監督: ウィリアム・ユーバンク 2024年アメリカ
☆☆+
キレの良い映像、リアルな音響、テンポの良い展開が、ところどころに見られましたが、総体としては凡庸な作品だと思います。ラッセル・クロウも、こんな映画に出ているようでは心配になります。良かったのは、今現在のアメリカ軍の戦闘の有り様がよく分かった点です。自衛隊では統合末端攻撃統制官と呼ばれるJTAC(Joint terminal attack controller)が主人公という映画は初めてなのではないかと思います。JTACは空軍の所属ですが、陸軍や海兵隊の前線部隊と行動をともにし、ドローン等の遠隔操作を行うネヴァダ州のネリス空軍基地と緊密に連携しながら、近接航空支援を運用します。JTACは、航空支援の実行を最終判断する権限を与えられています。映画の前半は、今どきの映画らしくTVゲームのような展開を見せます。このあたりはテンポも良く、いかにJTACが機能するかもよく伝わります。後半は、ローテクなサバイバル・ゲームが展開します。監督の腕の良さを感じさせる卒のない展開ではありますが、とりわけ印象的というほどでもありません。このようなシーンでは、サバイバルが展開する空間の魅力も大きな要素となります。本作の設定は、ややこじんまりとした印象を受け、映画の凡庸さの要因にもなっていると思います。いずれにしても、この古典的とも言えるサバイバル・シーンによって、ハイテク化した戦闘への疑問を提示したかったのでしょう。”やはり、戦争は、根性と仲間への思いだぜ”と言ってるようではありますが、その対比が不十分で伝わりにくくなっています。
映画は、フィリピン山中とネリス空軍基地のシーンを切替えながら進みます。ここでも、緊張感あふれる戦闘現場とだらけ気味で官僚的な空軍基地を対比させることで、ハイテク戦争への疑問を呈しているのでしょう。しかしながら、これがねらい通りに演出できていないばかりか、映画のテンポや緊張感を壊す結果を招いています。最大の問題点は、空軍基地でのシーンにメリハリがないことです。だらけ気味の基地とは言え、映画のテンションを失わずに描く必要があります。脚本にも、演出にも、テーマへのフォーカスが足りていません。監督としては、ラッセル・クロウの演技で、その点をカバーするつもりだったのではないかと思います。ただ、演技とシーンの構成がマッチせず、そのねらいは見事に失敗しています。
JTACのメリットは、ピンポイントにまで絞り込まれた攻撃目標の座標と攻撃のタイミングだと思います。現場のJTACによるリアルタイムな報告で、基地は正確で効果的な航空支援が可能になります。その前提になっているのは、衛星を通じた通信、そして監視衛星からのクリアな画像ということになります。軍事用ドローンのオペレーターが、現場から遠く離れているにも関わらず、PTSDを発症するという話を聞きますが、このクリアなライブ映像がゆえとも言えるのでしょう。今般、中国が、対日戦争勝利80周年の軍事パレードで、戦車やロボット犬といった各種ドローンを披露していました。軍事面でのハイテク化がさらに進むと、戦闘現場に兵士は不要になるとも言われます。しかし、攻撃を判断するのは人間であり、攻撃されるのは人間とその営みです。
ハイテク化が、攻撃判断のハードルを下げ、人的被害が拡大することが懸念されています。攻撃判断もAI化されていくのかもしれません。人的被害は、さらに拡大するようにも思われます。いずれにしても、本作は、JTACを主人公に据えるという発想までは良かったのですが、凡庸な結果に終わってしまっています。その最大の理由は、軍事のハイテク化に対する思想的深掘りに欠けていたからなのでしょう。ただのアクション映画をねらうのであれば、中途半端なハイテク批判など織り込まずに、徹底的にテンポの速い戦闘シーンをたたみかけるべきだったとも思います。監督のウィリアム・ユーバンクは、パナヴィジョンの技術者出身という風変わりな経歴を持っています。キレのある映像もうなずけます。一方で、ドラマの構成力はイマイチと言わざるを得ないように思います。(写真出典:eiga.com)