銀行から派遣されたアルジェリアで民衆の悲惨な現状を目の当たりにしたデュナンは、、銀行を退職してアルジェリアの民衆を支援する事業を興すことになります。事業への協力を得るために、デュナンは、イタリアへ遠征中だったナポレオン3世に会いにでかけます。そこで遭遇したのがソルフェリーノの戦いでした。ナポレオン3世のフランス帝国軍とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のサルデーニャ王国軍の連合軍が、フランツ・ヨーゼフ1世率いるオーストリア帝国軍と戦いました。オーストリア軍の失策に乗じたフランス・サルデーニャ連合軍が、短期間で勝利しますが、双方に多大な犠牲者を出すことになります。居ても立ってもいられなくなったデュナンは、地元の地元の女性たちとともに、負傷者の救護活動にあたります。
デュナンは、その経験を「ソルフェリーノの思い出」として出版します。「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士、その尊い生命は救われなければならない」というデュナンのメッセージは大きな反響を呼び、1863年の赤十字設立へとつながります。現在の赤十字は、紛争地域を担当する赤十字国際委員会(ICRC)、非紛争地域を担当する国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)、そして192の国や地域に存在する実働部隊としての各国赤十字社・赤新月社で構成されています。イスラム諸国の赤新月社は、赤十字社とまったく同じ組織です。スイス国旗に由来する赤十字とは言え、ムスリムにとって十字は受け入れがたかったわけです。イスラエルには、未公認ながらダビデの赤盾章があり、また、革命以前のイランでは赤獅子太陽章が使われていました。
日本の赤十字は、1877年、西南戦争に際して、大給恒と佐野常民が設立した博愛社に始まります。佐野常民は、かなり興味深い人です。佐賀藩医の養子として育ち、緒方洪庵、華岡青洲、伊東玄朴に学んだ医師ですが、幕府の長崎海軍伝習所の一期生でもあり、後に帝国海軍創設にも尽力しています。1867年には、パリ万博に派遣され、創設間もない赤十字を知ることになります。西南戦争が起こると、政府に博愛社設立を願い出ますが、陸軍卿代行だった西郷従道から、逆賊まで救護することは如何なものか、と反対されます。しかし、征討総督の有栖川宮熾仁親王が、逆賊とはいえ天皇の臣民であるとして、設立を許可します。戦場にあっては、博愛の精神が理解されておらず、双方からの攻撃も受け、犠牲者も出たようです。
赤十字の活動は、ジュネーブ条約において、あらゆる攻撃から無条件で保護されるべき存在とされています。また、ジュネーブ条約では、赤十字章は、戦地の軍民の医療組織や施設で使うことも認められており、赤十字と同様に保護対象となっています。ただ、平時であっても、赤十字の許可があれば、赤十字章を使用することも認められており、救急車もその一例です。博愛の精神に基づき戦地や災害被災地で救護にあたる赤十字は、世界各国の合意のもとに活動しており、その活動を象徴する赤十字章も世界共通の認識のもと尊重されているわけです。紛争や災害が絶えることのない世界にあって、唯一、国境を超え、宗教を超えて、人間の尊厳を守っているのが赤十字だと言えます。公平、中立、独立を旨とする赤十字の活動は寄附によって成り立っています。赤十字への寄附は、人として為すべき最低限の義務ではないかとさえ思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)