2026年10月25日日曜日

清経

芳年画清経
今年も、厳島神社の観月能を観ることができました。今回は、第28回になります。人間国宝・友枝昭世氏も、86歳になりましたが、相も変わらず見事な舞を見せてくれました。観月能は、満月かその前後で開催されますが、今年は、眉月の夜となりました。いつもなら、上演開始とともに潮が満ちてくるのですが、今回は大潮の3日前ゆえ、観客席に着いた頃には、能楽堂も客席の回廊も既に海の上でした。曲は世阿弥の「清経」。平清経は、平家が都落ちした年、一門の将来をはかなんで入水しています。壇ノ浦の戦いの1年半前のことであり、一門には衝撃が走ったとされます。潮が満ちた観月能では、波の音が少し気になるほどだったのですが、それはそれで清経を上演するには相応しかったようにも思います。

平清経は、重盛の三男として、1163年に生まれています。横笛の名手だったようです。武士というよりは、貴族の御曹司という風情だったのでしょう。都落ちした平家は、西国を足場に巻き返しを図ります。当然、太宰府も確保しておくべき拠点であり、清経が送り込まれたようです。ただ、重盛の臣下だった緒方惟栄が源氏に寝返り、清経を太宰府から追い落とします。清経は、落ちのびた豊前国柳浦、現在の宇佐市の沖合で入水したとされます。後の壇ノ浦における平家の滅亡が予兆されているかのようです。巻き返しを図ろうとしている一門にとっては、ある意味、不吉な出来事だったのでしょう。ちなみに、緒方惟栄という人は、頼朝に追われた義経を匿うために、豊後国竹田に岡城を築いています。岡城は、滝廉太郎の「荒城の月」のモデルとされています。

世阿弥の「清経」は、大胆に脚色した夢幻能になっています。都の清経の妻のもとに、清経の悲報と遺髪が届きます。妻は、再会の約束を果たさなかった夫を恨み、遺髪の受取りを拒みます。妻の夢に清経が現れ、遺髪を受け取らなかった妻を責め、死に至る経緯、修羅道の現実を話します。そして最後には、念仏によって往生します。観月能では、音取という小書きが付いており、笛が橋懸りに正対し、清経の霊を迎えます。清経が笛の名手だったことにちなみ、霊魂を笛で呼び出すかのような演出になっています。他では見かけない小書きですが、えも言われぬ妖しげな空気が漂います。ましてや、波の音が聞こえているわけですから、一層、幽玄さが増すわけです。友枝さんは、この小書きの効果を狙って眉月の夜を選んだのではないか、とさえ思いました。

「清経」に関する一般的な解釈としては、死してなお絶望感と夫婦愛の狭間で苦しむ清経が、戦乱のむごさ、諸行無常を象徴しているとされます。そして仏法によって救済を受けるわけです。実に世阿弥の夢幻能らしい曲とも言えます。それが正しい解釈なのでしょう。ただ、個人的には、清経の妻は平家一門を象徴しているようにも思えます。捲土重来を期して戦う平家一門のなかで、早々と戦うことを諦めた清経は裏切り者ということになります。しかし、都落ちした平家の人々は、明日は我が身という絶望感を心の奥底にかこっており、清経を単なる裏切り者として罵ることはできなかったのではないでしょうか。妻の夫への愛情、約束を違えたことへの憤りという複雑な心情は、そうした平家一門の心根を表現しているように思えるわけです。

お決まりとも言えますが、清経にも生存説が伝えられています。熊本県八代市の山中にある五家庄に伝わる伝承によれば、平清経は、壇ノ浦の戦いの後に伊予国今治に落ち延び、阿波国祖谷を経て、伊予国八幡浜から九州に渡ったとされます。清経は、豊後国の緒方家を頼ったとされ、姓を「緒方」に改め、その後、五家庄に移り住んだといいます。恐らく、他の平家落人伝説と同様、清経本人ではなく、平家方の侍が五家庄に落ち延び、清経を騙ったということなのでしょう。しかし、興味深いのは、ここに、清経を太宰府から追い落とした緒方惟栄が登場することだと思います。緒方惟栄が、頼朝から逃げる義経をかばったという話が、うまく使われているように思えます。得てして、こうした話のあやが使われると、事は真実味を増すものです。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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