監督:パヤル・カパーリヤー 2024年仏・印・蘭・伊・ルクセンブルク
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2024年のカンヌ国際映画祭で、パルムドールに次ぐグランプリを獲得した作品です。映画大国インドに初めてのアカデミー国際長編映画賞をもたらすのではないかと期待されていたようです。ところがインド代表にすら選ばれませんでした。どうも、インドの代表選考にはボリウッドを支配する財閥の意向が反映されていたようです。本作を選ばなかったことを批判された選考委員は「インドで撮られたヨーロッパ映画ではなく、インドで撮られたインド映画を選んだ」と発言したそうです。資本と作品をすり替えた言い訳に過ぎませんが、本作の特徴を表す興味深い発言だとも思います。本作は、ムンバイを舞台としながらも、従来のインド映画とは大いに異なる映画になっています。見ていて、インドのヌーベル・ヴァーグなのではないかとすら思いました。低予算、短期間で撮られた映画は、ドキュメンタリー・タッチと自然主義的演出によって、イキイキと瑞々しく等身大のインド社会を映し出しています。ドキュメンタリー映画作家の監督にとって、本作は初の長編ドラマです。2021年には、彼女の初となる長編ドキュメンタリーがカンヌで最優秀ドキュメンタリー映画賞を獲得しています。既に注目される女性監督だったことが、出資金と助成金をかき集めて本作を制作できた背景にあるのでしょう。恐らく、インド国内で、若い女性監督がインデペンデント系映画の出資を募ることは至難の業だということでもあります。
映画は、ヒンディー語ではなく、マラヤーラム語で制作されています。インド南部ケラーラ州のマラヤリ人を中心に3,500万人が使う言語です。インドへ旅行した際、ガイドさんが、インドはアメリカ以上に合衆国です、と言っていました。主に言語で区分された州の独立性の高さはインドの特徴でもあります。映画の舞台はムンバイですが、同じアラビア海沿いということもあり、多くのマラヤリ人が住んでいるようです。マラヤーラム語で制作されたことが、この映画の本質に深く関わっています。本作は、因習が色濃く残るインド社会の閉鎖的な現実、あるいは世代間のギャップを見事に伝えていますが、それは、ある意味、ムンバイの異邦人であるマラヤリ人、そして女性監督の目を通して描かれることで、より鮮明になっているのだと思います。
マラヤーラム語映画としては、「ジャッリカットゥ 牛の怒り」(2019)が思い出されます。ケラーラ州は映画産業も盛んで、ムンバイを中心とするボリウッド映画に対して、モリウッド映画と呼ばれます。胡椒の原産地であるケラーラ州は、古くからアラブや欧州と交易してきた歴史があり、開かれた気風を持つと聞きます。マラヤーラム語映画がインド全土で字幕付で公開されることあるようです。ジャッリカットゥも、アカデミー国際長編映画賞のインド代表に選ばれています。ケラーラ州の北には、インドのIT産業の中心地バンガロールを擁するカルナータカ州があります。さらにその北がムンバイのあるマハーラーシュトラ州となります。ムンバイではインド・ヨーロッパ語系のヒンディー語が話されますが、ケラーラやカルナータカはドラヴィダ語系であり、大いに異なります。アラビア海に沿ったこの地域は、北インドとは異なる国だと言えます。
インドにも少なからず女性監督はいるようですが、まだ若いパヤル・カパーリヤー監督の登場は、インド映画界のみならず、インドの女性たちにとって新しい時代を予感させるものであってほしいと思います。ただ、彼女は、インドの典型的な若い女性というわけではありません。というのも、彼女の母親は、世界的に活躍し、高く評価されるビデオ・アート作家のナリニ・マラニだからです。ナリニ・マラニは、カラチの生まれですが、インド・パキスタンの分離独立の際、難民としてムンバイにたどり着いた人です。難民としての過去を持ち、高名な芸術家として世界で活躍する母のもとで育った彼女は、極めて希な存在と言えます。このことも、インド社会、インドにおける女性といった観点を、客観的に、かつ冷静に捉える背景になっているのでしょう。(写真出典:eiga.com)