2025年3月30日日曜日

インド大魔術団

P.C.ソーカー
子供の頃、インド大魔術団の公演を2度ほど見ました。空中浮揚や人体切断といった大仕掛けな奇術は、大いに人気を集めたものです。さらに言えば、遠く、かつ謎めいた国インドというだけで十分にエキゾチックであり、それだけでも人を集める力があったのだと思います。同じ頃、ソヴィエトから来たボリショイ・サーカスも人気でした。東西冷戦の頃、ソヴィエトは壁の向こうの国として、やはりエキゾチックだったわけです。インド大魔術団は、国際的に活躍した奇術師P.C.ソーカーが率る「Indrajal(魔術) Show」の日本名であり、1950~1960年代、しばしば来日公演を行い、TVにも出演していました。同氏は、1971年、公演のために訪れた旭川で心臓発作を起こし、客死しています。 

ソーカーと言えば、裾の長い派手な上着を着て、羽根飾付のターバンの後ろを長く垂らし、立派な口ひげをたくわえた姿がトレード・マークでした。彼のマハラジャ的な姿が、我々のインド人のイメージに相当の影響を与えたものと思います。ソーカーは、バングラデシュのダッカ出身であり、シーク教徒ではないと思われます。ですからターバンは、あくまでもステージ衣装だったのでしょう。それにしても、インド人と言えば、ターバンというイメージが見事に定着しています。人口のわずか2%に過ぎないシーク教徒の姿が、なぜインド人を代表するに至ったのか不思議なところです。おそらくは、インドに進出した英国人が、エキゾチシズムを強調するためにシーク教徒の姿を象徴的に使ったからなのでしょう。

インド大魔術団のショーは、ステージ・マジックのなかでもイリュージョンと呼ばれるジャンルでした。記録に残る最も古い奇術は、4千年前、エジプトの洞窟壁画に描かれた”カップ&ボール”だとされます。それがエジプトから世界に広まったということではなく、各地で手先・指先の器用な人たちが遊びとして行っていたことが奇術になっていったのだと思います。イリュージョンの始まりは、チェスを指す”トルコ人”という機械人形だとされます。1770年、ハンガリーの発明家がマリア・テレジアを喜ばせるために作りました。トルコ人は、欧州を巡業し、人気を博したようです。ただ、トルコ人が、科学の歴史ではなく、奇術の歴史に登場するわけは、中にチェスの名人が入っていたというインチキがゆえです。

近代奇術の父とされるのは、19世紀フランスのジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダンです。それまで奇術が持っていた黒魔術的なムードを、燕尾服に明るい照明という現代につながる姿に変えました。近代的なイリュージョンもロベール=ウーダンに始まるとされています。元時計職人という経歴を活かした機械魔術の他に、透視術や人体浮遊といった新しい奇術を次々と発表したとされます。興味深いことに、ロベール=ウーダンの人体浮遊は、インドのマドラスでヒンドゥー教の行者が披露した空中であぐらをかく技が元ネタになっているようです。また、イリュージョンの定番である消失マジックも、17世紀インドで行われていた奇術だったようです。空中に立ち上がったロープを少年が登るヒンドゥー・ロープというイリュージョンも、その名の通り、インドの奇術師が行ったものだとされます。

やはりインドは、奇術のメッカの一つなのでしょう。インドの場合、奇術は単なる遊びではなく、宗教と深く関わっている面がミステリアスな印象を与えます。それは過去の話とも言えません。1990年代、日本ではサイババ・ブームが起こります。オカルト・ブームに乗った日本のTV局が、奇跡を起こすインドの宗教家として大騒ぎしました。奇跡とは、病気を治す、腕輪などを出現させるなどですが、最も有名になったのは何もない手から聖灰を生み出すものです。サイババの奇跡は手品だという批判も多くありましたが、科学的な解明はできませんでした。TVは、サイババを奇跡という一点だけでネタにしていました。日本のマスコミの軽薄さを象徴する話です。実は、サイババは、教育や社会インフラの整備等に大きな功績を残した人です。今も、インド国内だけでなく、世界的に大きな影響を残しています。(写真出典:bbc.com)

2025年3月28日金曜日

クォンタム・リープ

クォンタム・リープとは、量子力学の世界で「非連続的飛躍」を意味します。一般的には”革新的”ではなく”革命的”という言葉に相当するのでしょう。明治期の日本の近代化は、わずか30年で先進列強と肩を並べるまでなります。そのスピードに世界が驚き、多くの国が日本を手本にしようとしました。直近まで鎖国状態の封建社会だったことからすれば、まさに非連続的であり、クォンタム・リープと呼ばれることもあります。日本が驚くべきスピードで近代化できた理由については、多くの説が語られてきました。薩長が、大儀には乏しい戊辰戦争で江戸幕府と佐幕派各藩を滅ぼし、瞬時に中央集権国家を実現したこと、あるいは不平等条約解消に向けて近代化を急ぐ必要があり、貪欲に海外文化を吸収していったこと等が挙げられてきました。

しかし、明治の近代化はクォンタム・リープなどではなく、江戸期からの連続性のなかで実現された革新だったように思えます。幕藩体制から中央集権化という大きな変化はあったものの、本質的に明治維新は武家から武家への政権交代だったと思います。江戸期には、近代化に欠かせない官僚体制の確立、商業資本の蓄積、各種技術の進化、流通体制の整備等が十分なレベルに達していたように思えます。また、鎖国と言っても、欧州の知見は出島のオランダ人を通じて入手できていました。要するに、日本は、江戸期260年の安定を通じて、近代化への準備を整えていたわけです。幕藩体制の行き詰まりを背景に、列強の脅威、関ケ原の遺恨といったトリガーはあったものの、明治の近代化は、起こるべくして起こったとも言えます。

欧州では、蒸気機関の登場とともに産業革命が起こります。日本も、蒸気機関さえあれば、産業革命が爆発する状態にあったとも言えるのでしょう。近代化の実現には、中央集権化された国家の殖産興業政策が大きな役割を果たします。ただ、上部構造だけでなく、文明開化を受け入れた社会のあり方も近代化実現の大きな要素だったと思います。政府が打ち出した四民平等が奏功したと言われますが、江戸後期には、貨幣経済の進展に伴い、町人が台頭、武士は没落、農民の生活水準も上がり、社会の均一化が進んでいました。四民平等は、幕藩体制の解体、租税強化、徴兵制など、中央集権化を進めるための方便だったのでしょう。庶民にとって、明治維新とは、幕府と武士が政府と役人に代わり、税が増え、兵役が課されただけのことだったのかもしれません。

つまり、明治維新とは、既に行き詰まっていた幕藩体制を、国民の犠牲の上に破産処理したような面もあるわけです。これが市民革命であれば、理想の社会を実現するために市民は進んで犠牲を払います。しかし、明治維新は簒奪型の政権交代であり、市民革命ではありません。犠牲を強いられる国民にも分かりやすい大義の欠如こそ、武家政権である明治政府の泣き所だったと思われます。それが明治維新として賞賛されることになったのは、天皇の神格化、富国強兵、文明開化といったプロパガンダの上手さ、そして何よりも日清・日露戦争での勝利がゆえだったのでしょう。日清・日露戦争は、あたかも免罪符がごとき絶大な力を政府に与えます。そして、それが、後の軍国主義、太平洋戦争へとつながっていくことになります。

明治維新を巡る学界での論争は続いているようですが、国民の認識としては司馬遼太郎などによる明治維新礼賛が定着しています。およそ歴史にクォンタム・リープなどなく、あくまでも原因と結果という連続性の上に成り立っているのだと思います。クォンタム・リープと呼べるのは、シュメール文明の唐突な出現くらいでしょう。ただ、それも近年発見されたトルコのギョベクリ・テペ遺跡の研究などによって、謎が解明されるかもしれません。明治維新については、その果たした役割の大きさを否定するつもりなどありませんが、史実に関するより冷静な分析が行われ、プロパガンダの呪縛から解放されるべきだと思います。半藤一利の薩長史観等もありますが、国民の認識が変わるまでには至っていません。歴史を正しく認識することは、我々の立ち位置を理解し、将来につなげていくためには欠かせないプロセスだと思います。(写真出典:touken-world-ukiyoe.jp)

2025年3月26日水曜日

「教皇選挙」

監督: エドワード・ベルガー         2024年イギリス・アメリカ

☆☆☆+

枢機卿たちによるローマ教皇選出選挙、いわゆるコンクラーヴェを題材としたミステリ映画です。様々な政治的要素も見え隠れするものの、緊張感あるエンターテイメントに仕上がっています。ドイツ人のエドワード・ベルガー監督は、前作「西部戦線異状なし」(2022)でアカデミー国際長編映画賞を受賞しましたが、今回も手堅い演出をしています。原作は、英国のベストセラー作家ロバート・ハリスの同名小説です。脚色は、「ヤギと男と男と壁と」(2009)や「裏切りのサーカス(Tinker Tailor Soldier Spy)」(2011)で高く評価されたピーター・ストローハンですが、本作でアカデミー脚色賞を獲っています。音楽は、「西部戦線異状なし」に続いて、前衛音楽家のフォルカー・ベルテルマンがいい仕事をしています。

スリルや派手なアクションもない系統のミステリでは、高い緊張感とテンポの速さを維持しながら、意味ありげな静寂を効果的に差し込むというのが正統派のアプローチだと思います。いわゆるヒッチコック式の緊張と緩和といったスタイルとは大いに異なるわけです。史実に基づいた陰謀がらみの政治サスペンスものなどが、その典型だと思います。本作は、そうしたセオリーに忠実に作られていると思います。ところが、教会批判をテーマとする政治サスペンスのようではあっても、実はそうではありません。あくまでもエンターテイメントに徹した作品であり、教会批判的な要素は単なるモティーフに過ぎません。それも、結構、ありきたりな内容になっています。そのギャップが気になるところではあります。

プロテスタントたちが作った映画であることも含め、恐らくバチカンやカソリック教徒からの批判があるものと思われますが、まともに批判するのもバカバカしいレベルだと思います。製作陣も、それは百も承知で、あえてそうしている面があるのでしょう。例えて言うなら、ハリウッドが作ったサムライ映画のようなものです。しかし、思想性や政治性には欠けるとは言え、かなり出来の良いミステリにはなっています。上出来になった大きな要因は、演出もさることながら、キャストの重厚な演技やスキのない美術にもあると思います。もちろん、システィーナ礼拝堂はじめバチカンでロケを行うわけにはいきません。バチカンのセットは、細部にこだわった、かなりレベルの高いものになっています。ここがこの映画の大事なポイントの一つです。

今一つの肝は、キャスティングの良さと演技のレベルの高さです。まずは、主演するレイフ・ファインズは、映画のムードを決定づけるほどの好演を見せています。レイフ・ファインズは、007やハリー・ポッター、あるいはウェス・アンダーソン映画でおなじみですが、舞台出身の性格俳優としての実力を見せています。ジョン・リスゴーはじめ脇役陣も見事な顔ぶれですが、なかでも、イザベラ・ロッセリーニには驚きました。久々すぎて誰か分かりませんでしたが、とても存在感のある良い演技をしていました。彼女は、ロベルト・ロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘で、マーティン・スコセッシの妻でもありました。デヴィッド・リンチの衝撃作「ブルー・ヴェルヴェット」(1986)で、モデルから女優に転じますが、鳴かず飛ばずが続いていました。

13世紀から続くコンクラーヴェは、ラテン語で”鍵の掛かった”という意味だそうです。現在、上限を120人とされている枢機卿たちが世界中から集まります。システィーナ礼拝堂に籠もって投票を繰り返し、得票が2/3以上に達した枢機卿が教皇になります。かつては、教皇が決まるまで完全に礼拝堂に缶詰にされていたようですが、現在は、2005年に完成したサン・マルタ館に宿泊するようです。もちろん、コンクラーヴェ期間中は、システィーナ礼拝堂とサン・マルタ館は、物理的にも、電子的にも完全に外界と遮断されます。コンクラーヴェは、しばしばバチカンの閉鎖性の象徴のようにも言われます。密室における陰謀めいた世界が描かれた本作は、アメリカ大統領選挙の年に公開されました。もちろん、ただの偶然ではありません。(写真出典:imdb.com)

2025年3月24日月曜日

ワニ

NYへ赴任すると、駐在員の皆さんが歓迎会を開いてくれました。当時のNY事務所は、3つの現地法人、20人弱の従業員、半数が駐在員といった構成でした。歓迎会は、皆さんがよくランチで使っている和食店で行われました。日本から赴任したばかりの人間を和食店で歓迎というのも如何なものかとは思いましたが、和食しか食べないという人が数人いたのでやむを得ない選択だったようです。店の壁に不思議な品書きを見つけました。ワニの刺身です。せめて異国へ来た感を味わいたかったので注文してもらいました。皆、気持ち悪がって、私だけが食べました。水っぽい鶏肉といった味ですが、さして美味しいものでもありませんでした。

後日判明したことですが、その店でワニの刺身が提供されたのは、なんと、その日だけだったようです。何か問題があったに違いない、お前、大丈夫だったか、と皆さんから気遣っていただきましたが、まったく問題ありませんでした。その後、しばらくの間、事務所で私はワニと呼ばれていました。NYにいた間に、3度ばかりフロリダのディズニー・ワールドへ行きましたが、その際、オランド-のゲイター・ランドというワニ園も訪れたことがあります。熱川バナナワニ園のようなものですが、規模が桁違いでした。今は知りませんが、かつてはワニ肉を食べることができました。チキン・ナゲットのような食べ方でしたが、やはりしまりのない鶏肉のような味がしました。特に美味しいものではありませんでした。

美味しければ、今頃、ワニは乱獲によって絶滅危惧種に指定され、場合によっては養殖も行われているはずです。山陰地方や広島県の山間部にもワニを食べる文化があります。といっても、ワニとはサメのことです。古事記の「因幡の白兎」に登場する和邇、日本書紀では鰐となりますが、これがワニかサメかについては、いまだに議論が続いているようです。日本にワニは生息しませんから、ワニとはサメの古語と理解すべきなのでしょう。ただ、ワニの語源も定かではなく、日本の固有言語ではないかとされているようです。サメの肉にはアンモニア臭があって、あまり美味しいものとは言えません。ただ、そのアンモニア成分が、サメの肉の鮮度を保つことになり、特に山間部では重宝され、祝宴の定番料理とされてきたようです。

ブルックリン出身の人に聞いた話ですが、子供の頃、ホタテはそこそこ高価なもので、街の魚屋でホタテが安く売られていると、喜んで買ったものだそうです。ただ、安いホタテの多くは、メイコー・シャーク、日本名アオザメの肉を型抜きしたものだったそうです。NYの下町の庶民は、ホタテはアンモニア臭いものだと思っていたのかもしれません。高知県民はウツボが大好きですが、これもアンモニア臭が気になります。サメ、ウツボ、エイなども新鮮なものは臭くないとされますが、そもそも、さほど美味しいものではないように思います。とは言え、優秀なタンパク源であることは間違いなく、大昔から世界中で食べられてきたようです。日本では加工品の原材料が多いわけですが、アジアでも、欧州でも、アフリカでも下処理をして食べられているようです。

フカとは、主に関西でのサメの呼称、あるいは大型のサメと言われます。深い海に生息するからフカと呼ばれたという説があります。中国三大珍味の一つはフカヒレです。中国では昔から気仙沼産が最高級品とされてきました。それはサメの種類ではなく、丁寧な加工がゆえと聞きます。フカヒレは、下処理してから天日干しにして作られます。子供の頃、近くにフカヒレの作業場があり、風向きによっては匂うことがありました。もちろん、かぐわしい匂いではありません。いつの頃か、作業場はなくなっていました。作業場ができた頃は周囲に住宅が少なく、その後、宅地化が進み、周辺住民からの苦情が多くなったということなのでしょう。私が、アンモニア臭のある魚を好まないのは、その頃の記憶によるものかもしれないと思っています。(写真出典:awsfzoo.com)

2025年3月22日土曜日

梁盤秘抄#36 Saxophone Colossus

アルバム名:Saxophone Colossus(1956)                                          アーティスト:Sonny Rollins

ソニー・ロリンズのライブを一度だけ聴いたことがあります。1973年、大学に入りたての年でした。それまで何度もジャズのライブは聴いていましたが、これほどの大物は初めてでした。まずは、テナー・サックスの音の大きさに驚きました。こんなに違うものなのかと思ったことを覚えています。マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」(1970)以降のことでもあり、多少ロックっぽい味付けの演奏も行っていましたが、会場が一番沸いたのは、やはり「セント・トーマス」でした。ロリンズがジャズに持ち込んだカリプソのなかでも絶大な人気を誇るのがセント・トーマスです。ジャズ・ファンが”サキコロ”と呼ぶ名盤「サキソフォン・コロッサス」で初リリースされた曲です。

セント・トーマス以前からラテン・ジャズは存在し、特にアフロ・キューバンは人気があったようです。多くのラテン・ジャズは、リズム・セクションにコンガ等のパーカッションを加えて、アップ・テンポで演奏されます。ところが、トリニダード・トバゴの民族音楽であるカリプソは、のんびりとした陽気なリズムが特徴です。南の島のレイドバック・スタイルそのものとも言えます。ロリンズは、NYのハーレムの生まれ育ちですが、両親がヴァージン・アイランドの出身であり、ラテンのリズムとグルーブは体に染みこんでいたのでしょう。ロリンズが作曲した曲は、オレオ、アルフィーなど、リズミカルで耳に馴染みやすいメロディが多いように思いますが、それも両親の影響なのかもしれません。

サキコロは、非の打ち所がない傑作と言われます。その通りだと思います。さらに言えば、ロリンズの演奏自体は、いつも非の打ち所がないと思います。最もジャズらしいジャズを演奏する人であり、超がつくほどの優等生と言っても過言ではありません。ロリンズは19歳で初レコーディングに参加し、大物たちとのセッションも行うなど、若くしてその名が知られる存在でした。しかし、20歳代前半は、犯罪と麻薬で刑務所を出入りしています。優等生とは言えない生活ぶりですが、演奏に関しては、その誠実で温厚な人柄から、自身の音楽性を高めていきます。20歳代後半に入ると、トップ・プレイヤーとして活動していき、26歳のおり、サキコロをリリースするわけです。ただ、一方で、その誠実な人柄が、音楽的な行き詰まりも生んでいくことになります。

自分の演奏に限界を感じたロリンズは、1959~1961年の2年間、音楽シーンから姿を消します。その間、ロリンズは、毎日、ウィリアムスバーグ・ブリッジで15~16時間、サックスを吹き続けたと言います。ロリンズは、その後も2度ばかり、音楽シーンを離脱しています。誠実な優等生だからこそ直面した壁だったのでしょう。ロリンズと同様、モダン・ジャズを代表する名演奏家としてはマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンもいますが、彼らが優等生だと思ったことはありません。彼らも、壁にぶち当たることもあったはずですが、常に新しい世界に挑戦することで、壁を乗り越え、ジャズを変えていきました。優等生ロリンズは、ハード・バップ、モダン・ジャズの本流に忠実であり続けたがゆえに、幾度も壁に直面したのだと思います。

ジャズを聴きたいと思ったら、それもいい演奏を聴きたいと思ったら、ロリンズは正しい選択です。図太くも温かみのある音色、抜群のテクニック、モダンなフレーズのアドリブと、まったく申し分ありません。そこには、マイルスのスリル、コルトレーンの高揚感はありませんが、ロリンズのテナーはジャズ界の灯台のような存在であり、メイン・ストリームを照らし続けたのだと思います。サキコロは、ジャケットも有名です。恐らくレコード・ジャケットの歴史を語るとすれば、決して外してはいけない一枚だと思います。当時、ロリンズは、まだ26歳だったのですが、既に灯台のような存在感を見せています。(写真出典:amazon.co.jo)

2025年3月20日木曜日

「アノーラ」

監督:ショーン・ベイカー     2024年アメリカ

 ☆☆☆☆ー

アカデミー賞では、作品賞、監督賞を含む5部門を受賞、カンヌでもパルム・ドールを獲得、他にも数々の賞を総なめにした作品です。ショーン・ベイカー監督と言えば、移民、庶民、性産業で働く人々といったアメリカの底辺で生きる人々を描くことで知られます。本作も、その目線に変わりはないものの、これまでにない勢いとテンポの良さを感じさせる映画でした。派手なロマンティック・コメディに見えますが、全く別物です。プロットの構図は、決して新しいものではありませんが、小気味よい展開が新しさを感じさせます。また、切ないものの、救いのあるエンディングは、多くの人の共感を得るものと思います。

映画は二部構成といった風情になっています。前半では、アノーラとイヴァンが出会って結婚するまでが、ビデオクリップのような映像とテンポで描かれます。スタイリッシュでパワフルな展開ではありますが、やや冗漫な印象も受けます。後半の展開とのコントラストやアノーラの強さを強調するために必要だということは理解できますが、やや監督の思い入れが強すぎバランスを失したようにも思えます。後半では、失踪したイヴァンを探し、イヴァンの両親と対峙していくわけですが、特に印象に残ったのは、タランティーノばりの小気味よい会話の応酬です。監督の過去の作品でも、会話は独特なムードを持っていましたが、本作では、明らかに一段ギアが上がっています。アノーラを演じたマイキー・マディソンのアカデミー主演女優賞も頷けます。

後半の舞台は、NYのロシア人街ブライトン・ビーチや隣り合うコニー・アイランドとなっており、ショーン・ベイカー監督らしいストリート・ムービー的な風情を感じます。ブルックリンのブライトン・ビーチは、リトル・オデッサとも呼ばれます。19世紀後半、海辺のリゾートとして開発されたブライトン・ビーチですが、大恐慌や第二次大戦前後から、徐々に東欧やロシアのユダヤ系移民が移り住み始めます。ロシア移民が多く集まりだしたのは1970年代のことだったようです。私がNYにいた1990年前後のブライトン・ビーチは、完全にロシア人街として知られていました。中華街はじめ移民の街はどこも同じですが、ブライトン・ビーチにも、英語を話すことなくロシア語だけで生きている人も少なくないと聞きました。そこはロシアそのものなわけです。

シンデレラ的なロマンティック・コメディと言えば、「マイ・フェア・レディ」(1964)や「プリティ・ウーマン」(1990)を思い出します。本作は、そのスタイルをうまく借用しながら、全く異なるものを作りあげています。古くから世界中にある”才子佳人”系の話は、ハッピー・エンドが基本です。本作は、救いはあるものの、典型的なハッピー・エンドにはなっていません。監督が描きたかったのは、厳しい環境に置かれた移民たちの現状、そしてその環境を生き抜く強さなのだろうと思います。さらに、本作の最も大きな特徴は、風俗店で働く主人公の悪びれることのないプロとしての逞しさと明るさ、そしてオリガルヒに対しても怯むことのない強気な姿勢なのではないかと思えます。妙な暗さや侘しさを見せないところが、とても新しいと思いました。

ロシア系移民をモティーフにした点もチャレンジャブルだと思います。同じ民族の移民が集まる街には、母国のヒエラルキーや社会構造がそのまま持ち込まれるものです。本作に登場するオリガルヒはツァーリそのものであり、仕える者たちも、息子でさえも滑稽なほど恐れて、服従しています。ロシアでは、ツァーリによる支配が絶え間なく続いていることへの皮肉なのでしょう。服従することに居心地の良さを感じる大衆の存在が、ツァーリを生むとも言えます。恐れることなく、徹底的にオリガルヒに抵抗するアノーラは、ロシアがいまだ拭い去れない社会体質に対するアンチ・テーゼでもあります。残念ながらアノーラが勝利することはありませんでしたが…。(写真出典:imdb.com)

2025年3月18日火曜日

道楽

道楽の王道盆栽
若い頃から、落語に登場する”ご隠居”に憧れていました。隠居という言葉にはいくつかの意味がありますが、ご隠居と言えば、家督を子の代に譲り、公職や仕事から離れて老後を送る武家や商家の先代、元の戸主を指します。サラリーマンには、隠居などなく引退があるのみですが、それだけに憧れたとも言えます。ご隠居さんのイメージとしては、こぢんまりとした建屋と庭のある隠居屋に住み、身の回りの世話をしてくれる奉公人が一人、そして道楽の一つや二つを持って暮らす、といったところです。江戸期の三大道楽と言えば、園芸、釣り、文芸だったと聞きます。文芸道楽は幅広ですが、商家のご隠居の場合なら、芝居、俳句、囲碁将棋、それに義太夫や端唄小唄といった習い事あたりでしょうか。

道楽とは、仕事以外で好きなことに打ち込むことです。本業以外の得手なことで金を稼ぐなら、それは商売であって道楽ではありません。先輩から、このブログに広告を貼り付け収入を得たらどうか、と勧められたことがあります。お断りです。収入を期待できるような代物でもありませんが、そもそも道楽でやっていることです。金が絡むと、好きなことではなくウケねらいで書くことになります。金を稼ぐなら道楽とは言えませんが、一方、道楽に金や時間を注ぎ込み過ぎて仕事や生活に支障をきたすなら、それも道楽本来の姿ではありません。例えば、飲む・打つ・買うという世界に血道を上げれば、道楽者や道楽息子といったレッテルが貼られます。近年、道楽という言葉は、批判的に使われることが多くなったと思います。

道を楽しむ、とは、実にうまい言葉を考えたものだと感心させられます。ただ、道楽は、もともと仏教の言葉だったようです。仏教では”どうぎょう”と読み、仏道を求めることとされます。”楽”という漢字は”願”という意味を持っていました。それが法華経などでは、道を修めて得られる法悦を表す言葉に変化していったようです。仏典には、楽に二種あり、俗楽と道楽なり、という言葉もあると聞きます。いつの頃かは分かりませんが、俗楽と道楽が混同されてゆき、道楽と言う言葉だけが残ったということなのでしょう。生活に余裕が出てきた江戸初期のことだったのではないかと推測できます。興味深いことに、英語の”Hobby”という言葉が生まれたのも17世紀のことだったようです。世の東西を問わず、生産性が上がった時期ということなのでしょう。

道楽によく似た言葉に”趣味”があります。趣(おもむき)と味わいということなのでしょうが、趣を味わうという意味もあり、道楽とほぼ同義語だと思われます。趣味という言葉は、明治初期から使われ、一般化したのは明治後期のことだったようです。ただ、いわゆる西洋文化の翻訳語ではなく、一方、中国の古典にも登場しない言葉のようです。いつ、どのように誕生した言葉なのかは分かりませんでした。ただ、明治になって、この言葉が使われ始めた背景には、西洋文化の迎合と職と特権を失った士族たちのプライドがあったという説があります。家計は苦しいものの、平民とは異なるという矜持を、洋装を整えることや書画骨董を収集することで保とうとする傾向があったのだそうです。その際、多用されることになったのが趣味という言葉だったようです。

道楽という言葉でも良かったようにも思いますが、道楽は経済的余裕が背景にあるように思います。明治の士族の収入では、ゆとりなどあり得ないわけです。加えて、単なるもの好きではなく、プライドの維持という目的もあるわけですから、道楽ではなく趣味という言葉が重宝されたのでしょう。現代では、趣味の幅も相当に広がり、かつ、言葉の意味も曖昧になっているように思います。道楽とは異なり、“趣味と実益を兼ねて”という言葉があるくらいですから、趣味で収入を得ることもまったく問題にされないわけです。趣味という言葉は、その幅広さからして実に便利な言葉だと言えます。一方で、道楽という言葉は、古語辞典でしかお目にかかれない、いわゆる死語になっていくのかもしれません。(写真出典:web-japan.org)

家作