2025年11月12日水曜日

ヤシの木にプール

NHKのETV特集で「POP 大滝詠一 幸せな結末」という番組を見ました。大滝詠一は、いわゆるJ-POPという地平線を切り開いた巨人だと言えます。我々の世代にとっては、同時代の音楽や文化を決定づけた人です。大滝詠一以前の大衆音楽は、歌謡曲と洋楽に区分されていました。彼は、そこに日本語のポップ・ミュージックという新たなジャンルを創設します。個人的には、ジャズやR&Bに狂っていたので、彼のレコードを買ったこともなければ、好んで聴いていたわけでもありません。しかし、音楽に限らず、大滝詠一が提供してくれたポップ・カルチャーが、我々の文化や感性を形成してきた面は大きいと思います。彼の楽曲を聴くと、とても幸せな気分になります。 

大滝は、1948年、現在の岩手県・奥州市江刺に生まれます。小学5年の夏、コニー・フランシスの「カラーに口紅」を聴いて衝撃を受け、以降、アメリカン・ポップの世界にのめり込みます。釜石の高校を卒業し東京で就職しますが、すぐに退社して音楽活動に入ります。1970年には、細野晴臣、松本隆、鈴木茂と伝説のバンド「はっぴいえんど」を組んでデビューします。1971年には、名曲「風をあつめて」を含むアルバム「風街ろまん」をリリースしています。しかし、フォーク・ロック調の楽曲は注目されることもなく、知られることもありませんでした。70年代中頃になって、その完成度の高さがじわじわと評価されていきます。私がはっぴいえんどの存在を知ったのは芸術雑誌の「ユリイカ」でした。松本隆の「風をあつめて」の詞が取り上げられていたのです。

はっぴいえんど解散後、大滝はCMソングの制作や若手のプロデュースなどを行います。山下達郎をデビューさせたことは有名です。また、福生にスタジオを作り、自らのプライベート・レーベル「ナイアガラ・レーベル」を設立します。そして、1981年3月には、作詞に松本隆を迎えて、ソロ・アルバム「A LONG VACATION」をリリ-スします。発売直後は低迷したものの、徐々に売上を伸ばし、結果、オリコン初のミリオンセールス、年間売上第2位を記録しています。それどころか、今も売れ続け、累計で200万枚を超えるロング・セラーとなっています。ジャケットは、青い空、プール・サイド、ヤシの木、白いビーチ・パラソルが描かれた永井博のイラストでした。この大滝詠一、松本隆、永井博のセットが、時代の空気を作ったと言えます。

大滝は、積極的に楽曲提供も行い、松田聖子「風たちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」、薬師丸ひろ子「探偵物語」等は大ヒットします。ヒット曲の多くがCMとタイアップしていることでも知られます。また、吉田美奈子、シリア・ポールが歌い、後にラッツ&スターで大ヒットした「夢で逢えたら」は、日本で最も多くカバーされた曲でもあります。大滝の音楽は、50年代アメリカの豊かさを象徴するポップ音楽がベースであり、ゆえに多幸感をもたらすのだと思います。その多幸感が、高度成長期を経て、豊かになった日本社会にフィットしたと言えるのでしょう。若者には、輸入雑貨、ドライブ、サーフィン、リゾート、海外旅行等々が大人気でした。音楽の世界でも、演歌中心だった歌謡曲の時代が終わり、Jポップの時代が始まります。

海外の文化を我が物にすることは日本の得意技です。大滝が、アメリカン・ポップからJポップを生み出したことは、かつて漢字から仮名文字が編み出されたことに似ています。また、70~80年代、豊かな時代を迎えたと言っても、改革開放後の中国が拝金主義に流れたのとは大違いで、生活の中でささやかな夢を見ていただけのように思います。大滝の音楽や永井博のイラストは、そうした日本の特性をも反映しているように思います。2013年暮れ、大瀧詠一は、突然、動脈瘤で亡くなります。享年65歳。時代が切り替わったことを象徴しているように思います。最後のレコーディングは、竹内まりやとデュエットした「恋のひとこと(Somethin' Stupid)」でした。フランク・シナトラ、ナンシー・シナトラ親子が歌った1967年の大ヒット曲です。大瀧は、何のアレンジも加えず英語で歌っています。カバーというよりもコピーそのものです。それは過ぎた時代への惜別の賦でもあったのでしょう。(写真出典:amazon.co.jp)

2025年11月10日月曜日

Tokyo Film 2025(4)

「虚空への説教」  ヒラル・バイダロフ監督 2025年アゼルバイジャン・メキシコ・トルコ ☆☆

映画というよりも観念的な映像詩といったところであり、現代アートの作品そのものだと思いました。映像には見たこともないような電子的加工が加えられていました。哲学的でも、宗教的でもあるような詩がナレーションとして流れます。アゼルバイジャン出身の監督は、数学の天才であり、コンピューター・サイエンスを学んだ後、ハンガリーのタル・ベーラ監督に師事して映画を学んだといいます。数々の賞も獲得しているようです。映像の加工処理は、彼の経歴が反映されているのでしょう。この映画の上映で一番すごいと思ったのは、観客の我慢強さです。誰一人途中退席することなく最後まで見ていました。

「The Ozu Diaries」 ダニエル・レイム監督 2025年アメリカ・日本 ☆☆☆+

世界的名声が高い日本の映画監督といえば、黒澤明、溝口健二などともに、必ず小津安二郎の名も挙げられます。小津人気の特徴は、映画監督たちからの評価が高いことだと思います。一般市民の家庭を舞台に、親子の姿を淡々と静かに描き、かつ行間から情感を浮かび上がらせるという小津調は見事なものだと思います。しかし、それ以上に、監督たちが魅せられているのは映画文法の完成度の高さなのだと思います。映画のなかで、小津の大ファンとして知られるヴィム・ヴェンダースが「東京物語」のラストの素晴らしさを解説しています。言われてみれば、確かに、これ以上ないほど完璧な仕上がりだと思えます。本作は、小津が残した日記、近しかった人々のインタビューで構成され、小津の人生と映画を浮き彫りにしたドキュメンタリーです。今後、映画製作を志す人々にとって、良い教科書の一つになっていくのでしょう。ちなみに、小津の映画製作にとって、日中戦争への従軍経験が大きなウェイトを占めていことも知りました。

「パレスチナ36」 アンマリー・ジャシル監督 2025年パレスチナ・イギリス・フランス・デンマーク ☆☆☆+

パレスティナ問題の原因は、大英帝国の二枚舌、三枚舌にあるとされます。その通りですが、問題の根源はシオニストの強引な移住、国家樹立運動にあります。第二次世界大戦後、英国が統治権を放棄すると、国連で分割案が採択されます。ユダヤ人はこれに賛成しイスラエルを建国しますが、アラブ側はこれを拒否します。我が家に武装した他人が入ってきて分割だと言うのですから、当然の対応です。実は、国連決議に先立つ1936年、アラブ側のゼネストに応じて結成された英国のピール委員会が分割案を提示しています。映画は、その前後のパレスティナを描いています。アンマリー・ジャシル監督はパレスティナを代表する映画監督です。パレスティナ問題をテーマとすれば冷静ではいられないはずですが、映画は抑制の利いたタッチで描かれています。しかし、客観的であろうとするためかややインパクトに欠け、複数の視点からストーリーを展開したことで焦点がぼやけた面もあります。映画は、ガザの同胞に対する連帯のメッセージで終わっています。なお、本作は、今年のグランプリを獲得しました。やはり、ガザで進行するジェノサイドへの批判が込められているのでしょう。

「死のキッチン」 ペンエーグ・ラッタナルアーン監督 2025年タイ ☆☆+

スタイリッシュなサスペンス・ホラーです。奇妙な味の小説系とも言えます。ミステリーの世界では、料理と殺人の相性はとても良いのですが、料理をメイン・プロットにすることは極めて困難です。本作は、ひねったアプローチをしていますが、やはり無理がありました。しかし、次々と繰り出されるタイ料理は、その調理プロセスも含めて、実に魅力的でした。タイ料理が食べたくなりましたし、バンコクに行きたくなりました。監督の料理へのこだわりは半端じゃないなと思いました。

「囚われ人」 アレハンドロ・アメナーバル監督 2025年スペイン・イタリア ☆☆☆

監督の才能を感じさせる出来になっています。ミゲル・セルバンテスが、ドン・キホーテを書く遥か以前、アルジェで俘虜生活を送っていた時代が描かれています。その5年間については、4回逃亡を企てたという記録が残るのみで、詳細は不明とのこと。そこをフィクションで埋めようという作品です。話のうまいセルバンテスが人々に語る物語と現実が交差するというプロットが巧みに展開されています。天才肌で知られる監督は、様々な賞も獲得しています。最も印象に残る作品と言えば、「バニラ・スカイ」としてハリウッドでリメイクもされた「オープン・ユア・アイズ」(1997)ということになります。また、「海を飛ぶ夢」(2004)は、スペインの安楽死政策を変えるきっかけになったことでも知られます。監督は音楽の才能も豊かで、本作のスコアも担当しています。実は、本作の上映中、画面がブラック・アウトするという珍しい事故がありました。トラブル回復後には最後まで上映されましたが、料金は全額返還されました。

2025年11月9日日曜日

Tokyo Film 2025 (3)

 「エイプリル」 フレディ・タン監督 2025年台湾 ☆☆☆+

フィリピンから台湾へ出稼ぎして家庭介護を行うエイプリル、彼女の介護を受ける台湾人の老人、それぞれの家庭が抱える問題が交差していくというプロットです。複線化されたプロットの構成、その処理が見事だと思います。ディスコミュニケーションを乗り越えてゆく家族愛、そして国や民族を超えてつながる思いやりを描いています。笑いあり、涙ありの実に良く出来た脚本だと思います。演出も腕の良さを感じさせ、キャストもいい演技をしていました。フィリピンや台湾の美しい風景も魅力的でした。台湾は、外国人労働者を積極的に受け入れ、定着化をねらっています。そうした現状を踏まえて製作された映画なのでしょう。監督は、弁護士出身という異例の経歴を持ちますが、社会を見る目の確かさを感じます。

「トンネル:暗闇の中の太陽」 ブイ・タック・チュエン監督 2025年ヴェトナム ☆☆☆

ヴェトナム戦争時のヴェトコンによるトンネル戦が描かれています。ヴェトナムで大ヒットを記録し、戦争映画としては史上最高の興業成績を上げたようです。ただ、その後、「赤い雨」という戦争映画も大ヒットし、アカデミー賞国際長編部門のヴェトナム代表にも決まっているようです。本作のようにヴェトコンのトンネル戦を正面から描いた映画は、ありそうでなかったように思います。トンネンル・シーンは、経験を持つ国だけあってリアルなものです。ただ、モティーフにこだわりすぎてプロットへの収斂が甘くなっています。トンネル戦を経験した兵士の多くはまだ生存しているはずです。彼らへの豊富な取材が、かえって徒になっているのではないかと想像します。監督の「輝かしき灰」(2022)が素晴らしかっただけに、期待したのですが・・・。

「ドリームズ」 ミシェル・フランコ監督 2025年メキシコ・アメリカ ☆☆☆+

移民問題は世界のホット・イシューです。欧州では移民の扱いを巡って右派が台頭し、米国では不法移民への弾圧が行われています。映画界においても、移民問題をテーマとする作品が多く制作されています。本作も、その一つですが、やや毛色の異なる作品です。米国の大金持ちの中年女性とメキシコ人の若いバレエ・ダンサーの情事の顛末をプロットとしますが、テーマとするところはメキシコ人から見た移民問題だと言えます。つまり、永年にわたり都合良くこき使ったあげく、今になって不法移民として弾圧するとは何事だ、ということなのでしょう。映画は、劇伴もなく、クリアなワイド画面で、あえて静かに展開していきます。その冷たい触感が怒りの強さを表しているとも言えます。監督は、高い評価を得ており、国際映画祭の常連でもあります。押しも押されぬ大女優ジェシカ・チャステインには、いつも驚かされますが、本作でも冷たさと熱さを見事に演じています。

「ヴィトリヴァル」 ノエル・バスタン/バティスト・ボガルト監督 2025年ベルギー ☆☆☆

何とも不思議な映画です。原題は「ヴィトリヴァル:世界で最も美しい村」となっています。村人の全てが親戚か知り合いというベルギーの小さな村の日常が、二人のパトロール警官を中心に、コミカルにスケッチされます。猥褻な落書き、連続する自殺というトピックはありますが、何も解決するわけでもなく、ドラマは一切ないと言えます。出演者はすべて素人であり当人役を演じています。主演格の二人だけは、本当の職業は警察官ではないようです。本作を、一般的な意味で映画と呼んでいいのかどうかも難しいところです。むしろ、一般的な映画を批判するために製作されたのかも知れません。自然主義映画の極致とも言える風変わりな映画ではありますが、抗しがたい魅力があり、飽きずに観れたことだけは間違いありません。二人の監督の腕の良さということなのかも知れません。

2025年11月8日土曜日

Tokyo Film 2025 (2)

「マゼラン」 ラブ・ディアス監督 2025年ポルトガル・スペイン・フランス・フィリピン・台湾  ☆☆☆☆

フィリピンの巨匠ラブ・ディアス監督の新作は、フェルディナンド・マゼランの半生を描いています。ディアス監督と言えば、スロー・ムーヴィー、モノクロ、タガログ語、長尺といったイメージがありますが、本作は、大分異なります。上映時間も165分であり、普通なら超長尺ですが、ディアス監督としては随分と短くなっています。しかし、ディアス監督らしさは、見事なまでに失われていません。航海の日々やセブ島での布教と死が、絵画的なフレームのなかで淡々と描かれます。モルッカ諸島を目指していたマゼランですが、なぜかセブ島での布教活動に入れ込みます。それが高圧的になりすぎたことで、謀殺されます。マゼランが発見したアジアへの西回り航路は欧州にとって極めて有益でした。しかし、マゼランがフィリピンにもたらしたものは何だったのか。ディアス監督は、冷静な目線でそこを見ているように思いました。

「黒い神と白い悪魔」 グラウベル・ローシャ監督 1964年ブラジル ☆☆☆+

ブラジル最高の映画監督とされるグラウベル・ローシャ監督が26歳で撮った作品です。低予算の荒削りな作品ですが、フランスのヌーヴェルヴァーグと連携していたという監督の作風がストレートに出ています。伝統的なドラマが構成されているわけではなく、映像による散文詩といった風情です。白黒の印象的なショットが監督の才能を感じさせます。舞台は1940年代ブラジルですが、60年代の不安定な政治状況が反映されています。作品がリリースされた1964年は、クーデターによって軍事政権が始まった年でもあります。ドラゴンを倒したことで知られる聖ジェルジオ(ゲオルギオス)は民衆の善政への期待を象徴し、山賊カンガセイロは革命を、そして暗殺者アントニオ・ダス・モルデスは反革命を表しているのでしょう。これらの要素は、監督がカンヌで監督賞を受賞した「アントニオ・ダス・モルデス」へと継承されます。

「人生は海のように」 ラウ・ケクフアット監督 2025年台湾 ☆☆☆

マレーシア版の「お葬式」といった風情の作品です。脚本家・新藤兼人の名言「誰でも一本は傑作を書ける。自分の周囲の世界を書くことだ」を思い出します。恐らく監督自身の経験がベースになっているのでしょう。台湾で働くマレーシア出身の華人が、父親の葬式のために帰郷した際の出来事が描かれています。福建省からマレーシアに移住してきた華人の4世代に渡る歴史がスケッチされます。多民族国家マレーシアでは、華人が24%を占めます。しかし、華人たちは、大層を占めるマレー人に抑圧され、肩を寄せ合って生き抜いてきたのでしょう。世代とともに、状況にも意識にも変化が生じるわけですが、依然、家族の団結は強いものがあります。それは世界中の華人に共通しているとも言えます。マレーシアの華人家族を台湾風の温かいタッチで描くという一風変った趣きを持つ映画です。

「マスターマインド」 ケリー・ライカート監督 2025年英国・米国  ☆☆☆☆+

本作は、米国インディペンデント映画界の第一人者でミニマリスト監督として知られるケリー・ライカートの新作です。結論から言えば、これほど端正な姿をした映画はなかなか見られないと思います。最良の映画文法が隅々にまで行き渡っています。文法の教科書のようでもあり、映画制作を志す人は必ず見るべきだと思います。もちろん、文法は表現のための手段であって、それだけで映画が成り立つわけではありません。本作がテーマとするのは、1960年代カウンター・カルチャーの甘さなのではないかと思います。ぬるま湯に浸かった中産階級の子弟の甘さからは、個人と集団の関係というライカートこだわりのテーマも見えてきます。あるいは、アメリカの豊かさの象徴でもあった中産階級、特にインテリ層の功罪を問うているとも言えます。ライカートは、それをあえて突き放すような冷静さをもって描いています。モダン・ジャズによる古典的な劇伴、美術館の心地よさ、アーサー・ダヴの絵画、舞台がお馴染みのオレゴンではなくニュー・イングランドであることも、すべてが見事に計算されています。

「飛行家」 ポンフェイ監督 2025年中国 ☆☆☆ー

笑いあり、涙あり、家族愛が詰まった大衆娯楽映画です。昭和の頃、松竹や東宝がお正月向けに制作していた映画に通じるものがあります。会場には、多くの中国人が詰めかけており、拍手喝采を送っていました。夢をあきらめなかった主人公は、現代中国における大衆の歴史にも重なっているのでしょう。我々には理解できないのですが、時代を感じさせるモティーフが多く登場していたものと思われます。恐らく、多くの中国人にとっては、共感と勇気を与える映画なのでしょう。中国共産党の覚えもめでたい映画だと想像します。

2025年11月7日金曜日

Tokyo Film 2025 (1)

第38回東京国際映画祭が開催されました。今年は、日程の一部が厳島神社の観月能と重なったものの、8日間で18本を見ることができました。毎年、チケットは争奪戦となるわけですが、今年は概ね順調に確保することができました。結果、これまでで最も多くの映画を見ることができました。1日2本を基本に、3本見る日が2日あったのですが、これが体力的限界だと思います。(写真出典:2025.tiff-jp.net)

「蜘蛛女のキス」 ビル・コンドン監督 2025年アメリカ ☆☆☆

1982年、アルゼンチンの軍事政権はフォークランド戦争で英国に敗れ、翌年には民政への移行が行われます。本作は、その前後を舞台とするミュージカル仕立てのファンタジーです。原作は、アルゼンチンの作家マヌエル・プイグ作の小説であり、映画化もされ、ミュージカルにもなっています。民衆を守る代わりに生け贄を要求する伝説の蜘蛛女とは、南米における民主主義の象徴なのでしょう。多重的に構成されたプロットが面白いと思いました。往年のハリウッド・ミュージカルばりの歌も踊りもセットも見事です。ジェニファー・ロペスの魅力も満開です。ディエゴ・ルナはキャシアン・アンド-にしか見えませんが、革命家の役としてはさすがの存在感を見せています。トナティウは見事な演技力を見せつけています。総じて高水準の映画だと思います。ただ、何をやりたかったのか判然としない映画だったとも思います。

「マタドール」 ペドロ・アルモドバル監督 1986年スペイン ☆☆☆+ 

当時、37歳だったアルモドバルが、その名を世界に轟かすきっかけとなった問題作です。アバンギャルドで、ロマンティックで、スリリングな映画です。いつもの自然主義的なアルモドバル映画ではありません。アルモドバルの青臭い意気込み.そして殺人と性欲というテーマが時代を感じさせる映画です。しかし、それらを超えて、アルモドバルの構想力の高さと映画文法のセンスの良さが光る映画でもあります。若き日のアントニオ・バンデラスはじめ、スペインの名優たちが魅力的な演技を見せています。今やネットでも見ることができない旧作を観れて良かったとは思うのですが、東京国際映画祭が、なぜ、この作品をワールド・フォーカス部門で取り上げたのか不思議でした。どうやら、今年のヴェネチア国際映画際でレストア版が上映され、話題を集めたからということのようです。

「ガールズ・オン・ワイヤー」 ヴィヴィアン・チュウ監督 2025年中国 ☆

ヴィヴィアン・チュウは、中国における女性の立場を描いて、高い評価を得ている監督だそうです。若くして米国へ渡り、美術史を学んだ後、映画製作を志して中国に戻り、第6世代を代表するディアオ・イーナンの作品等を製作しています。2013年には自ら監督業に進出します。本作は、彼女の長編3作目となります。端的に言えば、今年最悪の作品でした。テーマへの思い入れや掘り下げが不十分で、かつ最大の問題は基本的な映画文法が欠如していることです。それは、観客を無視していると言われてもやむを得ない問題です。第6~7世代の監督作品の模倣のようですが、レベルが違い過ぎます。中国における女性の立場を訴えたいというねらいは分かりますが、検閲逃れも含めて、もっと練り上げるべきです。高い評価を得たくて焦っているような印象を受けました。

「ポンペイのゴーレム」 アモス・ギタイ監督 2025年フランス ☆☆☆+

イスラエル出身の高名なドキュメンタリー作家である監督が、ポンペイのローマ遺跡で自ら演出した舞台を記録した映画です。ゴーレムとは、ユダヤ伝承の泥人形です。動けるのですが、意志はなく、守り神にも、厄災にもなり得ます。ロボットの原型のようなものなのでしょう。16世紀のプラハで、ゴーレムを作ってユダヤ人を迫害から守ったラビのユダ・レーヴの話がベースとなっています。前衛的な集団朗読劇でもあり、音楽劇でもあります。各々のアイデンティティを尊重し合えば、戦争は起きないはずだと訴えています。中東で続く戦争に対して、心で抵抗するのだという強い意志が伝わります。印象的なプロローグ映像に続き、舞台が映し出されますが、カメラは、ほぼ動きません。映像として評価すべきなのか、舞台として評価すべきなのか、悩ましいところではありますが、少なくとも強い印象を残す舞台ではありました。

2025年11月5日水曜日

空港名

初めて米子鬼太郎空港を使いました。数機のC-2輸送機が駐機しており驚きました。C-2輸送機は、航空自衛隊が2017年に運用を開始した国産輸送機です。その偉容にも驚きましたが、米子鬼太郎空港が共用空港であることにも驚きました。共用空港とは、自衛隊や米軍と民間が共用する空港であり、千歳、三沢、小松等、国内に8ヶ所あります。戦闘機のスクランブル発進時、民間機は待機させられるという特徴があります。境港市にあるこの空港の正式名称は美保空港であり、民間使用区域は愛称として米子鬼太郎空港を使っています。もちろん、境港市出身の水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に由来します。ちなみに、同じ県の鳥取空港は、鳥取市出身の青山剛昌の「名探偵コナン」にちなんで鳥取砂丘コナン空港という愛称を使っています。

空港は、交通施設なので、地名を名称とするのが本筋です。日本には、軍事基地を除き、126の空港があります。そのなかで、正式名称以外の通称・愛称を持つ空港は、なんと100ヶ所近くに登ります。例えば、東京国際空港は羽田空港、大阪国際空港は伊丹空港、中標津空港は根室中標津空港といった地名を分かりやすく伝えるケースもあります。また、中部国際空港はセントレア、神戸空港はマリンエアといったおしゃれ系もあります。しかし、他の多くは観光PRを主な目的とし、徳島阿波おどり空港、岩国錦帯橋空港といった名物・名所を織り込んだ愛称を持ちます。おいしい山形空港、おいしい庄内空港に至っては、目が点になります。大阪万博期間中の限定とはいえ、大分空港がハロー・キティ空港を名乗ったのにも驚きました。

この愛称ブームが、いつ、どこから始まったのかはよく分かりません。ただ、日本初の、そして日本で唯一の人名を冠した空港は高知龍馬空港であり、2003年から使っているようです。このあたりが空港の愛称ブームの始まりなのではないかと思われます。海外に目を転じると、人名のついた空港の多さに驚きます。ローマのフィウミチーノ空港のレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港などは愛称ですが、逆に通称ミュンヘン空港の正式名称は フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港です。NYのジョン・F・ケネディ空港やパリ=シャルル・ドゴール空港なども愛称ではなく正式名称です。空港名に限らず、海外では人名を公共施設、道路、あるいは軍用船などの名称とする傾向が明らかです。対して、日本では人名を使うことは希だと言えます。

前にも書きましたが、日本の軍用船に人名が使われないのは、明治天皇が沈没した際の悪影響を懸念したからとされます。以降、日本の伝統となっています。唯一の例外とされるのは旧防衛庁の砕氷艦「しらせ」です。日本にける南極探検の先駆者・白瀬中尉にちなむ名称ですが、一般公募で決められています。当時の防衛庁は、人名ではなく白瀬中尉の名を冠した南極の地名に基づくと苦しい答弁を行っています。しかし、明治天皇以前から、日本では人造物等の正式名称に人名を使わない傾向があります。恐らく神道の影響なのでしょう。日本では、万物に魂が宿るというアニミズムが、神道を通じて、いまだに息づいている面があります。例えば、それ自体が魂を宿すとされる軍船に、別な人格を有する人名を被せることはしない、ということなのでしょう。

米子鬼太郎空港で、名称以上に面白いと思ったのは、館内のアナウンスです。一部ですが、方言によるアナウンスが流れていました。もちろん、誰でも理解できる程度のマイルドな方言です。遠いところへ旅に来たという実感が湧いて、なかなか好感が持てました。他の地方空港でも取り入れたらいいのではないでしょうか。例えば、青森空港の定型的なアナウンスは、タレントの王林にさせればいいのではないかと思います。米子鬼太郎空港でも、どうせなら目玉おやじの声で「おい、鬼太郎、保安検査は早めに済ませるのじゃゾ」とアナウンスすれば、大いに盛り上がるのではないでしょうか。(写真出典:tottorizumu.com)

2025年11月3日月曜日

有職故実

かさねの色目
平安期の貴族社会では、十二単などの重ね着が正装でした。色と素材の組合せで絶妙なグラデーションを生み出します。色の組合せは個人の自由ではなく、「襲(かさね)の色目」と呼ばれる一定の決まりに基づいていました。そこまで定型化されていたとは知らず、実に驚きました。話は変わりますが、若い頃、会社で行われる役員・管理職の賀詞交換会の準備を手伝っていました。金屏風、生花、酒、つまみにする三種の縁起物など、伝統の品々を準備したものです。いずれも、有職故実(ゆうそくこじつ)の一例と言えます。辞書によれば有職故実とは「朝廷や公家の礼式・官職・法令・年中行事・軍陣などの先例・典故。また、それらを研究する学問。平安中期以後、公家や武家の間で重んじられた」とされます。有職は有識者を、故実とは過去の実例を指すと聞きます。

公家故実は、平安中期から体系化が始まり、それを家職とする家も登場し、小野宮流、九条流といった流派も生まれます。武家故実は、鎌倉期に盛んとなり、室町期には小笠原流、伊勢流等が生まれています。いずれも儀礼流派として今に伝えられています。しきたりはうっとうしい面もありますが、有職故実が共有されることで、組織の維持や強化、円滑な運営が可能となります。それは海外でも同じであり、外交にはプロトコールが存在します。組織があるところには有職故実あり、と言ってもいいのでしょう。しかしながら、日本は、とりわけ有職故実好きなのではないかと思います。諸儀式・行事に留まらず、武道、あるいは茶道、能楽、舞踊、和歌・俳句といった芸道、果ては企業風土に至るまで、文化の全てが有職故実の塊のようなところがあります。

日本の文化は、型にはめて安心する、型にはめて究める、といった傾向が強いように思えます。欧米の個人主義に対して日本の組織主義という見立てもあるのでしょう。西洋で異端と言えば正当の反対語です。日本では主に集団からはみ出したものを指す傾向があります。組織主義を身上とする日本文化と有職故実は密接不可分な関係にあるように思います。組織主義は、自然災害の多い日本が育んできた文化と言えます。また、為政者が変わっても天皇を中心とするヒエラルキーが温存されてきた歴史とも関わっているのでしょう。さらに、仏教の影響が大きいとしても基本的には多神教であったことも影響しているのかもしれません。万物に神性を見い出す多神教が、上部構造だけでなく民の生活の隅々にまで有職故実を浸透させている面もあるのでしょう。

江戸期の安寧と幕府による管理社会は、学問としての有職故実を進展させています。江戸幕府も、管理手法として有職故実を活用した面があります。もちろん、形骸化やそれに伴う弊害もあったものと思われます。赤穂浪士による討ち入りの発端となった江戸城松の廊下での刃傷沙汰も、ある意味、行き過ぎた有職故実がゆえに生じた事件と言えます。また、農村部における行き過ぎた組織主義の結果としての村八分なども、有職故実が関連している面もあります。明治期になると、盛んに江戸幕府の旧弊打破が叫ばれますが、本質的には武家政権である明治政府のもと、組織主義もヒエラルキーも温存され、有職故実も様々な分野で生き続けます。その後、敗戦による民主化に伴い、少なくとも上部構造における有職故実はほぼ消失することになります。

組織主義の象徴である日本の有職故実は、日本の美を形成してきたとも言えます。端的に言えば、武道、芸道等における様式美、ないしは形式美ということになります。様式美は、マンネリズムにつながる面もあります。マニエリスムやマンネリズムの語源は、イタリア語で様式や手法を表すマニエラだとされます。しかし、日本の様式美は、無理や無駄のない様式や所作によって、より高い精神性の獲得を目指す点が特徴だと言えます。武道・芸道の”道”が意味するところです。能楽や茶道などが分かりやすい例であり、武道においても、心技体の鍛錬を通じて、より高い人格形成を目指すことが重視されます。つまり、日本の美は、様式のなかに高い精神性を求めるという傾向があるのだと思います。それは、ある意味、禅に通じるところもあります。有職故実は、漂流する日本社会において、見直されるべきものの一つだと思えます。(写真出典:gov-online.go.jp)

ヤシの木にプール