2025年8月7日木曜日

梁盤秘抄#38 Original Classic Recordings Vol.1

アルバム名:Original Classic Recordings Vol.1 (1955)                              アーティスト:Jacob do Bandolim

ショーロは、19世紀後半、リオ・デ・ジャネイロで生まれました。西アフリカのリズムとヨーロッパの舞踊曲が融合した音楽とされます。即興性を重視するインストゥルメンタルであり、ブラジルのジャズとも呼ばれます。サンバとともにブラジルのポピュラー音楽の源流を成していると思います。1918年生まれのジャコー・ド・バンドリンは、公務員をしながら、十代の頃からバンドリンの名手としてラジオ出演します。バンドリンは、フラットバックのマンドリンであり、ショーロには欠かせない楽器です。ジャコー・ド・バンドリンが初めてレコード録音をしたのは1947年のことでした。以降、ショーロを代表するアーティストとして活躍します。

16世紀初頭、ポルトガルの探検家たちが、グアナバラ湾に到達します。湾を大河と誤認した彼らは、”リオ・デ・ジャネイロ(1月の川)”と名付け、白壁の家を建て始めます。先住民は、この家を”カリ・オカ(白い家)”と呼びます。カリオカは、リオ・デ・ジャネイロの人々を指す言葉になりました。17世紀、リオは金やダイヤモンドの輸出港として栄えます。そして1808年、ナポレオンに攻められたポルトガル王室は、リオへと遷都します。5万人の町に、1.5万人の王族や役人がやってきます。リオにはヨーロッパの文化があふれることになりました。宮廷の舞踏会で踊られていたポルカは、体が接触することから庶民の間でも人気となります。そして、黒人奴隷たちが好んだルンドゥというセクシーな踊りと合体していきます。

このダンスを踊る際、庶民が宮廷の楽士を真似て演奏したギターやピアノが、独特に変化してショーロが生まれたとされます。当初、ショーロは、音楽のジャンルではなく、フルート、カヴァキーニョ、ギターで構成するトリオを指してたようです。カヴァキーニョは、ポルトガル発祥のスティール弦を張った小さなギターです。後に、ポルトガル移民がハワイに持ち込み、ナイロン弦のウクレレになります。ショーロの語源には諸説あります。日本ではチャルメラと呼ばれるポルトガル楽器シャラメラを吹く人たちはショロメレイロスと呼ばれましたが、これが器楽演奏であるショーロに転じたという説があります。また、ショーロは、ポルトガル語で泣くことを意味し、メランコリックな曲調ゆえにショーロと呼ばれるようになったという説もあります。

ショーロの特徴としては、楽器編成、メランコリックなメロディ、速いリズム、シンコペーションと対位法などが挙げられます。そして、超絶技法も、忘れてはならないショーロの特徴だと思います。初期のショーロを担ったのは、理髪店で働く黒人奴隷たちでした。時間に余裕のある彼らは、演奏テクニックを競い合ったものだそうです。ジャコー・ド・バンドリンの本名は、ジェイコブ・ピック・ビッテンコートですが、その超絶技巧ゆえ、バンドリンのジャコーと呼ばれるようになり、それが固有名詞化します。その早弾きと流れるような演奏は驚異的と言えます。音楽の盛んなブラジルでは、競争の激しさもあって、楽器の演奏レベルは極めて高いと思います。多くの天才的名手も生まれていますが、なかでもジャコー・ド・バンドリンは群を抜いています。

ショーロの曲と言えば、ディズニー映画で使われヒットした”ティコティコ”、ジャコー・ド・バンドリンが作曲した”カリオカの夜”などがよく知られています。この2曲は、アップテンプで楽しい曲調になっています。しかし、ジャコー・ド・バンドリンの名演集であるこのアルバムには、そのような曲は収録されていません。超絶技巧によって、メランコリーの極致が展開されます。このアルバムを聴く限り、ショーロの語源は、やはり”泣く”ということかと納得できます。ポルトガルのファドやブラジル音楽全般に流れるサウダージという情感が、ストレートに表現されているように想います。恐らくブラジルのサウダージには、黒人奴隷たちの悲しみも染みこんでいるのでしょう。(写真出典:amazon.co.jp)