2025年10月30日木曜日

死んだ女たち(配信シリーズ)

メキシコの人気作家だったホルヘ・イバルグエンゴイティアの1977年の小説をNetflixがミニ・シリーズ化しました。濃密なメキシカン・テイストにむせかえるような作品だと思いました。小説は、1964年に発覚した実際の事件に基づいています。売春宿を経営するゴンサレス・バレンズエラ姉妹が起こした事件です。娼婦など200人以上が殺されたとされ、ギネスブックには「最も多発的な殺人パートナー」として記録されています。姉妹は、後に”ラス・ポキアンキス”と呼ばれます。服装倒錯者、裏社会の掃除人等という意味らしいのですが、どうもピンときません。いずれにしてもラス・ポキアンキス事件は、メキシコ社会を揺るがした大事件でした。

19世紀、スペインから独立したメキシコでは、長らく混乱の時代が続きました。しかし、事件当時は、制度的革命党の一党独裁体制が続き、社会も安定し、経済成長を続けていました。事件後の1968年には、中南米初となるメキシコ・オリンピックも開催されています。一方で、外資の導入による経済成長は、富の集中や地域格差を生み、一党独裁の長期化は、行政、司法、軍政などに腐敗の構図を生み出していました。地方で起きたラス・ポキアンキス事件には、こうした当時のメキシコの状況がすべて反映されているように思います。オリンピックの初開催は経済的成長の証でもありますが、同時に経済の急成長はひずみをも産むことになります。1964年の東京オリンピック開催前夜の日本も、同じとまでは言いませんが、似たような状況にあったのでしょう。

姉妹は、行政、司法に賄賂をばらまき、軍人も後ろ盾に取り込んで、売春宿を拡大していきます。金さえあれば、世の中に怖いものなどない、という状況だったわけです。ドラマでは、娼婦たちの死は病気や事故によるものであり、姉妹は死体を遺棄したものの、故意的な殺人は犯していないとされています。ただ、裁判では、マスコミに煽られた娼婦たちの偽証によって、極悪非道な経営者、殺人鬼として裁かれるという設定になってます。ところが、実際の事件では、姉妹は役立たずになった娼婦たち、娼婦たちが産んだ赤ん坊を次々と殺害していたようです。恐らく、ドラマでは、姉妹を単なる冷酷な殺人者ではなく、また娼婦たちも単なる被害者ではなく、いずれも時代や社会環境に翻弄された大衆の象徴にしたかったのでしょう。

子供を売った娼婦の親たちも、賄賂を受け取っていた官憲も、時代の犠牲者だと言っているのかもしれません。メイドにすると言われて娘を売った貧しい親たちは、娘の身に何が起こるか知っていたのでしょう。賄賂を受け取った役人たちも極悪人としては描かれていません。しかし、そうした状況は、メキシコの一時代に限った悲劇だとも思えません。スペインに侵略されて以降の中南米が、いまだに抱える構造的問題こそが主題のようにも思われます。貧富の格差ならば、いつの時代も世界中に存在します。中南米の場合、固定化された階級社会こそが問題なのだと思います。大規模プランテーションによって生み出された支配層と奴隷的な大衆という構図が、今なお温存されているように思えます。幾度かの革命や左翼の攻勢にも関わらず基本構造が変わっていないのは、外国資本による経済支配が続いているからなのかもしれません。

監督のルイス・エストラーダは、メキシコの社会派監督として知られているようです。乾いた空気感、独特なテンポ、時にコミカルな演出などが面白いと思いました。以前、監督は、米系の会社から、この原作を英語で映画化するというオファーを受けたものの、断ったそうです。確かに、スペイン語でなければ、原作の持つ深さを表現することは難しいと思います。そして、何よりも、長くても3時間という映画の枠内には、到底、収まらりきらない作品だと思います。Netflixで配信された「百年の孤独」も、まったく同様です。そういう意味では、配信のミニ・シリーズは、新たな表現方法と言えるのかもしれません。(写真出典:filmarks.com)

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