2025年8月11日月曜日

「美しい夏」

監督:ラウラ・ルケッティ         2023年イタリア

☆☆☆

イタリアを代表する文学者チェーザレ・パヴェーゼのストレーガ賞を受賞した小説「美しい夏」(1949)が原作です。1938年、兄とともに田舎からトリノに出てきた16歳の少女が、都会の生活や大人の世界に、戸惑いながらも強く惹かれ、傷つきながら大人になっていく、というストーリーです。パヴェーゼは、ネオレアリズモの作家として知られ、マルキストで戦時中はパルチザンでもありました。ネオレアリズモは、ファシズムへの抵抗として、よりリアルで、より客観的に社会や人物を描きました。文学では、パヴェーゼ、エリオ・ヴィットリーニ、イタロ・カルヴィーノ、アルベルト・モラヴィア等が知られ、映画では、ロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」、ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」が代表作と言えます。

イタリア最高の文学賞を受賞した原作の映画化は、なかなかの挑戦だと思います。ラウラ・ルケッティ監督は、豊かな言葉の世界を、短いカット、甘美な音楽、主演の演技で、そこそこにそつなくこなしていると思います。ある意味、正攻法とも言えます。ただ、ドラマティックな展開を持つわけではない原作を考えれば、映画としてはメリハリに欠ける平板な作品になることは避けがたいと思います。2つばかり長いショットで入れて山場を作ろうとしていますが、決してうまくはいっていません。また、不思議なことに、この映画は時代を感じさせません。背景、服装といったセッティングに抜かりはないと思うのですが、何故か現代的な印象を受けます。実のところ、それは監督のねらったことだったようにも思えます。

本作は、大人になっていく少女に、ファシズムに巻き込まれていく民衆の心理を投影しているのではないかと思います。そのことが、あからさまに、直接的に表現されているわけではありません。映画には、ムッソリーニのラジオ演説とポスターが登場するのみです。トマス・マンが「マリオと魔術師」でファシズムの本質を描いたように、ファシズムと戦ったパヴェーゼも、異なるアプローチでファシズムと大衆との関係を表現したかったのではないでしょうか。原作が発表されたのは、戦後のことです。ファシズムを克服したイタリアの民衆が大人になった主人公に、病気から立ち直ったあこがれの女性にイタリアの文化が象徴されているように思います。そして、右傾化するイタリアの現状を踏まえ、それは決して過去のことではない、と監督は言っているのでしょう。

本作の難点の一つは、主演女優だと思います。素朴さや田舎くささを表現した熱演だとは思いますが、残念ながら16歳の少女には見えません。作品のバランスを崩しているように思いますが、演技力を求めた結果なのか、あるいは意図的に少女っぽさを避け,作品の真のテーマを伝えようとしているのかも知れません。一方、少女が憧れるヌード・モデルの女性を演じたディーヴァ・カッセルは、見事な存在感を示しています。彼女は、イタリアの宝石と呼ばれるモニカ・ベルッチとヴァンサン・カッセルの娘です。本作が映画デビューとなりますが、17歳からモデルとして活躍し、20歳の今、既にトップ・モデルとなっています。初々しさとともに未熟さも感じさせますが、存在感と貫禄はなかなかのものであり、新たな宝石がモダンな姿で登場したといった印象を受けました。これからの活躍が楽しみだと思います。

舞台となっているトリノは、イタリア第二の工業都市です。イタリア統一の中核となったサヴォイア家のサルデーニャ王国の首都でもありました。後にフィアットの企業城下町として栄えます。フィアットとは、FABBRICA(工場)ITALIANA(イタリアの)AUTOMOBILI(自動車)TORINO(トリノ)の頭文字をとったものです。工場労働者の多い街は、労働組合運動の盛んな街でもありました。ムッソリーニのファシスト党が政権を取ると、トリノでは、労働組合への弾圧、同性愛者への弾圧が行われます。一方、反ファシズム運動が展開されたことでも知られる街です。本作の舞台がトリノであることは、単なる偶然ではありません。(写真出典:natalie.mu)

上野の西郷さん