2025年11月16日日曜日

フィヨルドから来たもの

ロング・シップ
初めての海外旅行で乗ったのはスカンディナビア航空(SAS)でした。成田からアンカレッジ、コペンハーゲンを経由してマドリッドまで行きました。1979年当時は、ソヴィエト上空を飛ぶことはできませんでした。まァ、現在もロシア上空は飛べなくなりましたが・・・。SASは、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの3カ国が共同で運航する航空会社です。驚いたのは、CAが、皆、金髪の巨人だったことです。即座にヴァイキングを思い起こしました。中世ヨーロッパの二大脅威と言われるのは、ペストとヴァイキングです。典型的なヴァイキングのイメージと言えば、角の付いた兜と毛皮をまとった金髪・ひげ面の大男たちです。ヴァイキングの子孫であるCAの巨大さから、今さらながらにヴァイキングの恐ろしさを感得しました。 

8~11世紀頃、スカンディナビアから出て、北大西洋、東欧、地中海を席巻したノルマン人は、ヴィーク(フィヨルド)から来た者を意味するヴァイキングと呼ばれました。ブリテン島、アイルランド、フランス、シチリアへ進出し、アイスランド、グリーンランドを経てカナダ東部へも到達しています。また、バルト海から河を遡上して黒海に至り、コンスタンティノープルにまで至っています。ヴァイキングに関しては、素朴な疑問が二つあります。もともと交易の民だった人々が、なぜ、突然、略奪者になったのか。そして、なぜ欧州の国々を破るほど強かったのか、ということです。ヴァイキングの誕生に関しては諸説あるようですが、10~14世紀の中世温暖期に始まり、その後の小氷河期に終わっていることから、気候変動との関わりも大きいとされます。

つまり、海が凍らなかったから、ということです。環境要因ではありますが、原因とは言えません。現在、最も有力とされる説は、フランク王国のシャルルマーニュ(カール大帝)によるザクセン戦争が関係しているというものです。カール大帝は、領土拡大とキリスト教布教を目的にザクセン人と30年に渡る戦いを行います。ザクセン人は、キリスト教を頑なに拒んでいました。ノルマン人も、領土、宗教、通商に関してカール大帝の圧迫を受けており、対抗措置として、キリスト教国の沿岸部への襲撃を始めたというわけです。ヴァイキングの最初の略奪とされているのは、8世紀末、イングランド北部のリンデスファーン修道院への襲撃です。いかにも宗教的な意味合いを感じさせます。もっとも、無防備な施設を狙ったとも言えそうではあります。

一方、ヴァイキングの強さに関しては、概ね定説があるようです。まずは、彼らのロング・シップと呼ばれる喫水が浅く細長い舟の存在です。機動性が高く、海でも川でも高速移動が可能となり、場合によっては陸上を運ぶこともできたようです。これによって、神出鬼没の攻撃を仕掛けることができたわけです。また、一つの舟に同じ村の出身者が乗り込むことで、連携よく助け合える信頼関係があり、かつ恥ずかしい戦いはできないという心理も働いたようです。そして、戦いで死んだ者は、ヴァルハラに召されるという強い信仰が勇猛な戦士を生んでいたとされます。ヴァルハラは、北欧神話の主神オーディンの宮殿であり、戦死者は、戦場での生死を司る女神ヴァルキュリャ(ワルキューレ)によって宮殿に連れて行かれるとされていました。

ヴァイキングの襲撃は、宗教戦争だったと言うこともできると思います。思えば、人間が起こした戦争の多くは宗教に起因しています。しかも、その多くに一神教がからんでいます。他を邪教とする一神教の宗旨からして当然でもあります。かつ、一神教の戦争は、決まって苛烈なものになります。現在進行中のイスラエルによるガザでのジェノサイドも一神教同士の宗教戦争という面があります。人々に平穏をもたらすはずの宗教が、信じがたい程の禍をもたらすことは、実に哲学的で深遠な話だと思います。少なくとも、宗教は、平和に関する最終回答ではないということです。ヴァイキングは、その後、各地で定住化を進め、ノルマン人と呼ばれることになります。同時に、キリスト教化も進みました。ヴァイキングが、どのような経過をたどってキリスト教化したのか、ということも気になるところです。(写真出典:woodworkersinstitute.com)

近江聖人