日本三大盆踊りとされるのは、秋田の「西馬音内盆踊り」、岐阜の「郡上踊り」、徳島の「阿波踊り」です。他にも風情あふれる富山の「おわら風の盆」、熊本の「山鹿灯籠まつり千人灯篭踊り」などもよく知られています。同じ盆踊りでも「阿波踊り」や群馬の「桐生八木節まつり」の熱狂も興味深いと思いますが、ゆったりと、しっとりと歌い踊るものに魅力を感じます。とりわけ「おわら風の盆」には、とことん魅了され、5~6回は通いました。つまり、地域の古い伝統に根ざした盆踊りは魅力的だと思いますが、ご近所の参加型盆踊りは好きになれないということです。地域の連帯や暑気払いといった盆踊りの効用に関しては同じなのでしょうが、仏事に根ざさない、ただの安易なレクレーションという軽薄さが気に食わないわけです。
盆踊りの起源に関しては諸説あるようです。男女の出会いの場だった古代の歌垣を起源とする説もあるようですが、やはり、仏教起源、それも浄土宗由来という説が、最も一般的だと思います。浄土宗は、念仏を唱えれば誰でも極楽浄土に行けるという教えですが、その先駆者とされるのが平安中期に登場した空也上人です。空也は踊念仏を考案した人としても知られます。宗教と踊りは密接不可分な関係にあります。信者も踊る参加型としては、イスラム神秘主義のスーフィー、あるいはブードゥーなどを思い起こしますが、トランス状態に入ることで神秘的な神の領域を体験するということなのでしょう。念仏と踊りは誠に相性が良く、踊念仏もトランス状態を生むのだと思います。鎌倉時代になると、時宗の開祖一遍上人が踊念仏を広めていきます。
一遍の踊念仏は、熱狂的に受入れられ、やがて大衆化した念仏踊りとして各地に広がっていきます。これが、先祖崇拝の盂蘭盆会と結びついて盆踊りになったということなのでしょう。室町期には単純に娯楽化して、江戸初期には大ブームを巻き起こしたようです。他の祭りと同様、あるいはそれ以上に、男女の出会いの場、性的エネルギーの解放という性格が色濃く、明治期には風紀を乱すものとして取り締まりも行われたようです。盆踊りと言いながらも、既に盂蘭盆会からはかなり離れていたわけです。単にお盆と呼ばれることが多い盂蘭盆会は、この時期、子孫のもとに戻ってくる先祖の霊を迎え、慰めるという仏事です。先祖の霊が迷わぬように焚かれるのが迎え火・送り火であり、霊を乗せるためにナスやキュウリで精霊馬が作られます。花火、七夕、中元など夏の行事の多くは、盆踊りと同様、お盆から派生したものです。
盂蘭盆会は中国で生まれた仏事だとされます。中国に伝わった仏教と中国伝統の先祖崇拝が融合して生まれたとも、仏教が中国での布教のために中国の風習を取り込んだとも言われます。由来に関しては、目連尊師の伝説が有名です。目連は、地獄の餓鬼道に落ち、喉を渇かし飢えた母の姿を見つけます。目連は、水や食べ物を母に差し出しますが、すべて炎と化します。目連がお釈迦様に相談すると、すべての修行者に食べ物を施せば、その一部が母親にも届く、と教えられます。その通りにすると、母は餓鬼道から救われます。これが盂蘭盆会の起源だというわけです。この話で、いつも気になるのは、目連の母が餓鬼道に落ちた理由が語られていないことです。仏教説話としては、そこがポイントの一つだと思うのですが。(写真出典:ja.wikipedia.org)