2025年11月3日月曜日

有職故実

かさねの色目
平安期の貴族社会では、十二単などの重ね着が正装でした。色と素材の組合せで絶妙なグラデーションを生み出します。色の組合せは個人の自由ではなく、「襲(かさね)の色目」と呼ばれる一定の決まりに基づいていました。そこまで定型化されていたとは知らず、実に驚きました。話は変わりますが、若い頃、会社で行われる役員・管理職の賀詞交換会の準備を手伝っていました。金屏風、生花、酒、つまみにする三種の縁起物など、伝統の品々を準備したものです。いずれも、有職故実(ゆうそくこじつ)の一例と言えます。辞書によれば有職故実とは「朝廷や公家の礼式・官職・法令・年中行事・軍陣などの先例・典故。また、それらを研究する学問。平安中期以後、公家や武家の間で重んじられた」とされます。有職は有識者を、故実とは過去の実例を指すと聞きます。

公家故実は、平安中期から体系化が始まり、それを家職とする家も登場し、小野宮流、九条流といった流派も生まれます。武家故実は、鎌倉期に盛んとなり、室町期には小笠原流、伊勢流等が生まれています。いずれも儀礼流派として今に伝えられています。しきたりはうっとうしい面もありますが、有職故実が共有されることで、組織の維持や強化、円滑な運営が可能となります。それは海外でも同じであり、外交にはプロトコールが存在します。組織があるところには有職故実あり、と言ってもいいのでしょう。しかしながら、日本は、とりわけ有職故実好きなのではないかと思います。諸儀式・行事に留まらず、武道、あるいは茶道、能楽、舞踊、和歌・俳句といった芸道、果ては企業風土に至るまで、文化の全てが有職故実の塊のようなところがあります。

日本の文化は、型にはめて安心する、型にはめて究める、といった傾向が強いように思えます。欧米の個人主義に対して日本の組織主義という見立てもあるのでしょう。西洋で異端と言えば正当の反対語です。日本では主に集団からはみ出したものを指す傾向があります。組織主義を身上とする日本文化と有職故実は密接不可分な関係にあるように思います。組織主義は、自然災害の多い日本が育んできた文化と言えます。また、為政者が変わっても天皇を中心とするヒエラルキーが温存されてきた歴史とも関わっているのでしょう。さらに、仏教の影響が大きいとしても基本的には多神教であったことも影響しているのかもしれません。万物に神性を見い出す多神教が、上部構造だけでなく民の生活の隅々にまで有職故実を浸透させている面もあるのでしょう。

江戸期の安寧と幕府による管理社会は、学問としての有職故実を進展させています。江戸幕府も、管理手法として有職故実を活用した面があります。もちろん、形骸化やそれに伴う弊害もあったものと思われます。赤穂浪士による討ち入りの発端となった江戸城松の廊下での刃傷沙汰も、ある意味、行き過ぎた有職故実がゆえに生じた事件と言えます。また、農村部における行き過ぎた組織主義の結果としての村八分なども、有職故実が関連している面もあります。明治期になると、盛んに江戸幕府の旧弊打破が叫ばれますが、本質的には武家政権である明治政府のもと、組織主義もヒエラルキーも温存され、有職故実も様々な分野で生き続けます。その後、敗戦による民主化に伴い、少なくとも上部構造における有職故実はほぼ消失することになります。

組織主義の象徴である日本の有職故実は、日本の美を形成してきたとも言えます。端的に言えば、武道、芸道等における様式美、ないしは形式美ということになります。様式美は、マンネリズムにつながる面もあります。マニエリスムやマンネリズムの語源は、イタリア語で様式や手法を表すマニエラだとされます。しかし、日本の様式美は、無理や無駄のない様式や所作によって、より高い精神性の獲得を目指す点が特徴だと言えます。武道・芸道の”道”が意味するところです。能楽や茶道などが分かりやすい例であり、武道においても、心技体の鍛錬を通じて、より高い人格形成を目指すことが重視されます。つまり、日本の美は、様式のなかに高い精神性を求めるという傾向があるのだと思います。それは、ある意味、禅に通じるところもあります。有職故実は、漂流する日本社会において、見直されるべきものの一つだと思えます。(写真出典:gov-online.go.jp)

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