2025年9月14日日曜日

柚子胡椒

東陽町で働いていた頃、門前仲町の小料理屋「ふく田」が気に入り、毎月、通っていました。大人気店なので、行った際には、翌月の空いている日を聞いて、予約します。一緒に行く仲間は、予約してから探していました。 こっちの都合ではなく、店の空きに合わせて通っていたわけです。ふく田で飲む際、シメには、必ず”柚子胡椒のおにぎり”を食べていました。自家製の青々とした柚子胡椒をおにぎり全体にまぶしたものです。作りたてと思われる柚子胡椒は、さほど辛いわけではなく、実に爽やかなおにぎりでした。他の店でお目にかかったことはありません。ちょうどいい塩梅の自家製柚子胡椒を準備するのが手間だからなのでしょう。

柚子胡椒の胡椒は、九州北部の方言で唐辛子を指します。青唐辛子と熟す前の青い柚子の皮をみじん切りにして、塩を加えて熟成させたものが柚子胡椒です。塩を多く加えると、保存がきき、青い色も保てますが、柚子の風味が飛びます。塩が少なければ、青色の鮮やかさは失われます。この加減が難しいわけです。ふく田の柚子胡椒は、塩気が少なく、かつ青いという熟成が進む前の新鮮な状態なのだと思います。保存がきかないので商品化は難しいのだと思いますが、ふく田では、頼むと譲ってくれます。宮崎の小料理屋で、もも焼きに添えられた柚子胡椒が美味しいと騒ぐと、帰りしなに、一瓶、お土産にくれました。ふく田と同様、作りたての新鮮な柚子胡椒でした。サルサ・ソース等も同じですが、辛味調味料は、フレッシュなものが美味しいと思います。

九州では、どこにでも柚子胡椒がありますが、その発祥は定かではないようです。農水省の「うちの郷土料理」では福岡県の名物とされています。県の東部、大分県の中津との境にある英彦山(ひこさん)周辺が発祥という説が有力なようです。英彦山は、大峰山、羽黒山と並んで日本三大修験山の一つとされます。古くから多くの山伏が集まり修行する山でした。その山伏たちが、青唐辛子と青柚子を使って、保存のきく調味料を考案したというわけです。戦国時代、英彦山は、数千人の僧兵を抱える一大勢力だった時期もありました。しかし、16世紀末、大友宗麟の跡継ぎである義統との戦いに敗れ、勢力を失ったようです。ちなみに、ポルトガルが持ち込んだ唐辛子を最初に食べたのが、キリシタン大名だった大友宗麟だったとする説もあります。

柚子胡椒は、ほぼほぼ全ての料理に合うという奇跡の万能調味料です。煮物、焼き物、蒸し物、汁物といった和風はもとより、洋風、中華にも合います。風味が強いので、味変にはもってこいの調味料でもあります。私は、豆腐の味噌汁によく使いますが、ほんの少し入れるだけで、味は大いに変わります。2008年、柳川の高橋商店が「ゆずすこ」を発売します。瓶のラベルに記載された”YUZUSCO”の方がなじみ深いと思います。柚子胡椒に酢を加えて液体状にしたものです。柚子胡椒の風味はそのままに、液体になったことで使いやすく、酢を加えたことで合う料理の幅が一層広がりました。タバスコのダジャレだと思っていましたが、”ゆず”と”す”と”こしょう”を組み合わせた命名だったようです。ゆずすこは、柚子胡椒の利用拡大に大いに貢献したと思います。

九州北部で、なぜ唐辛子を胡椒と呼ぶのかは、興味深いところです。もともと日本には、カラシと胡椒という二つの辛味調味料がありました。カラシは、自生するカラシナを使って、古来から調味料として利用されていたようです。インド原産の胡椒は、奈良時代、唐からもたらされ、中国の言葉がそのまま定着します。一方、南米原産の唐辛子は、16世紀、ポルトガルが日本に伝えました。既に定着していた二つの辛味調味料にちなんで、唐辛子とも、南蛮胡椒とも呼ばれたようです。なお、唐辛子の唐とは、中国ではなく、外国という意味です。その後、南蛮胡椒という呼び名は簡略化されていきます。全国的にはナンバン、九州北部ではコショウと呼ばれるようになり、今に残ったというわけです。ちなみに、九州北部で、一般的な胡椒は、唐辛子と区別するために洋胡椒と呼ばれると聞きます。ややこしい話です。(写真出典:delishkitchen.tv)

南都焼討