小督を忘れられない天皇は、行方を捜させます。そして、小督が嵯峨野の片蔀(かたしとみ)の家に隠棲していることを知ります。天皇は、源仲国に文を託し、馬を与えて嵯峨野へと走らせます。乏しい手がかりゆえ、小督の住まい探しは難儀します。折しも十五夜だったことから、小督は、天皇を想いながら、箏で「想夫恋」を奏でます。笛の名手でもあった仲国は、その音が小督の箏であることに気付き、片蔀の侘び住いを訪ねます。小督は面会を拒みますが、勅命であること、仲国の決意が固いことから、仲国と会います。仲国は小督に天皇の文を渡し、小督も返書を仲国に渡します。小督は、帰ろうとする仲国を止めて酒を振る舞います。仲国は万感の思いを込めて男舞を舞います。そして、小督が見送るなか、馬にまたがり都へと帰っていきます。
小督を観ると、いくつかの疑問が浮かびます。まずは、なぜ仲国の視点なのかということです。シテは仲国であって、小督ではありません。一説によれば、小督のメイン・テーマは秋の嵯峨野の風情であり、悲恋ではないから、ということになります。小督をシテとすればドラマ性が強まるので、あえて仲国をシテにしているというわけです。小督の作者は、長く金春禅竹とされていたようですが、今は否定され、作者不詳となっています。確かに、緻密にドラマを織り上げる金春禅竹の作風とは異なるように想います。しかし、秋の嵯峨野の風情を謡いたいというのであれば、わざわざ、ドラマ性が色濃く滲んでくる平家物語ものをプロットに選ばないようにも想います。ドラマ性を薄めるために、仲国をシテにするといった回りくどいプロットも選ばないように想います。
高倉天皇の治世と言えば、平清盛の娘である徳子が中宮となり、安徳天皇が生まれ、清盛が天皇の外戚になるという平家の絶頂期と重なります。能楽「小督」の登場人物は、すべて、平氏と対立した後白河院につながる人々です。平家の傀儡と言われることの多い高倉天皇は後白河院の子であり、父親同様、平家とは相容れなかったという説もあります。小督の祖父の信西は、平家を取立てますが、後白河院側近として平家と対立した人として知られます。そして、仲国も後白河院の近習だった人です。作者が描きたかったのは、悲恋のドラマでなかったことは明らかですが、メイン・テーマは、秋の嵯峨野の風情ではなく、武家の前に陰り行く公家社会の悲哀だったように思います。それを表現するに、秋の嵯峨野のもの悲しさが相応しかったといことなのでしょう。
よって、舞台は東山から嵯峨野へ、小督を見舞った藤原定家は仲国へと翻案されたのでしょう。実際の仲国は、複数の国司を務め、刑部大輔、院細工所別当も務めています。ただ、御廟建立を唱えると、人を迷わす妖言とされ、配流されました。なお、仲国が笛の名手という記録はないようです。むしろ、高倉天皇こそ笛の名手として知られていたようです。仲国の弟には仲章がおり、鎌倉幕府で活躍し、源実朝が暗殺された際、共に殺されています。高倉天皇の中宮・徳子は、平家一門が滅亡した壇ノ浦で入水しますが、助けられて、一門で唯一の生存者となります。出家して建礼門院となり、大原の寂光寺で、夫・高倉天皇、子・安徳天皇、そして一族を弔う日々を送りました。平家物語には、隠棲の地として嵯峨野がよく登場します。往時は、人家もまばらな野原だったのでしょう。しかし、実際の小督には無縁の地だったということになります。(写真出典:the-noh.com)
