2026年1月9日金曜日

雲龍

叡嶽双龍
上野の東叡山寛永寺は、2025年、創建400周年を迎えました。記念事業として、根本中堂に手塚雄二画伯による天井画「叡嶽双龍」が奉納され、一般公開されました。寛永寺は、徳川将軍家の菩提寺、江戸城の鬼門封じとして、徳川家光開基、南光坊天海開山によって1625年に創建されています。東叡山とは東の比叡山を意味する天台宗関東総本山です。徳川家の元々の菩提寺は芝の増上寺でしたが、家光以降、両寺が菩提寺となりました。3代目以降の貫首は、法親王、つまり皇族出身者が務め、比叡山座主、日光山主も兼ねました。貫首は、輪王寺宮、三山管領宮とも呼ばれ、徳川御三家と並ぶ格式を持ちました。

江戸期の境内は、現在の上野公園のほぼ全てという広大なものでした。しかし、戊辰戦争で焼失し、明治政府によって廃寺に近い状態にまで縮小されています。現在の根本中堂は、1879年、かつて天海が住職を務めた川越喜多院から本地堂を移築したものです。叡嶽双龍は、築300年以上という天井板に直接描かれています。一旦、天井板を外し、アトリエで作画するという手間のかかる方法がとられたようです。双龍とは、阿龍と吽龍を指します。口を開けた阿龍の手には、ご本尊を表す梵字が、鮮やかなラピスラズリで描かれています。口を閉じた吽龍の手には衆生の願いを叶える如意宝珠が握られています。阿龍は、ご本尊に近い正面に描かれていますが、雲龍の伝統に従い、どこから見ても龍と目が合う八方にらみの技法が用いられています。

天井に雲龍図が描かれているのは、主に禅寺の法堂です。法堂は、老師が弟子たちに仏法を説く場所であり、他宗派では講堂と呼ばれます。法堂の雲龍図は、仏法を守護し、仏法の教えの雨を降らせるとともに、寺院を火災から守るという意味も込められていると聞きます。実に恐ろしげな龍の姿は、修行の厳しさを伝えるとともに、手を抜くなよと脅しているようにも思えます。仏教と雲龍の関係は古く、釈迦の誕生に際し、龍がその身に甘露の雨を降らせたという伝承が、法華経など多くの経典に記載されているようです。雲龍図そのものは、中国が発祥とされています。古来、中国では、龍は皇帝の象徴とされてきました。よって、皇帝の許可なく雲龍図が描かれることはないと思います。それが禅寺に許された経緯に関してはよく分かりません。

禅宗は、南インド出身の達磨大師を祖として、唐代中国で発展したとされます。日本には、平安中期に伝わったものの注目されず、鎌倉時代に入って、南宋へ留学した栄西、次いで道元が、それぞれ臨済宗、曹洞宗をもたらし、禅宗を広めています。恐らく、その頃に法堂の雲龍図も伝わったはずです。現存する法堂の雲龍図のなかで最も古いとされるが妙心寺のものです。南北朝時代に開山した妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山であり、雲龍図は狩野探幽の作です。雲龍の迫力は随一と思います。日本最古とされる法堂は臨済宗相国寺派の総本山である相国寺にあります。法堂の天井の蟠龍図は、江戸初期、狩野光信によって描かれています。最大の特徴は”鳴き龍”です。特定の場所で手を叩くと、独特な反響音が響くことから、鳴き龍と呼ばれます。

最も壮麗な雲龍は、加山又造による天龍寺のものではないかと思います。八方にらみが利いています。雲龍図の魅力は、天から降りてくるかのような龍の姿ですが、八方にらみも大きな要素だと思います。錯視の一種なのでしょうが、その技法は説明を受けてもピンと来ません。実に不思議なものです。我が家に五代前の先祖を描いた掛軸があり、やはり八方にらみになっています。子供のころ、お盆にはこの掛軸が床の間に掛けられていました。八方にらみが気になって、あらゆる角度から試してみたのですが、ご先祖さまの目線は常に私を追いかけてきます。するとご先祖さまの肖像が、まるで生きているかのように感じられてくるのです。八方にらみには、そうしたリアルさを増す効果もあるのではないでしょうか。(写真出典:kaneiji.jp)

日本国王良懐