2025年10月2日木曜日

「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」

監督:ウェス・アンダーソン 原題:The Phoenician Scheme 2025年アメリカ・ドイツ

 ☆☆☆+

ウェス・アンダーソン・ファンは、彼の映画を観ているだけで幸せなのではないかと思います。その独特な世界観は唯一無二と言えます。本作も、ウェス・アンダーソン・テイストを満喫できます。ただ、ここ数作とは異なり、久しぶりにプロット重視の映画になっています。とは言え、独特な映像と演出、お馴染みのキャストやスタッフが醸すムードには何ら変わりはありません。キャストでは、ヒロインを演じたミア・スリープルトンが新顔であり、ユニークな印象を残しています。今後、ウェス・アンダーソン・ファミリーの常連になりそうです。彼女は、ケイト・ウィンスレットの娘ですが、ウェス・アンダーソンは、そのことをオーディションで彼女を選んだ後に知ったようです。

本作は、レバノン出身のエンジニアだったウェス・アンダーソンの義父に着想を得ているようです。靴箱が象徴的なモティーフとなっていますが、これは、義父が亡くなる前に娘に渡した靴箱に由来しており、箱の中には、彼の人生の思い出の品々が入っていたと言います。誰もが、本人にとっては大事な思い出をコレクトした宝箱を持っているものです。本人にとっては重要でも、他人にはゴミにしか見えない類いの品々です。しかし、これは、もうウェス・アンダーソンの大好物だと言えます。そもそも、ウェス・アンダーソンの映画は、そうした宝箱の品々をコラージュしたような趣きがあります。義父の宝箱の品々は、ウェス・アンダーソンのイメージを膨らませ、モティーフだけでなく、プロットにも大きな影響を与えたものと思われます。

舞台は1950年代の中東にとり、プロットはオリジナルですが、キャラクターの設定には実在した往時のビジネスマンたちを参考にしたようです。そのなかには、コンスタンティノープル出身のアルメニア系イギリス人実業家カルースト・グルベンキアンと息子のヌバールも含まれています。「ミスター5%」というニックネームはイラクの石油を開発したことで知られるカルーストから、そしてザ・ザ・コルダの兄の名前はヌバールから借用しています。ヌバール・グルベンキアンは、長い髭、モノクル、ボタンホールの蘭など特徴的な出立で知られ、英国社交界で鳴らした人だったようです。20世紀、特にロンドンには、海外に出自を持つ個性的で魅力的なビジネスマンが多かったように思います。彼らも、まさにウェス・アンダーソンの大好物だと言えます。

ウェス・アンダーソンの独特な世界は、彼の個性によるものであることは間違いないのですが、多くの人々がその世界観を愛しているわけですから、そこには何か普遍的な要素があるということになります。それをノスタルジーと呼ぶことは簡単ですが、それでは十分な説明にはならないと思います。恐らく、ノスタルジーと非日常性の相乗効果なのではないでしょうか。世の中には、非日常性をねらった映像などあふれています。しかし、それがノスタルジックな衣をまとうと、先鋭的であろうとする角が取れ、ロマンあふれる夢といった風情を醸します。それは、例えばスティーム・パンクやピタゴラ装置と同じく、合理性に抗い、人間性に回帰しようとする意図、あるいは近代科学を人間の手に留めようとする意志のように思えます。しかも、ウェス・アンダーソンは、プラスチックな安物を並べることで、それを肩肘張らない形で映像化します。

また、ウェス・アンダーソン映画の非ドラマ性も大きなポイントだと思われます。そもそも映画は、伝統的、あるいは自然主義的といった手法の違いはあるにしても、観客にドラマを提示し、巻き込み、あるいは押し込むという代物です。ウェス・アンダーソン映画は、イメージを提示するのみです。加えて、テンポを外すことで、観客と距離を取ります。つまり、ドラマを押しつけることなく、全ての判断を観客に委ねているわけです。いわば、観客は暗がりのなかで完全な自由を確保していることになります。これは、何もウェス・アンダーソンに限ったスタイルではありませんが、ノスタルジー、非日常性と相まって独特の味わいを生んでいるのだと思ます。(写真出典:eiga.com)

ヤシの木にプール