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道楽の王道盆栽 |
道楽とは、仕事以外で好きなことに打ち込むことです。本業以外の得手なことで金を稼ぐなら、それは商売であって道楽ではありません。先輩から、このブログに広告を貼り付け収入を得たらどうか、と勧められたことがあります。お断りです。収入を期待できるような代物でもありませんが、そもそも道楽でやっていることです。金が絡むと、好きなことではなくウケねらいで書くことになります。金を稼ぐなら道楽とは言えませんが、一方、道楽に金や時間を注ぎ込み過ぎて仕事や生活に支障をきたすなら、それも道楽本来の姿ではありません。例えば、飲む・打つ・買うという世界に血道を上げれば、道楽者や道楽息子といったレッテルが貼られます。近年、道楽という言葉は、批判的に使われることが多くなったと思います。
道を楽しむ、とは、実にうまい言葉を考えたものだと感心させられます。ただ、道楽は、もともと仏教の言葉だったようです。仏教では”どうぎょう”と読み、仏道を求めることとされます。”楽”という漢字は”願”という意味を持っていました。それが法華経などでは、道を修めて得られる法悦を表す言葉に変化していったようです。仏典には、楽に二種あり、俗楽と道楽なり、という言葉もあると聞きます。いつの頃かは分かりませんが、俗楽と道楽が混同されてゆき、道楽と言う言葉だけが残ったということなのでしょう。生活に余裕が出てきた江戸初期のことだったのではないかと推測できます。興味深いことに、英語の”Hobby”という言葉が生まれたのも17世紀のことだったようです。世の東西を問わず、生産性が上がった時期ということなのでしょう。
道楽によく似た言葉に”趣味”があります。趣(おもむき)と味わいということなのでしょうが、趣を味わうという意味もあり、道楽とほぼ同義語だと思われます。趣味という言葉は、明治初期から使われ、一般化したのは明治後期のことだったようです。ただ、いわゆる西洋文化の翻訳語ではなく、一方、中国の古典にも登場しない言葉のようです。いつ、どのように誕生した言葉なのかは分かりませんでした。ただ、明治になって、この言葉が使われ始めた背景には、西洋文化の迎合と職と特権を失った士族たちのプライドがあったという説があります。家計は苦しいものの、平民とは異なるという矜持を、洋装を整えることや書画骨董を収集することで保とうとする傾向があったのだそうです。その際、多用されることになったのが趣味という言葉だったようです。
道楽という言葉でも良かったようにも思いますが、道楽は経済的余裕が背景にあるように思います。明治の士族の収入では、ゆとりなどあり得ないわけです。加えて、単なるもの好きではなく、プライドの維持という目的もあるわけですから、道楽ではなく趣味という言葉が重宝されたのでしょう。現代では、趣味の幅も相当に広がり、かつ、言葉の意味も曖昧になっているように思います。道楽とは異なり、“趣味と実益を兼ねて”という言葉があるくらいですから、趣味で収入を得ることもまったく問題にされないわけです。趣味という言葉は、その幅広さからして実に便利な言葉だと言えます。一方で、道楽という言葉は、古語辞典でしかお目にかかれない、いわゆる死語になっていくのかもしれません。(写真出典:web-japan.org)