パリは、ナポレオン3世による第二帝政下にありました。バルセロナには、中央政府と対立するほど自主性の高いカタロニア自治政府が存在していました。また、両市は、産業革命と人口増によって潤沢な税収を誇っていたはずです。さらに、パリの場合、改造を主導したセーヌ県知事のジョルジュ・オスマンは、新たな土地収用法を導入します。”超過収用”です。街路の用地だけでなく、両側の開発用地も強制的に収用する手法です。一定の対価を払って土地を収用した後、道を整備し、高さとデザインに統一性を持たせた建物を建設し、そのうえで民間不動産業者に売却します。そこで得られた超過収益は、公共施設の建設などの費用に充てられました。明治期、日本でもこの超過収用が導入されましたが、制約が多く、うまくいかなかったようです。
パリとバルセロナには、街が放射状か格子状かという違いがあります。土地活用面では、バルセロナの格子状が効率的だと思います。ただ、中心部へのアクセスの良さでは、パリの放射状が圧倒的に優れています。背景には、労働者の街として急成長したバルセロナ、そして政治的中心地としてのパリという性格の違いがあります。放射状都市には、モニュメントが街の方々からよく見えるというメリットもあります。パリの街の美しさを生んでいる一因です。一方、敵の侵入を許しやすいというデメリットもあります。また、議論があるのは、中心部のロータリー交差点です。信号渋滞が起きないことはメリットですが、交通量が増えると、使いにくさや事故の多発という問題も生じます。ただ、近年、渋滞解消の面から、ロータリー交差点が再評価されているようです。
光と影があって、はじめて都市は成立するものだと思っています。都市の影の部分とは、市井の人々の生活を支え、いかがわしさも含めて庶民文化を育む雑多な街区のことです。大きな街には、霞ヶ関や丸の内だけでなく、新宿や渋谷などが必要だということです。そこから都市のダイナミズムが生まれると言っても過言ではありません。もちろん、都市計画の図面上に、街の影の部分が設計されることはありません。それは、パリ大改造でもあっても同じです。ところが、パリの場合、庶民が創り上げた街角のカフェ文化やマルシェがそれを代替し、他の街以上に、豊かな庶民文化を生み出してきました。パリのカフェは、文化都市パリを成立させている奇跡とも言えます。つまり、パリの街は、ジョルジュ・オスマンと庶民が創り上げた街だとも言えるのでしょう。
近年、温暖化や偏西風蛇行の影響から、夏の欧州は災害級の熱波に襲われています。山火事も多く発生しますが、都市部では死者も多く出ています。パリも、この夏、40度越えを記録し、少なからずの死者を出しました。欧州は乾燥しているので、日中の気温が高くても、室内や木陰では、あるいは日が落ちると爽やかに過ごすことができます。個人宅はもとより、ホテルですら、エアコンは必要ありません。しかし、気温40度のパリでは、鉛の屋根が熱せられて、エアコンなしの室内は地獄のような状態になるはずです。また、エアコンの普及率が低い理由としては、温暖化対策としての法規制もあり、パリの景観を守るために室外機の設置が制限されているためでもあります。パリ大改造は、パリを世界一美しい街にしましたが、今は、それが禍している面もあるわけです。(写真出典:blablablablog.com)
