュナンはジュネーブYMCAを設立しています。

銀行から派遣されたアルジェリアで民衆の悲惨な現状を目の当たりにしたデュナンは、、銀行を退職してアルジェリアの民衆を支援する事業を興すことになります。事業への協力を得るために、デュナンは、イタリアへ遠征中だったナポレオン3世に会いにでかけます。そこで遭遇したのがソルフェリーノの戦いでした。ナポレオン3世のフランス帝国軍とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のサルデーニャ王国軍の連合軍が、フランツ・ヨーゼフ1世率いるオーストリア帝国軍と戦いました。オーストリア軍の失策に乗じたフランス・サルデーニャ連合軍が、短期間で勝利しますが、双方に多大な犠牲者を出すことになります。居ても立ってもいられなくなったデュナンは、地元の地元の女性たちとともに、負傷者の救護活動にあたります。

デュナンは、その経験を「ソルフェリーノの思い出」として出版します。「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士、その尊い生命は救われなければならない」というデュナンのメッセージは大きな反響を呼び、1863年の赤十字設立へとつながります。現在の赤十字は、紛争地域を担当する赤十字国際委員会(ICRC)、非紛争地域を担当する国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)、そして192の国や地域に存在する実働部隊としての各国赤十字社・赤新月社で構成されています。イスラム諸国の赤新月社は、赤十字社とまったく同じ組織です。スイス国旗に由来する赤十字とは言え、ムスリムにとって十字は受け入れがたかったわけです。イスラエルには、未公認ながらダビデの赤盾章があり、また、革命以前のイランでは赤獅子太陽章が使われていました。

日本の赤十字は、1877年、西南戦争に際して、大給恒と佐野常民が設立した博愛社に始まります。佐野常民は、かなり興味深い人です。佐賀藩医の養子として育ち、緒方洪庵、華岡青洲、伊東玄朴に学んだ医師ですが、幕府の長崎海軍伝習所の一期生でもあり、後に帝国海軍創設にも尽力しています。1867年には、パリ万博に派遣され、創設間もない赤十字を知ることになります。西南戦争が起こると、政府に博愛社設立を願い出ますが、陸軍卿代行だった西郷従道から、逆賊まで救護することは如何なものか、と反対されます。しかし、征討総督の有栖川宮熾仁親王が、逆賊とはいえ天皇の臣民であるとして、設立を許可します。戦場にあっては、博愛の精神が理解されておらず、双方からの攻撃も受け、犠牲者も出たようです。

赤十字の活動は、ジュネーブ条約において、あらゆる攻撃から無条件で保護されるべき存在とされています。また、ジュネーブ条約では、赤十字章は、戦地の軍民の医療組織や施設で使うことも認められており、赤十字と同様に保護対象となっています。ただ、平時であっても、赤十字の許可があれば、赤十字章を使用することも認められており、救急車もその一例です。博愛の精神に基づき戦地や災害被災地で救護にあたる赤十字は、世界各国の合意のもとに活動しており、その活動を象徴する赤十字章も世界共通の認識のもと尊重されているわけです。紛争や災害が絶えることのない世界にあって、唯一、国境を超え、宗教を超えて、人間の尊厳を守っているのが赤十字だと言えます。公平、中立、独立を旨とする赤十字の活動は寄附によって成り立っています。赤十字への寄附は、人として為すべき最低限の義務ではないかとさえ思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2025年5月21日水曜日

ホバークラフト

かつて大分へ出張する際の楽しみのひとつは、空港・市内間を運航していたホバークラフトに乗ることでした。1990年代以降、日本でホバークラフトに乗れるのは大分だけでした。速いことは速いのですが、音がうるさく、揺れも大きく、決して快適な乗り物ではありませんでした。しかし、ホバークラフトは船舶に代わる水上交通手段という先進性があり、科学的進歩の時代を生きてきた世代には抗しがたい魅力があります。伝統的な船舶とは異なる水中翼船やジェットフォイルもありますが、水上に浮揚するというホバークラフトには未来を感じさせるワクワク感があります。残念ながら、大分空港航路は、2009年に運行中止となりました。大分空港の利用者が減り、料金の高いホバークラフトは一層厳しい状況に陥ったからでした。

大分空港は、別府湾をはさんで大分市の対岸にあり、道路が整備された現在でも、陸路では最低1時間、朝夕の渋滞時にはさらに時間がかかります。こうしたアクセスの悪さもあって、観光客の多くは、便利な福岡空港と鉄道を利用して大分入りします。ただ、近年、大分空港の利用者も増加傾向にあることから、2020年、大分県はホバークラフト復活を発表しました。高速船という選択肢もあったと思いますが、導入経費が安く、導入期間も短いホバークラフトが選択されたわけです。県がホバークラフトと地上設備を所有し、運営は民間企業が行うという方式で2023年運行開始が目指されました。英国から新造ホバークラフト3台を購入し、船名も決定しましたが、就航計画は遅れ、2024年末、ようやく試験運行も兼ねた別府湾周遊が開始されました。

就航が遅れている理由の一つは、事故が相次いだことでした。ホバークラフトは操作が難しく、習熟のための時間が必要だったようです。また、風速や波高に関する厳しい運行基準によって、定時運航率が低くなるという問題も生じました。さらに、ここに来てトイレの問題が急浮上しているようです。ホバークラフトにはトイレがありません。30分という乗船時間からすれば、分からぬでもありません。法律上も問題はなさそうですが、ホバークラフトは天候によって延着も予想されることから、議論の対象となっているようです。そもそも空港行きバスにもトイレがない車両が多いと思われますので、さほど大きな問題とは思えません。ただ、かつてと比べて高齢化が進んだ日本では、決して疎かにはできない問題になったとも言えそうです。

アクセスの良い空港と言えば、まずは福岡、次いで岩国、那覇、宮崎などが挙げられます。一方、遠い空港としては、断トツの中標津は別としても、成田、関空、熊本などと並んで大分空港の名前も挙がります。道路や鉄路の整備が進み、総じて空港へのアクセスは良くなっていると思いますが、海をまたぐ大分空港は例外的です。鉄道の利用も検討されたのでしょうが、敷設コストが膨大な額になります。空港に最も近い駅は、20km離れたJR日豊線の杵築駅だと思います。大分・杵築間の電車は、最短20分強です。杵築駅までの道路を整備し、鉄道とバスを組み合わせる方法も考えられます。ただ、乗り換えに要する手間や時間、飛行機の延着などを考えれば、除外せざるを得なかったのでしょう。やはりホバークラフトという選択に落ち着くのかもしれません。

ホバークラフトの特許は、19世紀末の英国で出願されています。しかし、理論に見合う強力なエンジンがありませんでした。20世紀になると、エンジンの進化とともに多くの試作が開始され、1930年代、ソ連が魚雷艇として実用化します。現在のホバークラフトは、1950年代の英国で軍用として誕生しました。以降、軍用、旅客用、レジャー用、大型から小型まで各種ホバークラフトが製造・運用されましたが、現在ではほぼ姿を消しています。エンジン・パワーと積載量が壁になっているのでしょう。かつてソ連では、エクラノプランという地上や水面すれすれで飛行する航空機が開発されました。高速で大量輸送可能な軍用機として、カスピ海に配備されていましたが、これも姿を消しています。思えば、人間の歴史は摩擦抵抗との戦いの歴史だったとも言えます。乗り物に関して言えば、今も、リニア・モーター・カーやチューブ・トレインへの挑戦が続いています。(写真出典:visitisleofwight.co.uk)

2025年5月19日月曜日

ちゃんこ巴潟

”降る雪や  明治は遠く なりにけり”とは、俳人・中村草田男の有名な俳句です。昭和6年、まだ31歳だった中村草田男が、母校である小学校を訪れ、子供たちの服装が和装から洋装になっていることに驚き、その感慨を詠んだ句とされます。かつては、よく引き合いに出された俳句であり、子供時分にはよく耳にしたものです。俳句としての評価はよく分かりませんが、少なくとも明治生まれの人々の心情を見事に表した句だったのでしょう。近年、街から昭和が消えゆくなか、思い出される俳句でもあります。諸行無常、すべてが移り変わることは世の常と分かっているのですが、自分が過ごしてきた街が変わってゆくことは、やはり寂しいものです。

消えゆく昭和の建物としては、三宅坂の国立劇場、神田駿河台の山の上ホテル、丸の内の帝劇ビル・国際ビル、有楽町ビル、浜松町の世界貿易センター・ビルなど、例をあげればキリがありません。とりわけ1950~60年代のモダニズムを感じさせる丸の内のビル群は、子供時分の憧れでもあったので、残念だと思います。惜しまれつつ消えてゆく飲食店も多くあり、特に馴染みの店の閉店は寂しいものです。渋谷・宮益坂の人気店”澤乃井”が”コロナに負けた”という張り紙をして閉店した時はショックでした。東京で宮崎うどんが食べられる貴重な店でした。それでも、まだ江戸川橋の”はつとみ”があると思ったものですが、それも閉店しました。現役サラリーマン時代、よく通った丸の内の”伊勢廣帝劇店”、”万世麺店有楽町店”、”福津留”なども消えました。

伊勢廣帝劇店の焼鳥お重は、丸の内を代表する絶品ランチでした。建替えた京橋の本店は繁昌していますが、帝劇店の味とは微妙に異なります。昔、帝劇店で、なぜ伊勢廣の焼鳥は美味いのかと聞くと、鶏肉が新鮮だからと言っていました。それだけなら他の店も同じ味になるはずです。焼鳥は、焼き方と塩加減の加減で味が変わります。焼き手が変われば、本店と異なる味にもなるのでしょう。万世の排骨ラーメンは、少なくとも千杯以上は食べたと思います。万世麺店は、万世橋の本店もなくなりました。コクのあるスープは同じでも、有楽町店は本店や新宿店よりも美味しかったと思います。鶏肉とたまねぎを辛く煮た”南蛮”という唯一無二のメニューで知られた福津留も、二度ほどオーナーが代り、味も多少変化しましたが、それでも丸の内名物であり続けました。

大相撲夏場所の四日目、五日目を観戦しました。櫓のはね太鼓に送られながら国技館を後にすると、まっすぐ”ちゃんこ巴潟”に向かうのがルーティンになっています。場所中は、2ヶ月前に予約しないと入れないほどの人気店です。巴潟の国見鍋と呼ばれる塩ちゃんこは、明らかに東京で一番です。その絶妙な味は、まさに唯一無二。ところが、この夏場所千秋楽をもって閉店することになりました。店に入ると、ちょうど女将さんがいました。言葉を探しつつ口を開こうとした矢先、女将さんが深々と頭を下げて、ご贔屓いただいたのに本当にすみません、と先に謝るのです。これまでの礼を言って、労をねぎらうべきだったのでしょうが、実に残念だとしか言えませんでした。従業員の方々とも、多少、言葉を交わしましたが、皆、突然のことで驚いたとのことでした。

両国一の人気を誇ったちゃんこ店の突然の閉店ゆえ驚きました。なんとかならなかったのか、と悔やまれます。東京の食文化にとっても、大きな痛手になったと思います。おりしも相撲の人気が盛り返し、チケットもとりにくくなっているだけに、実に残念なことです。あくまでも噂ですが、ビルの建替えと後継者問題があって、廃業を決めたようです。人気店とは言え、多額の借財を抱えて代替わりすることは、なかなかにハードルが高いのでしょう。仲間たちに、これから観戦後のちゃんこはどうするんだ、と聞かれました。他にも人気店はありますが、おいそれとは決められないように思います。   はね太鼓 昭和は遠くなりにけり (写真出典:tomoegata.com)

川上