1803年に開校された会津藩の藩校”日新館”には、日本最古のプールともいわれる”水練水馬池”があります。かつて、日新館は若松城の隣にあったようですが、現在は、郊外に観光・研修施設として復元されています。江戸期、会津藩士の子弟は、10歳になると日新館への入校が義務づけられていました。武術だけでなく、儒学や礼法まで、文武両道を学びます。天文台まで備えるその施設の規模は、日本有数だったようです。薩摩藩と並ぶ雄藩として知られた会津らしい話です。水練は、武術の一環として訓練されます。戦いは様々な地形や状況で行われ、甲冑を着けたままの渡河もあり、城攻めでは掘を超える必要もあります。そういう意味では、水練は極めて実践的な訓練だったわけです。同時に、水練は身体を鍛えるという意味もあったようです。
鎌倉期までの甲冑の重さは約20kg、戦国時代以降は軽量化されますが、それでも10~15kgはあったようです。ただ、重さは体中に分散され、かつ体に密着しているので、鍛錬した体であれば、そこまでの重さは感じないとも聞きます。とは言え、水中となれば、その重さは何倍にもなるはずです。そのうえ、単に泳ぐだけではなく、刀や弓を使う、武具や旗を運ぶ、あるいは兜を着脱するといったことまで行うわけです。これは、現代の水泳とはまったく別次元の技術ということになります。まさに武術なのでしょう。また、水馬は、馬とともに渡河する技で、日頃から訓練されていたようです。馬は泳げますが、それなりの制御技術は必要だったわけです。江戸期、隅田川では、将軍臨席のもと、各藩がその技を競う行事も行われていたようです。
古式泳法の特徴は、おおむね頭を水面に出していることだと思います。あたりを窺いながら進む、敵の動きから目をそらさない、あるいは武器や旗を水に濡らさないためだったのでしょう。ただ、考えてみれば、人間は、太古の昔から、世界中で泳いでいたはずです。その多くは犬など動物の泳ぎ方を真似たものだったと想像できます。つまり、常に頭を水面の上に出しておくことは、古式泳法に限らず、人間が何万年もやってきた泳ぎ方の基本だったのでしょう。19世紀に水泳が競技化されると、近代的な泳法が生まれます。クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライが競技泳法として確立されたのは1952年のことでした。実用性、必要性を捨て、ひたすら早く泳ぐ遊びのために、人間は、はじめて頭を水面下につけて泳ぐようになったというわけです。
水泳競技が行われるようになった当時、泳法は平泳ぎと横泳ぎしかなかったようです。横泳ぎは、後に、抜き手、バタ足が取り入れられ、現在のクロールへと進化していきます。古式泳法にも、ほぼ横泳ぎと同じ泳法があります。のし泳ぎです。流派によって呼称は変わるようですが、基本的には同じ泳法です。足をハサミのように使う、いわゆるシザーキックは、横泳ぎと同じですが、手の使い方にはバリエーションがあります。遠泳の際には、腕も疲れますし、飽きてもきます。そういった際、古式泳法の様々なヴァリエーションを繰り出していくと、比較的楽に泳げます。何も早いばかりが水泳ではありません。実用的な古式泳法は、災害時にも役立つと思います。競技選手の発掘、育成はスイミング・スクールにまかせ、学校では古式泳法を中心に教えた方がいいのではないかと思います。(写真出典:gov-online.go.jp)
