日本の高度成長を支えたのは出稼ぎだとも言われます。高度成長は、農村の余剰労働力を、集団就職などによって工場に移転します。いわゆる産業転換です。さらに経済成長の基盤となるインフラ整備も加速し、ここには農村からの出稼ぎ労働力が投入されていきます。日本の経済発展は、農村部の労働力によって実現したとも言えるわけです。家族を故郷に残し、数ヶ月間、建設現場で暮らす生活は過酷なもので、高度成長の歪みとも言われました。田中角栄の列島改造論が、出稼ぎしなくてもよい日本を目指したことはよく知られています。1972年には約55万人だった出稼ぎ労働者は、2010年には1.5万人まで減っています。需要が減ったのではなく、供給元の農家が激減し、兼業化が進んだからだと思います。産業転換の最終段階と言えるかもしれません。
農村からの出稼ぎ労働者の穴を埋めたのが外国人労働力だったのでしょう。各国の国外への出稼ぎは、コロナ禍で減少したものの、再び増加に転じ、過去最高を更新中と聞きます。出稼ぎ大国として知られるのがフィリピンです。1979年、トランジットでマニラ国際空港に寄った際、同じTシャツと野球帽を身につけた男たち数十人が乗ってきました。兵隊でもないし、スポーツ・チームにも見えません。聞けば、中東への出稼ぎでした。フィリピンの出稼ぎ労働者は、2023年時点で215万人を超え、出稼ぎ労働者の仕送りはGDPの10%を超えるとされます。出稼ぎが多い背景には、フィリピンの経済基盤の不安定さに加え、公用語がタガログ語(フィリピン語)と英語であることが挙げられます。英語が通じる労働力は、受入国にとって好都合でニーズが高いわけです。
フィリピン、バングラデシュ、パキスタンが海外への出稼ぎが多い上位3ヶ国となっています。40年ほど前、イスタンブールからカラチへのフライトで、出稼ぎ先のリビアから帰る大勢のパキスタン人と一緒になったことがあります。皆、金持ちになって帰郷するのでウキウキ状態。数人から免税店で買った英国の高級タバコを頂きました。当時の機内は喫煙可で、かつ人にタバコを勧めるのは礼儀でした。聞けば、2年間リビアで働き、そこで得た金をもとに、家を建てる、車を買ってタクシーを始める、ハッジ(マッカ巡礼)に出かける等々、夢を語っていました。今も、3ヶ国の出稼ぎ先の多くは、サウジアラビアはじめ中東の産油国になっているようです。パキスタンの場合、ウルドゥー語がアラビア語に近いことも中東への出稼ぎが多い理由なのでしょう。
経済格差がある限り、出稼ぎは無くならないと思います。加えて、先進国の少子高齢化が進むなかでは、さらに拡大することも考えられます。農業革命は人と土地を固く結びつけたわけですが、産業革命がその関係を断ち切ったとも言えます。さらにグローバル化という観点からすれば、労働力にも国境がなくなりつつあるということかもしれません。一方で、出稼ぎが、ややもすれば奴隷的な労働になり、差別意識の温床にもなっているという現状もあります。日本の技能実習制度も国連や海外から批判され、2027年を目処に新たな制度としての「育成就労」が始まることになっています。他方、いち早く移民政策を進めた欧州でも、移民の国アメリカですらも、外国人労働者への圧力が高まっています。グローバル化を前提とすれば、海外からの労働力をいかに制約・制限するかではなく、いかに労働力の国際化に対応するかという取組が求められると考えます。(写真出典:koreatimes.co.kr)