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Sleepy Hollow |
河口から60kmばかり上流に、全長4,880mのタッパンジー・ブリッジがあります。その東詰めにウェスト・チェスター郡タリー・タウンがあります。かつてジョン・D・ロックフェラーはじめNYの富裕層が好んで邸宅を構えた土地であり、全米の住みたい街ランキングで第2位という街です。また、世界で最も幽霊が出やすい街としても知られています。それは、この街に永く住んだ作家ワシントン・アーヴィングの短編「スリーピー・ホロウの伝説」に起因します。スリーピー・ホロウは、タリー・タウンに隣接する村です。アーヴィングは、砲撃で首を失ったヘッセン騎兵が夜ごと騎行するという村の伝承を聞き、この作品を書きました。ヘッセン騎兵とは、独立戦争の際、英国軍の主力となったドイツ傭兵のことです。
首のない騎兵は、埋葬されたとされる教会近くで多く目撃されます。騎兵は、夜になると墓場を抜け出し、自分の首を探し求めて馬を駆ります。そして日の出が近づくと墓に戻るわけです。ウェスト・チェスター郡一帯は、アメリカ独立戦争の激戦地の一つであり、今でも、少し掘り返しただけで、当時の砲弾が出てきます。米英双方の多くの兵士が命を落とした土地でもあり、幽霊話には事欠かない土地と言えます。加えて、スリーピー・ホロウ、眠たい窪地という妖しげな名が、幽霊話に油を注いでいる面もあります。「スリーピー・ホロウの伝説」のなかでは、ドイツの祈祷師がこの地に魔法をかけた、あるいはインディアンの老酋長で妖術師だった男が祈祷を行い、その魔力が今に残り、人々は、半ば眠ったような状態に陥りやすいと語られています。
眉唾の話ですが、地名として残るくらいですから、実際に、人々をボーっとさせるような何かの現象はあったのではないかと考えます。磁力異常や何らかのガスの発生等も考えられますが、ハドソン川に近い窪地ということで、気圧や気温の激しい変化が起きやすい土地なのだろうと思います。水温の急激な変化等によりイルカが大量に浜に打ち上げられることがありますが、同じような現象が起こるのかもしれません。恐らく、世界を見渡せば、他にも似たような現象を起こす土地があるのでないかと思います。少なくとも、ハドソン川で川霧が発生したとすれば、スリーピー・ホロウのような窪地には霧が溜まることになるはずです。とりわけ、それが夜霧ならば、幻想的な光景が広がり、首のない騎兵が騎行するには最適な条件になるとも言えます。
アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」は、主に英国での見聞を元に書かれた短編小説・随筆集「スケッチ・ブック」に収録された一編です。アーヴィングは、1815年から17年間、イギリスに滞在しており、「スケッチ・ブック」は1820年に出版されています。首のない騎士の元ネタは、実はアイルランド民話とも、ドイツ民話とも言われているようです。アーヴィングが、アメリカに戻って、タリー・タウンに住み始めたのが1836年とされ、1859年に亡くなるまで暮らしました。サニー・サイドと名付けられたアーヴィングの家は、今もタリー・タウンに残っています。アーヴィングは、隣人である海軍提督とも親交があり、彼を”Japanned(日本おたく)”と書き残しているようです。提督の名前は、言うまでもなくマシュー・ペリーです。(写真出典:travelandleisure.com)