恵比寿は日本の神話に基づく純国産の神です。大黒天、毘沙門天、弁財天は、ヒンドゥー教の神々に由来します。福禄寿、寿老人は、道教の神です。布袋は、実在した唐の禅僧とされます。七福神は、日本、インド、中国の多国籍軍であり、神道、ヒンドゥー教、道教、仏教の混成部隊です。また、七柱の神々という枠組みは、3世紀の中国で、老荘思想を説いた七人の思想家を指す「竹林の七賢」に由来します。いわば福徳という出汁で炊いたちゃんこ鍋のようでもあり、日本の文化の有り様を象徴しているようにも思えます。多神教ならではの大雑把な現世御利益主義は、ヒンドゥー教に通じるものもあると思います。正月の七福神巡りは恵比寿参りから始めます。釣り竿と鯛を持った姿の恵比寿は、蛭子、夷、戎、胡、蝦夷、恵比須、恵美須等とも表されます。
古事記の国生み神話によれば、イザナギとイザナミが最初に産んだ子がヒルコであり、次がアワシマでした。しかし、二児には障害があり、海に流されます。その後、アマテラス、ツクヨミ、スサノオが生まれます。日本書紀では、ヒルコは三番目に生まれたとされ、後代、三郎とも呼ばれます。ヒルコは、海を漂った後、摂津国に流れ着いたという説があります。古来、夷(えびす)とは、海から来て福をなすという神です。海から来た三郎はえびすと同一視されるようになり、漁業の神・戎三郎として信仰を集めることになります。また、えびすを、国譲り神話の大国主命の子である事代主神とする信仰もあります。国譲りを迫られた大国主命は、事代主神に判断を委ねます。その際、事代主神が釣りをしていたことから、恵比寿が釣り竿と鯛を持つことになります。
えびす信仰の始まりは判然としません。全国に3,500社を数えるえびす神社の総本山は西宮神社です。鳴尾の漁師が和田岬沖でヒルコ像を引き上げ、その神託によって西宮神社が創建されたと言います。境内の隣接地に人形芸で各地を巡業する傀儡師の本拠地があり、彼らがえびす信仰を全国に広めたようです。当初、えびすは漁業神でしたが、商業が盛んになると商売の神となり、西宮神社は大いに栄えます。西宮神社と言えば、正月の十日えびすで行われる福男選びが、必ず全国ニュースで流されるほど有名です。また、大阪の今宮戎神社は”えべっさん”と呼ばれ、十日えびすの”商売繁盛 笹もってこい”の掛け声や福むすめによる福笹の授与が有名です。ちなみに、福むすめは公募され、その中から多くのTVアナウンサーが輩出されていることでも有名です。
国生み神話のなかで、イザナギとイザナミの最初の子ヒルコと二番目のアワシマが障害を持って生まれ、海に流されたとされるのは、どういう意味なのか、いかなる意図があるのか、実に興味深いところです。世界の国造り神話においても、同様の傾向があると聞きます。古代の出産状況が反映されているようにも思いますが、あえて神話に反映させている意味が知りたいものだと思います。ヒルコは、恵比寿となって信仰を集めることになりましたが、アワシマも、全国に1,000社を数える淡島神社に祀られています。淡島神は、婦人病祈願、人形供養、針供養で知られます。ヒルコとアワシマが寄り添った漁民、商人、あるいは女性は、古代社会において、必ずしも地位が高い人々ではありませんでした。社会的地位が低かった人々が、ヒルコとアワシマを信仰することで、国生み神話、ひいては国の大本に関わっていこうとした、ということなのかもしれません。(写真出典:jiincenter.net)
