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| マチェドニア |
マケドニアのあるバルカン半島は、ドナウ川、アドリア海、イオニア海、エーゲ海、そして黒海に囲まれています。ヨーロッパとアジアの交差点に位置することから、古代から文明・文化が発展するとともに、民族間の争いが絶えない地域でもあります。バルカン半島は、日本人にとって非常に分かりにくい地域だと言えます。ギリシャとブルガリアで約半分を占めていますが、歴史的に多くの民族や多くの国が複雑に入り乱れ、現在でもおおよそ12の国が存在しています。まさに色とりどりなマチェドニアそのものです。そのなかにあって、マケドニア地方、あるいは国家としての北マケドニアは、ごく一部に過ぎません。マチェドニアは、バルカンと呼ぶべきなのかも知れませんが、その名称は、かつてバルカン半島を征した古代マケドニア王国に由来しています。
マケドニア王国は、紀元前9世紀頃、バルカン半島中部にギリシャ人が建国しています。言葉や神は同じでも、都市国家を形成した古代ギリシャとは大いに異なる社会・文化を持っており、マケドニアは異民族として扱われていたようです。紀元前4世紀になると、テーバイで人質として過ごした経験を持つピリッポス2世が王になります。彼は、政治や軍政を改革し、中央集権化をはかります。そして、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破り、スパルタを除く全ギリシャをコリントス同盟として統一します。中央集権化されたマケドニアと都市国家の寄せ集めでは勝負になりません。ギリシャの都市国家は、西洋文明の源と言われるほど、多くの文化を生んでいます。文明を起こすほどに賢い人々は、なぜ都市国家の限界に気付かなかったのでしょうか。
古代ギリシャの高度な文明と都市国家間の争いは、あくまでも小さなコップのなかで完結しており、高度な文明はエリート意識や差別主義を助長し、彼らの視野を狭めていたのでしょう。その背景にあるのは奴隷に依存した生産体制だったと言えます。奴隷制が、文明を高度化させるとともに、成長の限界も作っていたわけです。農耕が生み出した社会が中央集権化されることは必然とも言えます。古代ギリシャが生み出した直接民主制は、理想的ではありますが、歴史に逆行していたということになります。マケドニアのピリッポス2世は、ギリシャ文明の果実を巧みに用いて中央集権化を実現した人なのでしょう。ギリシャの都市国家がマケドニアに敗れ、最終的には古代ローマに滅ぼされたことは歴史的必然だったとも言えそうです。
コリントス同盟は、アケメネス朝ペルシャへの遠征を決議し、マケドニアに軍を集結させます。その最中、ピリッポス2世は暗殺されます。その意志を継いだのが息子であるアレキサンダー3世、つまりアレキサンダー大王ということになります。革新的な父やアリストテレスという教師のもとで育ったアレキサンダーが世界征服を成し得たのは、その傑出した才能がゆえだけではなく、農耕が生み出した歴史的必然がスパークしたからだったとも言えます。アレキサンダーが、蜂に刺されて死んだのが32歳の時でした。以降、後継者争いが激化して、マケドニアは分断されます。ローマの属州となり、以降もビザンツ帝国やオスマン・トルコの支配の下にあったことから、マケドニアは実に多様な民族が暮らす場所となります。まさにマチェドニアのようになったわけです。(写真出典:sbfoods.co.jp)
