2026年6月7日日曜日

四股名

天空海
相撲は、垂仁天皇の命によって、野見宿禰と当麻蹴速が戦ったのが始まりとされます。紀元前23年のことと推定されます。興行としての大相撲は、江戸期の勧進相撲に始まるとされます。ここで力士の興行上の名前である四股名も生まれます。四股名は、姓と名が一対となっています。つまり、雷電だけが四股名ではなく、雷電為右衛門が四股名ということになります。それは今も変わっていません。、通常は姓の部分だけで呼ばれますが、相撲協会の正式なプロフィールや表彰状等にはフルネームが記載されます。四股名に関しては、同じ四股名は登録できないといった協会のルールがあるだけで、かなり自由に決められています。ただ、通例として、雷電など偉大な力士の名、高砂といった年寄名跡、あるいは不祥事を起こした力士名などは、止め名とされています。

かつての四股名には、山や川が多く使われていたように思います。近年は、かなりバリエーションが増えたように思います。エストニア出身の大関・把瑠都が典型ですが、外国籍の力士が増えたことも一因かも知れません。しかし、多くは、世間のキラキラ・ネームの流行に影響されたのではないかと思います。一番印象的だったのは天空海(あくあ)の登場です。同じ頃、宇瑠虎(うるとら)、爆羅騎(ばらき)、光源氏もいました。とりわけ天空海は、柔道経験を活かした豪快な相撲で幕内まで昇進したので、よく知られるところになりました。天空海という四股名は、出身地の茨城県大洗にある大型水族館アクアワールドにちなんだと聞きます。もともとの四股名は豊乃浪でしたが、成績に波があるので、波の字を取るということで2014年に改名しています。

もっとも、明治時代にもかなり変わった四股名があったようです。自動車、自転車、文明(名は開化)、ロシアの陸軍中将の名前にちなんだというステッセルという力士までいたようです。大相撲は興行であり、人気商売でもありますから、四股名で注目を集める作戦も理解できます。しかし、相撲ファンとしては、大概にしておけよ、と言いたくなります。伝統を守るという観点もありますが、厳しい稽古を重ねて土俵に命を懸ける力士たち、そしてそれを応援するファンにも失礼だろうと思うわけです。通常、四股名は、部屋の親方と本人が相談して決めるようです。その際、部屋の伝統や統一感を重んじて、同じ漢字を四股名に入れることが一般的です。出羽海部屋の「出羽」、佐渡ケ嶽部屋の「琴」、九重部屋の「千代」等々、数多くあります。

今年の初場所では、伊勢ヶ濱部屋の力士9人が一斉に「富士」を使った四股名に改名し、話題を呼びました。先代の伊勢ヶ濱親方は横綱・旭富士、当代の親方は横綱・照ノ富士であり、部屋伝統の四股名です。改名した9人のうち8人は、旧宮城野部屋出身の力士たちです。2024年、暴行事件に端を発し、宮城野親方(横綱・白鵬)も弟子たちも伊勢ヶ濱部屋への預かりとなりました。その後、白鵬も角界を離れ、部屋を再興する可能性が無くなったこと、伊勢ヶ濱親方が代替わりしたこともあり、今般、結束を固めるために部屋伝統の四股名への改名となったようです。ただ、炎鵬だけは改名せず、白鵬由来の四股名のままとなっています。炎鵬は、大人気力士としての四股名を残し、関取、幕内復帰を目指すという決意をもって伊勢ヶ濱親方に懇願し、許されたと聞きます。

一度に富士が増えると、慣れないせいか、違和感を感じました。ただ、白鵬が弟子に付けた四股名に比べれば、まだマシだと思います。白鵬が命名した四股名のよろしくない例の一番が天照鵬です。三重県伊勢市の出身の力士であることから、天照大神と白鵬を組み合わせたのでしょう。日本人の親方なら絶対に付けない四股名です。日本の皇祖神を四股名に取り入れるなどもってのほかと思いますし、皇祖神を自らの四股名と並べるなど不遜の塊だと思います、力士本人、後援会、一門の親方たちが、なぜ反対しなかったのか不思議です。反対があっても押し切ったとすれば、それも白鵬らしいと思います。天照鵬は、今回、三重ノ富士に改名しています。ちなみに各地に〇〇富士と呼ばれる郷土富士は400以上存在するようです。伊勢ヶ濱部屋は、しばらく四股名に苦労することは無さそうです。(写真出典:mainichi.jp)

四股名