2025年3月16日日曜日

ピューター

富山県の高岡は、鋳物の街として知られます。その歴史は400年を超えるとされています。いまや高岡を代表する鋳物工場の一つとなっているのが、1916年創業、モダンなデザインで知られる「能作」です。とりわけ錫100%の製品は、能作の代名詞となっています。錫は、融点が低く、柔らかい金属です。加工しやすいだけでなく、酸化しにくく,抗菌性が高く、熱伝導率が高いことから、酒器や茶器として重宝されています。また、錫は雑味を取る効果もあるようです。頂き物ですが、能作の錫のカップを持っています。冷たい飲み物には最適な器です。数年前、富山に行った際、能作の工場を見学しました。上質で高価な製品に相応しいモダンな工場でした。

錫の加工品の一つにピューターがあります。錫に、少量の銅とアンチモンを加えて、硬度を高めた製品です。錫100%だと、手で曲げられるほどに柔らかいので、合金にしているわけです。かつては鉛を混ぜていたようですが、19世紀、鉛が健康に良くないということで、今の製法に変わったようです。ピューターの歴史は古く、4000年前のエジプトの墓からも出土しています。ピューターは、古代ローマでも使われていました。錫鉱山の多いブリテン島に進出したローマ人たちは、ピューターを多く生産していたようです。中性に至るとイギリス製のピューターが欧州各地で使われるようになりますが、高価だったことから、富裕層や教会に限ってのことだったようです。その後、庶民の間にも広がり、その特性から、主に食器類として活用され、大人気となっていきます。 

14世紀のイギリスには、既にピューター生産者の組合が存在し、現在も続いているとのこと。大人気となったピューターでしたが、18世紀になると、東洋からもたらされた陶磁器の製造法が広まり、高価なピューターの食器類はより安価な陶磁器に置換えられていったようです。さらに20世紀になると、食器類は、各種、新しい素材を使って大量生産されるようになり、ピューターは姿を消していきます。ただ、加工のしやすさから装飾品として、あるいはその特性からビール・ジョッキなどとしては、根強い人気があります。かつてNYにいた頃のことですが、メリーランド州イーストンのソールズベリー社のピューターはギフトとして人気がありました。頂き物のカップを一つ持っていますが、30年以上経っても、まったく劣化していません。

昨今では、マレーシアのロイヤル・セランゴール社のピューターが、世界中で最も品質が高いとされ、人気があるようです。錫の産出国は、アジアと南米に集中していますが、マレーシアもその一つです。1885年、プラナカンが創業したロイヤル・セランゴール社は、クアラ・ルンプールに本社があります。セランゴールとは、マレーシア連邦13州のうち、クアラ・ルンプールを取り囲む州の名称です。ロイヤル・セランゴール社は、かつて単に州名セランゴールを冠したブランドでしたが、1979年、同州のスルタンから王室御用達の名誉を与えられます。それを機に、社名もロイヤル・セランゴールに変更しています。東京にも進出しており、丸の内に店舗があった頃には、しばしば後輩たちの結婚祝いとして、同社のピューターの一輪挿しを贈っていたものです。

今般、クアラ・ルンプール郊外にあるロイヤル・セランゴール社の工場を見学してきました。いまや同社はマレーシアの誇りの一つとなり、工場見学は観光コースになっているようです。良く出来た見学コースが設定されており、ピューター加工の各段階が職人によって実演されてもいました。また、庭にはギネス・ブックに登録されているというピューター製の巨大なビール・ジョッキも展示されていました(写真)。もちろん、ショップも併設されており、ピューターだけでなく、同社の金銀製品も売られていました。ピューターは、かつての倍以上に値上がりしていました。聞けば、錫は金銀に次いで高価な金属なのだそうです。リタイアしてしばらく経つ身としては、もはや後輩たちの結婚の知らせを聞くことなど一切ありません。そのことに少しホッとした次第です。(写真出典:travel.co.jp)

マクア渓谷