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| 飛鳥水落遺跡 |
皇帝が空間を支配するとは領土の支配を意味するのでしょうが、時間の支配に関してはピンとこない面もあります。通常、時間の支配とは、暦、元号の制定、あるいは歴史書の作成を意味するようです。アジアの歴史に最も大きな影響を与えた人物は、秦の始皇帝だと思われます。中国史上初めて天下統一を果たしたわけですが、単に敵対国を次々と征したばかりではありません。あの広大な国で初めて中央集権国家を築いたことこそ大偉業なのだと思います。初めて皇帝という名称を使い、法治国家化、官僚体制の構築、封建制から郡県制への移行、交通網の整備、万里の長城の建築、そして漢字、貨幣、度量衡の統一等を一気に進めました。そして、顓頊暦(せんぎょくれき)と呼ばれる暦法の統一も行っています。すべての改革が中央集権を目指していたわけです。
暦は、狩猟・漁労に適した太陰暦に始まり、農耕の開始とともに太陽暦が主流となります。暦は、地域によって微妙に異なっていました。閏年の調整などにも違いがあったようです。それを統一することは、農民と農業の管理はもとより、祭祀や行政の管理・運営上も極めて重要であったと言えます。さらに時刻の管理は、人を組織的に動かすうえでは欠かすことのできない要素となります。当時の時刻は、水時計や日時計に基づき認識されていました。日時計も、水時計も、古代エジプトで誕生し、各地へ伝播していったとされます。中国へは、紀元前2000年頃、オリエント経由で伝わったという説があります。いずれにしても、始皇帝の時代には存在していたわけで、始皇帝による時の支配の基本アイテムの一つとなっていたはずです。
物理学における時間は、極めて難解な代物だと言えます。いまだに理解しきれません。しかし、人間が編み出した時間という概念ならば容易に理解できます。人間が一人で生きていくならば時刻にさほどの意味はないのでしょうが、農耕とともに人間が組織化、社会化されると不可欠なものになっていきます。人の行動を組織化するためには重要な要素であり、時が人を動かすとも言えます。つまり、時の支配とは人の支配そのものなのでしょう。中国の中央集権体制を知った中大兄皇子は、その統治方法に強く惹かれたはずです。ゆえに乙巳の変で蘇我氏を排除し、大化の改新を通じて、律令国家を目指したわけです。時刻の管理も重要な課題であり、漏刻設備の建造につながったのでしょう。ちなみに、漏刻が告げる時は、太鼓をもって民に伝えられていたようです。
仏教では、三世、つまり過去・現在・未来という区分、あるいは刹那と呼ばれる極々短い時間や劫(こう)と呼ばれるとてつもなく長い時間がよく知られています。しかし、仏教における時間認識の真髄は、連続性を超えたところにあります。それは、例えば道元禅師の「而今」という言葉によく現わされていると思います。直接的には”今この一瞬”という意味ですが、大雑把に言えば、過去の後悔や未来の心配といった煩悩から解脱し、空の境地を目指すということなのでしょう。人間が時間という拘束から解放されることをも意味するわけです。飛鳥水落遺跡は、日本における時の始まり、中央集権化の始まりを象徴しているわけですが、同時に組織と個人という永劫の課題が生まれた場所でもあります。(写真出典:pref.nara.jp)
