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| 千本釈迦堂おかめ像 |
千本釈迦堂には、2点の国宝と7点の重要文化財があります。国宝2点は、本堂(釈迦堂)、そして肥後定慶作とされる六観音菩薩像となります。重要文化財のなかには、かつて、北野天満宮内にあった北野経王堂が所蔵していた行快の仏像や一切経も含まれます。ご本尊である行快作の釈迦如来坐像は秘仏とされますが、毎年、ご開帳されているようです。国宝の本堂は、1227年の建立ですが、以来、一度も消失しておらず、洛中では最古の現存建造物とされます。戦渦や火災に見舞われることが少なくない寺院にあっては、奇跡とも言えます。京都中が廃墟となった応仁の乱の際にも、千本釈迦堂は、細川勝元の東軍、 山名宗全の西軍、いずれからも崇敬され、火災を免れたと言います。その本堂建立については、有名な”おかめさん”の伝承が残されています。
大工の棟梁が貴重な柱を誤って切ってしまいます。絶望する棟梁の姿を見た妻のおかめさんが、斗組を使いなさいと助言します。おかめさんは、そのアイデアを仏から授かったとされます。斗組とは、柱の上部で上からの重みを支えるために組み合わせた部材です。斗組を使った棟梁は、無事に上棟式を迎えることができました。しかし、女の入知恵で面目を立てたとあっては棟梁の沽券に関わると悔んだおかめさんは、上棟式を前に自害してしまいます。棟梁は、おかめさんを供養するために”おかめ塚”を建て、上部におたふくの面を飾った扇御幣を奉納したといいいます。その後、千本釈迦堂が一度も焼失しなかったことから、おかめさんが守ってくれているという評判がたちます。今でも京都の上棟式にはおかめさんの扇御幣は欠かせない縁起物になっているようです。
おかめ、おたふく、おふく等と呼ばれる仮面は、古くから日本の神楽や芸能で親しまれてきました。その起源とされるのは、日本神話のなかで、滑稽な踊りを披露し、天照大御神を岩戸からおびき出したという天鈿女命(アメノウズメ)です。ふくよかなおたふく顔は、平安期まで美人の典型だったとされます。神事・芸能で使われる福面は、室町期あたりから登場したようです。丸顔、低い鼻、大きな頬は、福をもたらし、邪悪なものを遠ざける縁起物として人気を博します。一方、室町末期あたりからは、滑稽さもある醜女の象徴になっていきます。公家文化から武家文化が支配的になるなかで、美人観も変わったのかもしれません。武家の娘は、武芸の鍛錬もしたようですから、キリッとした顔立ちが好まれるようになったということなのかもしれません。
おたふくの面と対になることが多い”ひょっとこ”の面も、同じ頃に登場したようです。火を吹く男が転じてひょっとこになったとされます。この組合せは夫婦和合の象徴ともされますが、滑稽な踊りで人々を笑わせてきました。いずれにしても、千本釈迦堂のおかめさんの話は、おたふくの面が一般化するかなり前の話ということになります。よって、おかめさんは、おたふくのモデルともルーツとも言われます。庶民文化のことゆえ、その関係ははっきりしていません。近年、コンプライアンスの観点から、女性の容姿に関わる発言も御法度に近いものがあります。おたふくは、差別用語とも禁止用語ともされていないようです。ただ、招福、魔除けに御利益があるおたふくとは言え、醜女の象徴という面も持っていることから、ルッキズムの観点からすれば、比喩的に使うことはアウトなのでしょう。(写真出典:tripadvisor.jp)
